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オマージュ恋愛小説 『remembrance』 前編


 ジリリリ……というベルの音に、脳を揺さぶられるようにして目を覚ます。

開ききっていない目蓋の隙間から音の根源を見つけると、そっとベッドから下りて学習机に近づく。アナログの目覚まし時計の隣には一冊のノート。

表紙に書かれた文字に気付き、わたしはアラームを止め、ページを捲った。


 パジャマのまま、冷たい階段をゆっくりと下りていく。磨りガラスのドアを開けると

「おはよう詩透しずく。よく眠れた?」

ダイニングテーブルに朝食を並べていた女性がわたしに気づいて振り返る。

「おはよう。おかあさん」

そう答えると、母はほっとしたように笑みを深めた。


 朝食を食べ終えて身支度を整えていると、ピンポーンと鳴るチャイム。

「あ、しゅんくんが来たみたいよ」

もう一度鏡で髪型をチェックしてから、母の言葉に背を押されるように玄関に急ぐ。

扉の向こうには学ラン姿の男の子が照れくさそうに立っていた。

「はよ。詩透しずく
「おはよう……瞬くん」
「今日、体育あるけど、体操服ちゃんと持ってる?」
「うん」
「ん、なら行こっか」

くるっと踵を返して歩き出した瞬くんに置いてかれないように後を追う。


わたしが隣についたのを確認すると、瞬くんは歩くペースをそっと落とした。

「昨日さ担任の臼田うすだ、鞄まるごと忘れて学校来てたんだってよ」
「へえ」
「んで学年主任の黒岩に職員室前でどつかれてんの。ダサくね?」
「ふふ、そうだね」

なんてことない日常の話を、なんてことない表情で聞く。なんてことないことなんて、何ひとつないのに。


「おっはよう! 詩透しずくちゃん。瞬ちゃん」
「……おはよう」
「おはよ、大友おーとも

誰だろうと思ったらクマみたいな男の子が現れて、すっとわたしの横に寄り添った。

「今日朝イチから数学っしょ? だっるぅ」
「そのわりに今日早いじゃん」
「そろそろ出席日数ヤバくってさー」
「真面目に授業受けてねぇからだろ」

わたしを間に挟んで二人だけで会話する。
そっか、今日は数学があるんだ。

「大友くん」
「ん?」
「数学の宿題ってあったっけ?」
「んーん、ないよ。大丈夫」
「そう。ありがとう」
「あ、でも、英語の予習は必須だから、後で瞬ちゃんに教えてもらった方がいいよ」
「うん」
「学校ついたらノート見せるわ」
「お願いします」

きっとわたしは自分でも知らない間に瞬くん達にたくさん助けられてるんだろうなと思いながら頭を下げた。


 ガヤガヤとした教室。見慣れない景色。馴染めない人達。手探りな毎日に気づかれないように平然と対応する。

「わたしの席ってここだっけ?」

机の端のちっちゃな目印を見つけて、瞬くんに確認する。

「そ、この前の席替えでここになったんだよ」
「あ、そうだった」
「瞬ちゃん、詩透しずくちゃんと離れて寂しいっぽいよ?」
「だまれ、おーとも」
「ちなみに俺は詩透しずくちゃんの斜め後ろ」
「そうなんだ。瞬くんの席はどこ?」
「……あそこ」
「ド真ん中の一番前って瞬ちゃんってほんとくじ運ないわー」
「大変だね」
「……別に。おーともみたいに寝たりしねぇから怒られねぇし、ちゃんとノート取るからここでいいんだよ」
「真面目なんだね」
「そういうわけでもないんだけど……」
「あ、ほら! 詩透しずくちゃん、英語のノート見せてもらいなよ」

