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「ザポリージャがウクライナの地名なのかファンタジーRPGのキャラ名かも思い出せない世代へ」

小ぎたない恋のはなしEx22「ザポリージャがウクライナの地名なのかファンタジーRPGのキャラ名かも思い出せない世代へ」

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小ぎたない恋のはなしEx21「好きでZ世代に生まれたわけがない」

https://note.com/fuuke/n/n0aaf8c1e4a3e


コストパフォーマンスばかりを求め続けた上の世代は、人を人とも思わなかったことだろう。

その実態が「人材」とか「人的資本」みたいな単語にあらわれている。

彼らからすれば「人程度の生き物」なんて材料や素材でしかなく、資源としてカウントされてしまうらしい。資本主義って言葉の中には金や材料だけじゃなくて、生き物である被支配層の人間が含まれているらしい。

素敵な人材が採れました。役員だの代取の前に数週間前まで学生だった人間を連れて来、こんな言い方をする採用担当者がいる。そんな言葉は連れてこられた人間にとって死刑宣告となんら変わりがない。これから満を持して、道具としてお前を使い倒してやるぞ、と。

労働力を「原資」だの「材料」だと換算できてしまうような非人道的で暴力的な思考回路を持ち合わせているからこそ、コストの計算が可能となる。

算数にある仕事算とは、過去の人間がコストパフォーマンスばかり求めた結果の産物に過ぎないのだ。

「人という『材料』をこれだけの量、これだけの日数動かせば、多分これができる、あれができる」。

そこでは当該人々が具合を壊したり、生理になったり妊娠したりみたいな状況はカウントされることがない。

もはや当該コスト計算内における「人」とは、生理になっても妊娠しても射精してもいけない生き物として扱われるのだ。人的資本が生理になるなと彼らは極めて当然のように言っている。

人はそのような「壊れない機械」なんかじゃなかった。そんな簡単なことを連中は「知らない」。

哀れなことに、この「材料」と見做され、雑巾のように扱われてしまう人的資本という愚劣な表現で取り沙汰される人々もまた、原資を支配層から寄越されて生きている。支配層の施しがあるから生きている。

これだけの金をやるんだから、以後お前が人として扱われなかろうが文句を述べるなよ。

これは悪魔と交わす契約だ。

生きるための原資を人質に取られている状態となんら変わらない。

さっき死刑宣告と表現したが、人を人と扱わなくなったことがつまり当該「人」へ観念的な死をもたらす。連中からしたら金の支給とは、単に動かなくなった車にガソリンを給油している行為と同じなのだから。

コストパフォーマンスにしか目が行かないような、自分を磨くこともない衰退していく人間が新しい世代に対応しようとするのだから、成功するはずがないのに。

▼次回

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