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都合がよいから信じているだけかもしれない


2024年4月3日(水)朝の6:00になりました。

都合のわるいことは、都合よく忘れるものである。

どうも、高倉大希です。




ひとつの意見があれば、どこかにはその反対の意見があります。

必ずしも二項対立だとは限らないので、正確には反対のように見える意見です。


たとえば、この世には「無理して頑張らなくてもいいよ」という意見があります。

一方で、その裏には「20代のうちは死ぬほど頑張れ」という意見があります。


たとえば、この世には「他者のことを優先的に考えよう」という意見があります。

一方で、その裏には「何よりも自分を大切にしよう」という意見があります。


「良い/悪い」という観点は、あるゲーム内でのみ確定する。あらゆるゲームの共通の「良い/悪い」は存在しない。善悪はゲームに依存する。ここから簡単に導ける系corollaryはこうです。もし、味方プレーヤーに差し出したバフが相手にとってはデバフになるという「バフ/デバフの反転」が起こるならば、それは、同じゲームを営んでいない、ということになる。

近内悠太(2024)「利他・ケア・傷の倫理学」晶文社


校則を変えたいと願うとき、生徒たちは校則のおかしなところを指摘します。

その裏にある「なぜ校則が現存しているのか」を、考える気配はありません。


クリスマスプレゼントをもらうとき、子どもたちは嬉しい気持ちで満たされます。

その裏にある「なぜプレゼントをもらえるのか」を、考える気配はありません。


わたしたちが信じている意見の多くは、自分にとって都合がよい意見です。

その反対にも意見はあるはずなのに、まったく見ようとはしません。


対話的なコミュニケーションでは、そうした異なる意見に対して早急な判断や評価を下さずに、どのような前提から、それが話されているのか、背景を理解することが推奨されます。その過程において、自分とは異なる前提に立つ他者への理解を深めるとともに、自分自身の前提がどのようなものなのかが相対的に意識され、これがメタ認知につながるのです。

安斎勇樹、塩瀬隆之(2020)「問いのデザイン 創造的対話のファシリテーション」学芸出版社


「無理して頑張らなくてもいいよ」が響くのは、頑張りたくないからです。

「20代のうちは死ぬほど頑張れ」が響くのは、頑張っている自負があるからです。


「他者のことを優先的に考えよう」も、同じです。

「何よりも自分を大切にしよう」も、同じです。


ただ単純に、いまの自分に裏付けがほしいのです。

あの人も言っているから大丈夫だと、ただただ安心したいのです。


それならば、一番極端なところをいったん考えてみる。そうしたら、「そこまでしたら、自分がひどいやつじゃん!?」と思い始めるかもしれません。はじめから「ちょうどいい」ところを考えつくというのは、なかなか難しいことなのです。

糸井重里(2014)「インターネット的」PHP研究所


だからこそ何かを考えるときは、反対にある意見に思いを馳せねばなりません。

両側から見てみることで、はじめて本質に近づきます。


冒頭にも述べたとおり、必ずしも二項対立だとは限りません。

反対に位置するように見えるふたつが、同時に成り立つこともあります。


自分にとって都合がよいから、信じているだけかもしれない。

自分の思考は自動的に、都合がよい方へと流れます。






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