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言わない言葉がどれだけあるか


2024年3月16日(土)朝の6:00になりました。

やさしさのない人とは、相手ができないことを求める人です。

どうも、高倉大希です。




思ったことを、すべて伝えればよいというわけではない。

教育業界で仕事をしていると、こう感じることが多々あります。


全部を説明して「さあやるぞ」と言ったところで、子どもたちは動けません。

情報量が多すぎて、混乱してしまうのです。


いちどに全部を説明したときは、大抵あとからたくさんの質問が発生します。

いちど伝えたことをもういちど伝えるという、二度手間が生じるわけです。


諸子百家から歌比丘尼、坊さんから先生、新聞人からラジオのプロデューサーまでをつらねて、そのすべてに共通する点は、かれらがみんなシンボル操作の熟練者であるという点である。

梅棹忠夫(1999)「情報の文明学」中央公論新社


だからこそ、何かを伝えたいときは「ここで止めよう」という判断が必要です。

目の前の相手を見ながら、情報を止めるのです。


きっと、いろいろと言いたくなってしまうのが人の性というものです。

伝えたいことがあったなら、最後まで言いたくなってしまいます。


ところが、結果的に混乱を生んでしまったら元も子もありません。

1回ですべてを伝えようとしない我慢が、時には必要になるわけです。


ぼくは、先生の役割って、一つの狭い常識のなかで生きている人に、そうじゃないよと教えてくれて、でも、その答えは自分で見つけなさいよらといってくれることだと思います。だから、先生を見て、「ぼくって、わたしって、ちっちゃいなあ」と思えるような人じゃないとダメなんじゃないかなって思います。

高橋源一郎(2022)「5と3/4時間目の授業」講談社


だからこそ、伝えるのが上手な人の頭の中には言わない言葉がたくさんあります。

相手のようすをよく見た上で、「今これは言わない」という判断をしています。


言わなければ言わないほどよいかというと、べつにそういうわけでもありません。

今は伝わらないということを前提に、種を蒔いておくのもまたひとつの手段です。


いずれにせよ共通するのは、時間軸の上でものごとを捉えているという点です。

思ったことをすべて伝えてしまう人は、今この瞬間しか見ていません。


いい文章の条件としてぼくは、「苦労の跡がどこにも見当たらない文章」や「最初からそのかたちで存在していたとしか思えない文章」を挙げた。

古賀史健(2021)「取材・執筆・推敲 書く人の教科書」ダイヤモンド社


書くことだって、同じです。

この世のすべてを、ひとつの文章で書き表すことなどできません。


だからこそ、書かない言葉を選びます。

主題をよく考えた上で、「今これは書かない」という判断をするわけです。


書かない言葉が、どれだけあるか。

これが、その文章のおもしろさに直結しているのだろうなと思います。






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