【境界例の正体が分かった】【ガチ】 「実存的境界例論」 【非恋愛型ストーカー】【日本人の闇】【M県は境界例の巣窟、マジで】

初めに

・「自己愛性人格障害(自己愛)」「境界性人格障害(ボダ)」「メンヘラ」「同性ストーカー」「キョロ充」「無キャ」等、昨今急速に広まりつつあるこれら「アイデンティティーの異常さ」に関する概念は、名前は違えど全部一緒で「境界例」では?と私は考えている。

・境界例の概要や詳細はここでは扱わない。
 既に色んなサイトで纏められているのでそちらを参照して欲しい。
 ここではあくまでも「原因」について書いて行く。

・私は医者でも学者でもない、ただのそこら辺に居る一般人なので、「この考察が間違っている可能性もある」という前提の上で読んで欲しい。

・「一人の人間として存在すること」というのは、本来「基本的人権」レベルで保障されるべきものであり、それを得るのにコストが掛かるのは本来であればおかしいと思う。
 また、私も別にこの知識を以て「有名になりたい」「お金を稼ぎたい」等の私益は求めていないので、転載や拡散はご自由にどうぞ。
 寧ろ広めて下さい、境界例の被害者の人達の為に。

・但し、私の半生が犠牲になった上で得られた知識ではあるので、良識の範囲内で活用して下さい。

・また、境界例は「境界例」という知識を知ると「境界例の被害者」に成りたがる、成り済ましたがる特徴がある。
 奴等はこういったセンセーショナルな事や逆張り的なものやコンサルタントを気取れるような事等が大好物である。
 それに巻き込まれたくないので、私個人の人格について詮索するのは禁止で。

・この知識は「ミクロ←→マクロ」を自由に行き来出来る視点があると理解しやすいと思う。
 「虫眼鏡で地面を見ている」イメージ←→「宇宙から地球を見ている」イメージを頭の中で行き来する感じ。

・長々しいと読む気が失せると思うので、極力要点を絞って書いて行く。


「実存的境界例論」①~⑧

①境界例の特徴は大きく分けて二つ。
 ・他者への攻撃性
 ・アイデンティティーの希薄さ
 害が大きい前者が取り上げられやすいが、後者を掘り下げてみたら原因が分かった。

②境界例はタゲ(ターゲットの略)の真似や張り合いをする。
 その理由について、多くの本やサイトでは「憧れや、嫉妬によるもの」とされているが、実際に遭った事がある人なら分かると思うけど、これ、違うよね・・・?
 なんか違うんだよ。
 憧れや嫉妬の類なのかもしれないが、普通の人のそれらとはなんか違う。
 猿真似というか、見境無いというか。
 これが本当に気持ち悪い。
 この違和感がヒントになった。

【例】
 典型的なやつ
h ttps://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12189883752
h ttps://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11257935941

 末期なやつ
h ttps://oshiete.goo.ne.jp/qa/1923725
h ttps://oshiete.goo.ne.jp/qa/9977355

③ある時その違和感を言葉に表す事が出来るようになった。
 それは、「自分の価値観を介していない」という事。
 
④じゃあ「自分の価値観を持てる人と持てない人の違いは何だろう?」と。
 これの答えは、カール・ヤスパースという実存主義者の考え方が参考になった。
 ヤスパースの言葉ではないが、要は「価値観=挫折の逆算」
 つまり、自分の価値観を持てる人と持てない人の違いは「挫折の有無」
 ヤスパースは偉大。

⑤じゃあ「挫折の有無は何による違いなのか?」。
 一番分かりやすい挫折は「寿命」だろう。
 でも例えば「ヒドラ」「ベニクラゲ」「ロブスター」には寿命が無い。
 それじゃあまるで挫折はマッチポンプみたいなものじゃないか。
 (一応この答えは、生物にとって酸素は本来は毒であり、抗酸化の手法として「直すか、使い捨てるか」で分岐したから。)

⑥マッチポンプなのか、何かやむを得ない起点があるのか、「生物の体の中でその起点となるもの」を探したんだ。
 外側から、外胚葉→中胚葉→内胚葉→原基分布図→卵割→受精卵・・・と。
 ん?卵割?
 卵・・・割・・・!?
 「分裂」じゃない、「分割」なんだ!!!
 (卵割と名付けた人にマジ感謝!)
 増えたからどうこうしよう、ではなくて、わざわざ分かれている。
 頭の中で、受精卵から胚葉までの流れを何度も行き来する。
 すると、原基分布図もヒントになって、「わざわざ分かれた理由は、色んなフィードバックを担う為」という事に気付いた。
 つまり、「個=インフラの為の仕組み」
 これを更に細胞ではなく「個体」レベルでも相似させて考えて行く。

受精卵から胚葉まで

境界例と言えば「幼児的万能感」、つまり「挫折」とは対極の脳味噌をしている。
 挫折に基づいていないので、価値観が定まらず、担うインフラも定まらないから、「個」である必要性が得られない。
 精神的には「個」に至れない分際のくせに、肉体的には個体として存在してしまっている。

 その異様な差を埋め合わせる為に、こいつらは誰かに取り憑いて猿真似をしたり、誰かと張り合ってその差で自分というものを認識したがったり、わざとトラブルを起こして自分の役割を欲しがったりするのだろう。
 これが境界例の原因なんだと思う。

