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無口な店主と酒場の客

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小さな酒場を営むキヨと、そこに集う客たちの、何気ない物語たちです。 悩みの多い人生、小さな酒場で愚痴ったり弱音を吐いたり、そんなひと時も悪くないですよね。
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記事一覧

好かれること、嫌うこと

好かれること、嫌うこと

「どうしたらいいんでしょうか」
ユラは、溜め息を吐いてカウンターに突っ伏した。
今の今まで、散々に不安を吐き出していた口は、もう乾ききってへとへとだった。心做しか、頭に酸素が巡っていない気もする。
酒場の店主は、何も言わずにユラを見つめていた。もちろん、カウンターの木目の拡大版を凝視しているユラは気が付かないけれど。
「いつも同じ失敗をするんです。言葉が多いというか、甘えすぎるというか。気を許すと

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キヨの物語(其ノ壱)

キヨの物語(其ノ壱)

大木の上で微睡みに身を任せるのは、キヨの唯一と言っていい安心できる行為だった。
烟った空を眺めて、気が向いたら目を閉じて、瞼の裏の明滅をイメージ通りに動かしてみたり、その奥の何かを捉えようと目を凝らしてみたりしていた。大した遊びを知らないキヨにとっては、頭の中の遊具だけが自由に使える玩具だった。
丁度、赤い明滅が炎の形をとって、鳥に進化して飛び立とうとしていた。遠くまで、遠くまで、羽根を広げて何処

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別れの港

別れの港

──あの子の言ってた酒場って、ここかしら。
クミは、寂れた外観を半ば睨むようにしながら心の中で呟いた。野犬が鳴くのを耳にとめたが、無視をして扉に手をかける。
中は、外観と同じく寂れた様相で、木の机が幾つかとカウンター席があるだけだった。
夕方の時間だからか、仕事終わりらしい男たちが客の大半を占めている。女もいたが、どうにも飲むことが目的ではなさそうに感じられた。
クミは、眉を寄せて視線を動かした。

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メモと不安

メモと不安

昼時、あまり客のない時間帯の酒場には、数人の客の囁きや、ざわざわとした外の音や、ジョッキが小さくぶつかる音だけが存在している。
アンは、隅にある一人用のテーブルでジュースを飲み、ぼんやりと虚空を見つめて過ごしていた。ピントのズレた写真のように、周りの光景は彼の脳に届いてはいない。感慨深そうな顔をして、思考を閉ざしている状態だった。
手元には、端の丸まったメモ用紙が置かれており、ペン先が紙に隠れてい

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叶えた先にあるもの

叶えた先にあるもの

エリは、いつものようにカウンター席を我がものにして、悠々と酒を飲んでいた。
淡い色の髪を高く結び、どこかの国の民族風の洒落た服を纏った彼女は、その美貌で酒場の客の視線を盗む。普段はその視線に淑女らしい笑みを返しているエリだったが、今日は沈んだ空気を感じさせた。
キヨは頼まれるままに酒を出し、成り行きを見守る。
拗ねたような、怒ったような、悲しんでいるような。それこそ酒のように色々なものを混ぜ合わせ

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夢の途中の小説家

夢の途中の小説家

ナヤは、客の居なくなった酒場でいつまでも酒を飲み続けていた。
店主である痩躯の男は、何も言わずにカウンターの向こうに佇んでいる。
やたらと気持ちのいい飲み方をする客の一人が勝手に教えを授けてくれたが、店主の名前はキヨというらしい。一度も口を開いたことはなく、共に働くガタイのいい男、キクが代わりに喋っているのだそうだ。
黙々と片付けをするキヨを盗み見ながら、ナヤは小さくため息をついた。物言わぬ酒場の

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場末のライラ

場末のライラ

路地裏に入らなければ見つからないような、営むつもりがあるのか疑う酒場は、存外客をとっていた。
海賊や山賊じみた汚らしい男たちから、祈り疲れて羽目を外すシスターまで、まさに老若男女問わずの酔いどれ人間の坩堝だった。
零れた酒、酔った歌声、興奮に溢れる汗、笑い声、何処かの国の五月蝿い音楽。寂れた店の割には、騒々しく生々しい生活を数多く招いているらしかった。
店主は、それを眺めながら黙々と手を動かして酒

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