大友くんに言われ、瞬くんも思い出したようにリュックからノートを取り出す。

「今日の英語昼からだから。それまでに返してくれたら」
「わかった」


 スースーという大友くんの気持ち良さそうな寝息と何を言っているのるかもわからない数式の説明を聞きながら、わたしは瞬くんから借りたノートに目を落とす。

そこにはひとつも英語が書かれていないけれど、わたしにとって何より大事な事柄が記されていた。

今朝読んできたノートと、ここに書かれていることを照らし合わせて、ようやくわたしは自分の置かれている状況を受け止めることができたのだった。


「瞬くん、これありがとう」
「お、速いな」
「すごい助かったよ」
「ん、なら良かった」

数学が終わった後の休み時間に瞬くんにノートを返す。きっと今までに何度もこのやりとりをしているだろうに、瞬くんは嫌そうな顔ひとつせず、優しく笑う。


「ふわ~あ。次、体育? 俺サボろっかなー」
「いいなあ。わたしもサボりたい」
「じゃ一緒に腹痛装って保健室行くか!」
「おまえらなあ……」

と呆れながらも、瞬くんはわたしと大友くんの行動を咎めなかった。


「俺、トイレ寄ってくから詩透しずくちゃん、先に保健室行っといて。そこまっすぐ行くだけだから」
「うん」

大友くんに言われた通りまっすぐ廊下を進んでいたら、階段の影から誰かに肩を掴まれた。

遠野詩透とおのしずくさんだよね?」

じっとりと血走った目で問われる。

「……はい」
「ちょっとこっち来て」

その男子生徒はわたしの腕を掴むと、体育前の着替えで誰もいなくなった教室に引きずりこむ。

「遠野さんって、明日になったら今日のこと全部忘れるってほんと?」

わたしを壁際に追い込むようにして問い詰めてきた。教室後方の黒板に背中を強かに打ち付けられ、逃げるべきだと心は叫ぶのに身体は思うように動かない。


本当のところは、自分にだってよくわからない。明日のことは明日にならないとわからない。

でも今のわたしに昨日の記憶がないのは確かだ。

そう答えようと口を開きかけたら男子生徒の顔が徐々に近づいてきて、必死で抵抗を試みるも逃げる術もなく、わたしはギュッと目を閉じ、ひたすら心の内で唱える。

早く、早く、早く。時間よ、過ぎ去れ。そうすれば何もかも……


「おまえ何してんだよ!」

教室の扉を蹴り飛ばす音にびっくりした男子生徒がわたしからさっと離れる。

怒鳴り散らしながら飛び込んできた瞬くんは男子生徒の襟首を掴んで今にも殴りそうな勢いだ。

目の前で繰り広げられる光景に理解が追い付かなくて、わたしはその場にへたり込んだ。

「瞬ちゃん!あとは俺がなんとかしとくから詩透しずくちゃん助けてあげて!」

騒動を聞き付けた大友くんは恐怖で尻もちをついた男子生徒に対して、さっさと散れ! と言わんばかりの形相と舌打ちで追い出す。


詩透しずく! 大丈夫か?!」
「……瞬くん」
「ごめんな、守ってあげらんなくて」
「……ううん、だいじょうぶだよ、瞬くん。どんなに嫌なことがあっても、明日には全部忘れちゃうから」
「……詩透しずくが忘れても俺は覚えてんだよ。だからそんな悲しいこと言うなよ」

目線を合わすようにしゃがんでいた瞬くんがおずおずとわたしを抱き締めた。


 たとえ自分の身にふりかかった出来事でもきっと明日の朝にはわたしの記憶から消えてなくなってしまうんだろう。

それでも、今感じたこの胸のぬくもりだけはどうか消えないでほしい、と切に願う自分がいた。

今朝、家で読んだノートをぱたんと閉じたときに裏表紙の内側に書かれた文字がふわりと視界を掠めたのを思い出しながら。

またわたしは恋をするでしょう。
その日初めて会った男性に。


(20171007 改編)



 この冒頭とよく似たドラマを見て昔の作品を引っ張り出してみました。とある映画をモチーフにして書いています。その辺は

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