⑧根本的には結局「頭の悪さ」が原因だと思う。
 頭が悪く、理解力が既存のインフラを超えられないから、挫折が出来ないのだろう。
 実際、境界例は「極端なゼロサム思考」「人の真似をするが、センスが無くチグハグ」「見た目や服で人を判断したり等、価値観が形骸的」等の特徴がある。
 これらは「境界例の理解力の解像度」の表れだと思う。
 つまりそのレベルでしか実存を解釈する事が出来ないから、適切な挫折が出来ず、個やアイデンティティーが得られないのだろう。
 メンヘラと言えば「リストカット」だが、これも「境界例の脳味噌で価値を理解出来る、原始的なトラブルを欲した」結果だろう。
 理解力が実存に追い付けられなかった奴の末路。


「境界例=AC」説、違くね? ⑨

⑨現在、多くの本やサイトでは、「境界例の原因=AC(アダルトチルドレン)」説が唱えられている。
 所謂「子供時代に、失敗する事も含めたありのままの自分を、親が受け入れてくれなかったから、自己愛が歪んだ」説。
 私は昔からこれに凄く懐疑的だった。
 何故なら、実際に遭うと分かると思うが、境界例は「ありのままの自分」すら「無い」ように感じるから。
 勿論AC経緯でアイデンティティーが希薄になるパターンもあるのだろう、でもそれは境界例とはまた別の問題のように見える。
 何故なら、私が見て来た境界例はほぼ全員「甘やかされて育って来た」感がすんんんんんんんんんnごい厚顔無恥の極みのような人達ばかりであり、また、私が見て来たACの人達は、親の顔色を窺って生きて来たのだろう、他人の顔色を窺っているような人達ばかりだから。
 つまり距離感が真逆。
 だから「境界例=AC」説は間違っていると私は考えている。


本来の秩序の在り方 ⑩~⑫

⑩ところで、この実存的境界例論に基づいて改めて「一人の人間」というものを考えてみると、「一人の人間」として完成するには「挫折」、つまり「理解力が既存のインフラを超えられる事」が必要であり、となるとそもそも人間の仕様として「一人の人間として完成出来る人」は一部だけ、少なくとも全員ではないという事になる・・・。
 若者に悪絡みして自分の架空の存在意義を作りたがる糞みたいな自己愛中高年ストーカーの多さや、不幸になりたがるボダ女の多さ、若い人達の間でも昨今急速に「キョロ充」「無キャ」という概念が広まっている事等からも明らかだろう。
 すると新しいというか、本来の仕様に則った秩序が必要という事になる。
 挫折経験による個人レベルでの「破開(「はかい」。限界状況における人間存在の原則が突如として出現した事実。)」の有無を基準に人々を2グループに分け、破開済みのグループが軸で、未破開のグループはそれに従う、という秩序が。

 よくありがちな、声や気が大きい強欲な人が中心となる秩序ではなく、寧ろその逆である、挫折出来る人間が中心となる、謙虚な秩序。
 これが本来の秩序の在り方だと思う。
 「気が大きいだけの人達の歪んだ正義の暴走」を防ぐ意味での個々人の自由や平等は必要だが、まるで「生まれて来た人間全員が輝ける」かのような、「自分が輝けないのは誰かの差別によるものである」かのような「勘違い」はもういい加減卒業すべきだと思う。

⑪実際、この秩序の在り方の正しさを表すものがある。
 私達の体である。
 「癌」の原因を知っているだろうか?
 癌の原因は分かっているそうで、大昔、地球がまだ二酸化炭素だらけだった頃の生物の代謝方法が「解糖系」で、ある時光合成をするシアノバクテリアの発生により地球上に酸素が発生し、酸素は本来生物の体を酸化させる「毒」であるから、これに対応する為に「ミトコンドリア系」という代謝方法も持ち、以降生物の体内では「解糖系 < ミトコンドリア系」(厳密に言えばそんな単純な関係ではないが)という状態を維持しているが、それが発癌性物質等の何らかの影響で逆転し、「解糖系」が暴走したものが「癌」らしい。
 つまり、外界(実存)と接点を持ち、外界(実存)を理解しているものが軸でなければならないという事。
 個体レベルでも、やっている事は細胞の相似であり、「外界(実存)と接点を持ち、外界(実存)を理解している」とは、「挫折」の事であるから、⑩章の結論に繋がる。
 境界例は個体レベルでの「癌」なんだよ、煽りじゃなく、文字通りの意味で。
 反論なら自身の体にやってくれ。

⑫因みに、細胞レベルでは、ちゃんと分化出来なかった細胞は分解されて別の細胞の養分となる。
 これが個体レベルでは何を指すのかは、各々の解釈に委ねようと思う。


余談 ヤスパースは偉大

 カール・ヤスパースは偉大。
 生物も含めた実存自体に関しては仏教の中論の見解がおそらく正解なんだろうけど、生物として生まれた以降の見解ではおそらくヤスパースが正解だと思う。
 折角正解に辿り着いていたのに、時代の流れに潰されて、今でもそんなに復権出来ていないのは、彼にとっても人類にとっても世界にとっても勿体無いし可哀想だと思う。

 因みに、実存主義という括りで一緒くたに扱われやすいが、ヤスパースとサルトルは考え方が真逆。

 ・「実存に基づこう」とするのがヤスパース。
 ・「自由の刑に処せられている」とかほざいておきながら、自己が実存に規定される事に「嘔吐」しちゃうのがサルトル。(サルトルの実存観って、境界例に似ている・・・。)
 ・ヤスパースはドイツ人の医者・哲学者で、奥さんがユダヤ人で、丁度ナチスの時代に生き、迫害された為、あまり活躍出来なかった。
 ・一方、サルトルはフランスの哲学者で、アンガージュマン(政治参加)をしたりノーベル賞を拒否する等、世間に多大な影響を与えたが、これが人類の精神分野の行く末を大きく誤らせたと私は考えている。

 実際、実存主義の次に構造主義が台頭しはじめると、次第にサルトルの実存主義は「主体偏重の思想である」として批判の対象になり、晩年のサルトルの著書ではかつての主体を重視した実存主義思想から大きな転換がはかられている。
 正解はヤスパース。

終わりに

 境界例被害をきっかけに、人間や社会の本来の原則も学べたのは大きかったが、それらと世の現状との乖離も大きく、多分私が生きている内に好転は無理だろうなと、個人的にはわりと絶望している。
 乖離というか、逆走してるよね、今の日本・・・。
 大阪大学が日本人のスパイト(自分が損してでも他人に損をさせたい)行動を証明しちゃったし・・・。
 それでもまあこの知識を以て少しでも好転出来ればなと。
 結局それしかないだろうし。

 あと今の若者達に忠告しておきたい。
 「自分の居場所を探している感じの中高年にはガチのマジで気を付けて。」と。


 終わり。



【「実存的境界例論」番外編】 (ヤスパースの)実存主義と仏教、それとワンピース 【ネタバレ注意】【ド素人の考察なので注意】

目次

・初めに
・仏教まとめ①~②
・仏教への疑問①~⑦
・【ネタバレ注意】ワンピースって仏教の話じゃね?

初めに

・「実存的境界例論」についてはこちらを参照↓
 h ttps://note.com/existential/n/n090c36aef3d9

・私の言う「実存主義」はあくまでもヤスパースの実存主義ね。
 サルトルのせいで誤った実存主義が広まってしまっているのが面倒臭い・・・。

・境界例の原因が分かった後、仏教に対して疑問が湧いた。
 境界例は「実存に基づけられない」からトラブルが起きるのに、仏教では「解脱」、つまり「実存から脱しよう」とする、のは何故・・・?と。
 それで仏教の勉強を始めた。
 もし実存主義の反証的なものが得られれば、更に理解を深められるだろうし、単純に仏教に興味もあったし。

・仏教って「宗教」というより、今で言う「物理学」や「量子力学」の話なのな。
 しかもおそらく人類史上最も広い視野で物事を扱っている。
 結論的には結局曖昧なまま行き詰ったし、個人的には考えが少し違う(後述する。)けど、私は仏教を勉強して良かったと思っているし、皆高校生くらいになったら一度仏教を嗜んでみると良いと思う、信仰するかは別として、というか宗教じゃないと思うし。
 視野が一気に広がる。

・私に仏教を教えて下さった様々な方々に感謝しております。

仏教まとめ①~②

 私は学者でも何ない、ただのそこら辺に居る一般人なので、「この考察が間違っている可能性もある」という前提の上で読んで欲しい。
 もし何処か間違っていたり無礼な事を言っていたら御免なさい。
 では纏めます。

①もし仮に、周囲に何も依存せず、何も作用されない、確固たる自性・独立自存なものが、一つでもあったなら、それに依ってその他のものも固定や規定されてしまうはず。
 でも実際は雨は降るし、風は吹くし、お腹は空くし、ウ〇コはするし、ご飯を食べれば幸せだし、貯金が減れば不安になるし、etc・・・と、全てのものは作用・依存し合い、移ろい行く。(諸行無常)(この全てのものの依存関係が「縁起」)
 すると逆説的に、この世に自性のあるものは何一つとして無いという事が分かる。(空(くう)、一切皆空)
 これが仏教の基礎知識。
 因みに、実存(色(しき))を徹底的に論破したのが龍樹(ナーガールジュナ)が書いた「中論」。

②その前提の上で「自分」というものを考えてみる。
 「自分」を構成しているものの内、自性の無いものは「それって本当に「自分」なの・・・?」と、頭の中で剝ぎ取って行く、肉体も精神も。
 すると最後に残るのは「観」。
 「観」が縁起に巻き込まれず、自分に在る状態が「観自在菩薩」、ブッダの一歩手前。
 「観」や「空」自体も「空」である、という至高の段階が解脱であり、涅槃であり、ブッダ。
 あくまでも俺の理解に間違いが無ければね・・・。

仏教への疑問①~⑦

①仏教の目的について、どうも二説あるようだ。
 ・苦しみからの救済
 ・単なる真理探究

②まず、かの有名な「般若心経」の内容は、とある修行僧が観自在菩薩に「空」について質問した話なんだが、その中で「度一切苦厄」「能除一切苦」と、「苦しみからの救済」を意味する節が二つ出て来る。
 (一応、この内、前者の「度一切苦厄」は原典には無く、鳩摩羅什と三蔵法師の漢訳だけにあり、最後の方にある「能除一切苦」を強調する為に追加されたものらしい。)

③私の疑問はここなんだよ。
 「実存から脱する事の意味や価値を実存から導くのは、パラドックスが起きてしまうのでは?」と。
 最初から実存に基づけられない出来損ないの糞境界例共と、涅槃が異なるのは、後者は実存経験が有るから意義を持つ点であって、すると実存に根差してしまうからやはりパラドックスが起きてしまうのでは?と。
 すると実存から脱する事は一概にというか、別に正解ではないのでは?
 結局実存に基づく事は必須で、となるとやはり正解はヤスパースなのでは?と。

④一方、「涅槃」のサンスクリット語である「ニルヴァーナ」の語根は「ニル・ヴァー(煩悩を吹き消す)」ではなくて「ニル・ヴリ」、つまり「覆う」という意味の動詞語根「ヴリ」に否定の接頭辞「ニル」がついたもの、要は「覆いの無い状態」説(これは別の話で後述する。)があり(但し、確実な例証は知られていない。が、「ニル・ヴリ」から派生した「ニルヴリティ(パーリ語はニッブッティ)」の記述は仏典の最古層に既にあるから、やっぱり「ニル・ヴリ」が語源なんじゃね?的な。)、となると別に「苦しみからの救済」ではなくて「単なる真理探究」をした結果涅槃に行き着いただけなんじゃないか?と。

⑤また、「苦しみからの救済」が目的であれば、般若心経で修行僧が質問する相手は、「知恵を持って遍く一切を照らし、(略)迷いと戦いの世界の苦しみから知恵を持って救う(略)」、「勢至菩薩」でも良かったはず。
 でも実際は「観自在菩薩」に聞いた。
 その事からも、「単なる真理探究」が目的だったんじゃないか?とも言われている。

⑥それだと「能除一切苦」とは・・・?
 となるから、「苦」についても調べてみた。
 日本に於ける仏教は、サンスクリット語→漢訳→日本語訳、と翻訳を複数介しているし、そもそもサンスクリット語から漢訳する際、サンスクリット語の発音に合う漢字を当て嵌めただけだったりもするから、翻訳されたものだけで理解しようとすると誤解する恐れがある。
 実際、サンスクリット語の「dukkha(ドゥッカ)」と「苦しみ」は異なり、「苦しみ」は、dukkhaの一部に過ぎないとする立場もある。
 アルボムッレ・スマナサーラによると、釈迦の説くdukkhaは、現代語の「苦」とは別物である。
 現代語の苦は具体的には、肉体的な苦痛と精神的な苦痛とがあるが、スマナサーラによれば仏教で説くdukkhaには、「苦しみ」「虚しい事」「不完全である事」「無常である事」の四つの意味が含まれるという。
 が、結局実存から導いている事に変わりは無いようだ・・・。

⑦ここで私の仏教の勉強は行き詰ってしまい、止まっている。
 「実存的境界例論」で、「生物も含めた実存自体に関しては仏教の中論の見解がおそらく正解なんだろうけど、生物として生まれた以降の見解ではおそらくヤスパースが正解だと思う。」と曖昧な説明をしていたのはこういう背景によるものである。
 ヤスパースは世界の様々な思想・宗教を纏めており、その中で仏教についても纏めているが、このパラドックスに関するヤスパースの記述は無かったと思う。
 また、その本を日本語訳した仏教学者による後書きで、「これこれこういう点でヤスパースの仏教理解はまだ甘い。」というような事も書かれていたが、このパラドックスが解決されるものではなかったと思う。
 勉強したのが十年程前なのでハッキリとは覚えていないが。

【ネタバレ注意】ワンピースって仏教の話じゃね?

 最近のワンピースの考察で「ワンピース=温泉」説がある。
 ゴールド・ロジャーの「この世の全てをそこに置いてきた。」は、入浴する際は衣服や武器や財宝に限らず、権威や肩書きや地位等も全てを脱ぎ去って置く事を指している、と。
 ゲダツの扉絵はそこまでの流れの比喩、と。
 私は思った、あれ?それって「覆いの無い状態」、つまり「涅槃(ニルヴァーナ)」じゃね?と。
 「覆いの無い状態」を表現する為に、温泉という場を用いたんじゃね?と。
 もしかしてワンピースって仏教の話じゃね?と。
 ゾロの技等、仏教用語がちょくちょく出て来るし。
 私のこじ付けだろうか?
 まあまだ「ワンピース=温泉」と決まった訳ではないし、私はワンピース考察勢ではないので普通に間違えているかもしれないが、そんな事を思った。

もし涅槃を意味しているのであれば、個人的に嬉しい。
あくまでも世界大戦の反動で近年の日本に長らく蔓延していた「全体主義か、個人主義か自由主義か」というようなくだらないイデオロギーではなく、ヤスパースかブッダどちらかでもいいから「実存主義」的な方向に結論付けてくれれば、本質から大幅に外れ迷走しまくっている今の日本にとってプラスになるから。

 あと今の若者達に忠告しておきたい。
 「自分の居場所を探している感じの中高年にはガチのマジで気を付けて。」と。

 
 終わり。


【「実存的境界例論」実社会編】今の日本の最重要課題って「アイデンティティーの確立」では?【意見募集】【M県は境界例の巣窟】

要約
今の日本人の “実社会での” 力学や行動原理は、「生活や豊かさ」より「存在価値が無いのに生まれて来てしまった辻褄合わせ」がメインになってしまっている。
だから日本の首が絞まって行っているのは当たり前だよね。
だから今の日本の最重要課題は「アイデンティティーの確立」では?
アイデンティティーの根拠になるものは「プライド」ではなく「挫折」ですよ。
それでもアイデンティティーを確立出来なかった人達を、社会はどう扱うべきか?(意見募集)
私の考える境界例対策案


近年、政治家のみならずインフルエンサー達や一般人達も、日本の政治について盛んに議論をしているが、正直違和感がある・・・。
政策の細かい是非は置いておいて、彼等側は正常だと思う。
が、彼等と実社会との間に非常に大きな乖離があるように感じるから。

まずは「経済」面の話。
例えば私が昔働いていた職場の話。
その職場には典型的な自己愛な奴が居て、私が新人の頃、新人が無知や不慣れなのは当たり前の事だと思うんだが、そういった私の不出来さを材料に、勝手に張り合って来て「自分age他人sage」という典型的な自己愛行為をして来た。
それに耐えて一人前になり、私にも後輩が出来、教育したんだが、まあ「新人だから」とは関係無いミスとかもするから叱ると、それを見た自己愛の奴がここぞとばかりに「新人なんだから仕方ないでしょ・・・。」みたいな事を言いたがる訳、しかも妙に積極的に、悲壮感たっぷりに。
まあ境界例に遭った事のある人なら分かると思う、超典型的なパターンだが。

要は、本分に託けて(かこつけて)、本分を度外視してまで、「笊(ザル)なアイデンティーティーの埋め合わせ活動」みたいな事を必死にやりたがる。
職場の力学・行動原理が、「業務」「業績」ではなく「マウンティング」や「悪者作り・正義マン」になっている感じ。
上記は軽いライトな一例だが、実社会では色んな場面でこういった事を沢山見て来た。
(M県だけ?少なくともM県はこういう奴ばっかだよ、マジで。
M県には「M県が全国区で話題になるのは、高校野球か悪いニュースの時だけ。」という言い伝えがあるんだが、マジでその通り。
「自分が何がしたいかは分からないけど、他人が何かになる事は絶対に許さない!!!人生を懸けてでも全身全霊で潰さなきゃ(使命感)!!!」みたいな県民性。
マジでM県はこういう奴ばっかだよ。
風土記にも「一般公衆に対する公徳心は甚だ幼稚で他人の迷惑を考えず約束を守らない欠点がある。」「ややもすると勤労を好まず、他人を支配しようとする風がある。」「成功者をねたみ、これを中傷する風がある。また後進者を指導啓発して向上させてやろうという気風に欠けている。」「物事は控えめで伝統や古い慣習になずみがちで、排他的思想強く、自分から積極的に物事をやろうという進取的の気性に欠けている。」とか書かれてるくらい。
そりゃあんだけ地理的なポテンシャルに恵まれてるはずなのに、取り柄が無く古臭いくせに常に迷走していてやたら色んな事業の実験台にされるキモイ県になるわ。)

冒頭で挙げたようなインフルエンサー等による日本の具体的な改善活動は、それ自体は良いと思う、とても。
でも、実態としてはもっと漠然とした根本的な部分が原因で、日本は首が絞まって行っているように感じる。
つまり、今の日本人の最重要課題って「アイデンティティーの確立」では?と。
別にどちらかにしなければならないという意味ではなく、並行して取り組めばいいと思うが、でもおそらく「アイデンティティーの確立」無しに他の問題解決は大して進まないと思う。
何故なら境界例は境界例の知能で扱える原始的なトラブルを欲しがるから。
改善よりも劣化・退化したがるし、改善を全力で壊そうとするから。
健康な体をわざわざ傷付ける、メンヘラのように。
癌細胞のように。

というかもっと端的に、大阪大学が日本人の「スパイト行動(自分が損をしてでも他人に損をさせたい)」を証明してしまったが、それって要は「日本人は経済よりもアイデンティーに飢えている」って事でしょ・・・?
だから結局まずはアイデンティティーの確立が最優先課題なのでは?と。

もう一つは「少子化」について。
少子化の原因はよく「若者の経済力不足」と言われているが、本当にそうか・・・?
まあそれも一因としてあるんだろうが、どうもそれ以前に、大半は「単に余っている」ように見える。
特に、私はこれを「かぐや姫気取り」と呼んでいるが、人が集まる場所に女性が自分からやって来て、別に話し掛けられてはいなく、寧ろ嫌がられてすらいるのに、まるで物凄くナンパされまくっているかのように男を拒否る高飛車な振る舞いを、一人で勝手にやり出すが、元々別に誰からも必要とされていない為、そのまま永遠に謎の平行線か、その女性が排除されるか、皆が別の場所に移動する、という状況を結構見る。
そういった「女である事を持て余している」ような状況を目の当たりにすると、「経済力」以前に「単に余っている」ように見える。

且つ、私が昔遭遇したボダ女も典型的なかぐや姫気取りだったんだが、と同時に、強烈なキョロ充でもあり、しかも誰も聞いていないのに必死に「反出生主義」を主張していたのもあって、ふと思った、「そもそも自分の価値観が無いキョロ充や無キャが人を好きになる事なんてあるのか?」「自身の存在価値すら感じられない奴が、子供を欲しがるのか?」と。
ボダ自身も死にたがってギャーギャーうるっせえし、その被害者である周囲も「ボダ死んでくれ」って心底思っているのに、その状態がずっと維持される、何これ・・・?誰得・・・?何の意味があんの・・・?

要は、明らかに「単に増えれば良いという訳ではない」問題が発生しているという事と、それに依って本来増えるべき側の人達にも支障が出ているという事。
だから、(国レベルでは「人口が減ると国の経済が破綻する」のは分かるが、それは一旦置いておいて、)結婚や出産、要は「繁殖」を、これもやっぱり「アイデンティティー」の面から捉え直す必要があるように感じる。

つまり、繁殖の目的も結局は「挫折の逆算」であり、という事は「繁殖すべき人と、そうでない人が居る」という事であり、まずその自覚・教育が必要で、その上で棲み分ける必要があるという事。

というか昔からずっと思っているんだが、所謂「女の特徴」ってそのまんま「境界例」じゃね?
人と人との間の距離感や柔軟性という隙があらば、「私はモテ過ぎて辛い・・・。」という主観・願望・勘違いを捩じ込もうとする様なんかまさに。
というか実存的境界例論に気付いて、アイデンティティーの成り立ちをちゃんと具体的に知ってから、改めて女の特徴を見返してみると、狙ったかのように不思議なくらい、成立の要所を女は介せない事に気付く。
介せないというか、回避しているようにすら感じる。
外界に興味を持ち、リスクも受け入れ、挑戦し、自分が行動し、失敗も現実的に受け入れ、学び、自分側を矯正し、経験を積み重ね、それらから論理的に考えて正解を導き、それを材料に更に利益の拡大を目指し、それを元手に自分だけでなく社会のインフラを整え、社会全体として豊かになって行き、みたいな、要はアイデンティティーを確立する為の過程に、尽く反するよな女の人って。
中学生くらいから(現実に対してすら)自分視点で考えるようになり、自分では何もせず、人が集まるコミュニティーにやって来てただひたすら自分の中の主観・願望・勘違いを発表して押し付け、それに引っ掛かった人や防御し切れなかったに全力でぶら下がるキモイ生き物になるよな。
正直、仮に境界例の被害者だとしても、そいつが女だった場合は、私はあまり親身にならないようにしている。
「加害者と被害者」ではなく、「境界例同士の抗争」の可能性が高いから。


私の考える境界例対策案
境界例が現状のさばっていられる原因は主に三つあると思う。
①「境界例」という概念が世間に知られていない事。
②知ったとしても、原因がよく分からない事。
③通説として挙げられている原因(AC説)が、間違っている事。
私もこれらの沼に嵌まり、普通の人が人生の基盤を作る二十歳前後の十年程を、






被害者サイトにはあまり載ってないけど有効だと思う、境界例の見分け方

私が見付けた境界例の見分け方で、よくある境界例被害者サイトにはあまり載っていないものを挙げていこうと思う。
思い出したら随時更新していく。

①まず根本的に、「実存と解釈の間の矢印が逆だったり不安定だったりす奴」。
普通の人は「実存→解釈」だけど、境界例の奴は「実存←解釈」な感じ。
普通の人はまず現実世界を受けて、そこから自分で考えたりする。
けど境界例の奴は自分の中の脳内世界を、現実に無理矢理当て嵌めようとして来る感じ、その現実と脳内の差を埋め合わせさせる為に他人を巻き込んで来る感じ。
でもそもそも実存に基づかないと具体的な思考なんて生まれないからか、悪い意味で「真っ白いキャンバス」みたいで、「傲慢なのに方向性を模索中」みたいな、不安定で意味不明な感じ。
普通の人でも、妄想して遊んだり、不都合な事を素直に受け入れられなかったりとかはあると思う。
でも境界例の奴はそんなレベルじゃない、「現実に対して挑戦する」とでも言うかのような、変な能動性・積極性がある。
なのにキョロ充っていう、歪(いびつ)さ。
これらがあったら境界例だと警戒した方が良い。
(当たり前だけど、子供相手の場合は除く。)

②怪我(肉体に限らず)をした人を見た時の反応。
これは奇行過ぎて言葉で説明出来るか自信無いけど・・・。
怪我をした人に「痛い!!!」って言う奇妙な奴。
怪我をした人を見たら、普通の人は「大丈夫?」とか「絆創膏要る?」というような反応をすると思う。
でも、怪我をした人を見て、その怪我をした場合の気持ちを、勝手に想像解釈して、それを何故か自分が怪我をした当事者・権利者かのように、しかも何故か怪我をした本人に言うやつ、これをやる奴は99%境界例だと思って間違いない。
まあ人格の境界の無さの何重もの表れなんだろうけど。
普通の人でも「うわ~それ超痛いやつじゃん!」とか、「共感」で言う場合はあると思う。
でもそうではなくて、何故かまるで自分が実際に怪我をした当事者・権利者かのように言う感じがあったら、境界例の奴だと思ってまず間違いない。
この違いは紛らわしいけど、次の例を見るとなんとなく分かると思う。

②Aが病気になり、
B(医者)がAに薬をあげたのを見て、
何故かBに同じ薬を飲ませようとするC

このCも99%境界例と見て間違いない。
「病気」や「薬」は例えだけど。
「共感」じゃなくて「模倣」っぽいのがポイント。

これも同系統なんだろうが、他人の喧嘩やトラブルに当事者として参加したがり、且つ無関係のはずなのに「同じ事をやり返してやる!」みたいな奴。
普通は他人の喧嘩なんか関わりたくないもんだし、介入するとしても、あくまでも「第三者として」、且つ「(平穏・冷静な)解決に向かう為に」、双方の「是非をジャッジする」ような形で介入すると思う。
でも境界例の場合は、「片一方(しかも加害者側)が受けた事を」、何故か「当事者として」、何の意味があるのか全く分からないが「同じ事をやり返そう」とし、実質的には火に油を注ぎやがるくせに、ここぞとばかりに悲劇のヒロインとして振る舞い出す。

この「他人のやり取りに、何故か当事者として、模倣(しかもあくまでも境界例の捻くれた脳味噌で解釈したものの模倣)で報復をする」奇行の3パターンを挙げてみたが、これらから感じるのが、普通は「状況」から行動を考えるが、境界例は「誰かの模倣」で行動をするというか、正確に言い表すとしたら「状況と脳味噌がリンク出来ない障害がある」ように感じる。
これは境界例の単なる猿真似行為からも感じるのだが、普通は「状況」から物事の価値や意味を捉えて行動するが、境界例は何故かこの「状況」「需要」と思考との間に接点が見られない、状況や需要を度外視した猿真似をする。
まるでその部分を司る脳味噌の部位がスポッと抜け落ちているかのような、強烈な違和感。
私が「境界例は後天的(AC説)」とは思えない理由の一つでもある。
まるで夏の夜の街灯に一生懸命突っ込んで焼け死ぬ虫かのような、本能的かのような悪い意味で真っ直ぐとしたものを、これらの奇行から感じる・・・。
そういった特徴が、発達障害や自閉症に似ているように感じるのは私だけだろうか?
実際「重ね着症候群」という概念もあるらしい(提唱されたのが2004年とかなり最近なので今はまだあまり広まってはいないようだが)。
「境界性人格障害や摂食障害の多くが、「発達障害」の特徴を多少なりとも持ち合わせていることに気付いていた精神科医は少なくありません。」という事で提唱された概念。
だから結局のところ、境界例は先天的なものだと私は思っている。
というか「自己愛は男に多く、ボダは女に多い」という特徴がある時点で先天的なものでしょ。



③何回りも歳下の人間関係に混ざりたがり、且つ若者や子供の精神的な学びや成長過程に本気でライバル心を燃やして来るオッサン。
オッサンにもなって他人との比較でしか自分というものを捉えられず、その比較対象に出来るタゲを常に探している感じのキモイオッサン。

④自称「友達が多い」はずなのに、何回りも歳下の人間関係に四六時中参加したがる奴。

⑤「アドラー心理学」の熱烈な信者。
普通は大人になれば気持ちよりも実存で考えるし、自他の境界があるのは当たり前のはず。
にもかかわらず、この心理学に感銘を受けるという事は、それほど実存観に対してブレがあり、この心理学を必要とする事自体が、本人がそうでない事の証明のように私には見える。
特に、キョロ充のくせにアドラー心理学の信者だったら100%ビンゴ。

⑥中身の無い逆張りを面白いと思ってる奴。
誰かが「Aだよね。」と言ったとして、それに「Aじゃない。」と、根拠も捻りも無くただ否定するだけの、何の意味があるのか何が面白いのか全く分からない謎の逆張りを、ドヤ顔でする奴。
たまにそれっぽい根拠も挙げる場合もあるが、逆張り自体が目的で根拠が後付け感が凄い奴。

⑦中身の無い、「反応の応酬」のような会話をしたがる奴。
普通は目的やテーマがあって会話をするし、そうでない、じゃれ合いのような他愛の無い会話をするとしても、前述の場合とはTPO的な区別を弁えて行う。
でも、目的やテーマがあって行われている会話の場でも、無理矢理参加して来て、この意味不明な「反応の応酬」をしたがり出す奴は、境界例の可能性がかなり高い。
これは圧倒的に女の境界例に多い。
キモ過ぎ。

⑧知ったかぶり。
「自分はそれを分かっていない」という発想が無い。
自分の脳内にある知識から、現実を捉えようとする奴。

⑨別に自分に話されている訳ではない、他人の趣向の、アンチになる奴。
A「俺たこ焼きが好きなんだよね。」
B「そうなん?どこのお店がオススメ?」
みたいな会話に、混ざってすらいないし、そもそも友達ですらないのに、人の会話を勝手に耳にして、
C「たこ焼きなんて、炭水化物で粉物で体に悪い!皆嫌ってる!」みたいなアンチ活動をし出す奴。
「皆嫌ってる!」←ここがポイント。
たこ焼きなんて皆好きだし国民食みたいなものなはず、でもそういった事を捻じ曲げてまで、アンチ活動そのものをやりたがる奴。
そもそも接点が無いはずなのに、そこまでアンチ活動をしておきながら、急にやたらたこ焼きを食べ出したり、「たこ焼き博士」を気取り出したり、挙句の果てにはたこ焼きでマウンティングを取り出したり、もはやそれがライフワークかのように人生を使ってまで “依存的に” アンチ活動をし出したら200%アウト。

境界例の奴等は高確率でこれをやるんだが、私はこの経験を受けて、「自由思想」に疑問を抱かざるを得なかったね。
境界例には話してない、寧ろキモイから接点が生まれないよう秘密にすらしていた、自分の趣向等に、勝手に無理矢理依存して来ておいて、何故かアンチ活動をされるって、意味分かる?私には全く分からない。
普通は自分の興味・価値観の為に人生を使いたいもんじゃないのか?



⑩居場所を探している感じの中高年。
100%ではないが、わりと濃厚。
特に、変に下の年代の人間関係に参加したがる奴はヤバイ。

⑪これは女の境界例の特徴。
トラブルに対して、ギャーギャー騒いでおきながら、解決策は1ミリも取らず、なのに受け入れる努力みたいな事はし出す奴。
ちょっと対策すればすぐ解決するような事でも、何故か全く解決策を取らず、なのに受け入れる努力みたいな事は一生懸命し出すキモイ奴。
全く解決に向かわなかったくせに被害者や悲劇のヒロインとして自分語りをしたがったり、周囲の「こう(解決策)すればいいだけじゃないの・・・?」を黙らせる為の行動は全力でやり出したら100%ビンゴ。

⑫チャムシップをする女。
境界例は猿真似をするんだが、当たり前だが不快だしキモイから拒否ると、拒否られれば拒否られるほど更に必死に真似アピールをし出すという、謎のスパイラルをする特徴もある。
しかもその様子が「あなたと同じなんです!私達はそっくりなんです!同一なんです!」みたいな、なんか、超必死な「死に物狂い」って感じで、異常・・・。
それで思ったのが、こいつらは「チャムシップ」をやっているつもりなんじゃないか?と。

用語説明。
●チャムシップ・・・小中学生の女の子が双子コーデや、そっくりさんをしたがったり、同一性に拘るアレ。「私達は同じよね。」
●ギャングエイジ・・・小学生の男の子がグループ活動をする事。
●ピアシップ・・・中高生くらいからの、互いに異なる部分を持ち合わせていても、自他の違いを認め合いながら友人関係を育む関係。

で、このチャムシップについて、その手の分野では大概「心の成長に必要な過程」という方向で書かれているんだが、本当にそうか・・・?
男はチャムシップはしないし、女の中でも「チャムシップは死活問題!!!」派と「全く理解出来ない・・・気持ち悪い・・・。」派とに二極化しているし、別に要らないんじゃないか・・・?
寧ろ、この手の研究がほぼ見当たらないから私の体感と予想でしかないが、「チャムシップをする女がそのまま境界例になっているんじゃないか?」と感じる。
チャムシップをしたがる女は、チャムシップを「同じ仲間が居るという事が、私達が正しく、世界最強である証明!!!」みたいな謎の活用法をし出すが、寧ろそれこそが彼女等が実存と接点を持てない事の表れなのでは?
そして、実存と接点を持てない人間が成長なんてするのだろうか?

ここから、
・やはり境界例は先天的なものである事。
・チャムシップは境界例の予兆であり、その後そのまま境界例になる可能性が高い。
と私は読んでいる。

⑬ハブられてるのにずっと付いて来て、全員からシカトされているのにまるで自分もその会話に参加しているかのように後ろからずっと独り言を喋ってるキモイ女。
上記の時点で100%アウトだが、自分が付いて来ているのにまるで物凄く誘われているかのような振る舞いや、自分が付いて来ているのに「私が居ないダメなのよ」みたいなお世話係みたいな振る舞いもし出たら500%アウト。
数打ちゃ当たる的に、たまに状況に合った事もするが、それをきっかけに輪の中に入ろうとして来るキモイ特徴もある。
距離梨。

⑭「人は鏡」と言う奴。
もうこの時点で100%確定。
まず「人は鏡」の意味が分からない。
普通は各々に意思があるだろ。
模倣前提な時点で異常だし、普通に起点にパラドックスが起きる事が何故分からないのか。
しかも「鏡」とか言いながら、実際はあくまでも境界例の捻くれて障碍者染みた知能で解釈したものの、模倣。
「人は鏡」と言いながらやたら「自由」を提唱していたり、「ある意味チャンス!」と思いこっちがシカトして距離を取っても何故か「距離を取る」という模倣はせずにずっと付いて来たら、500%境界例確定。

あまり他の問題は絡めたくないが、憲法9条問題で、「9条があるから日本は攻められない。」「日本が武力を持ったら日本が攻められる。」という意味不明な謎理論を必死に訴えている人達がかなり居るが、あれも境界例系統の人間なんじゃないか・・・?と私は見ている。



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