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夏服とスコール

教室の窓から西日が差し込み、腕から溢れ出る汗が白い制服のワイシャツに滲み出て、腕と袖がへばりつく感覚は形容し難い気持ち悪さがあり、まるで蒸し地獄にでも居るような息苦しさを感じさせる。
額を乗せた右腕の痺れが指先まで届き、起こしたくない変な型がついているであろう頭を否応に起こすことになった。
予想は的中。左手でおでこをさすると凸凹とした少し恥ずかしい型が着いている。
腕の汗で湿ったB5サイズの国語の教科書には、芥川龍之介の“羅生門”のページが開かれている。
ノートを取らねばと思いながらも、迫り来る見えない敵に授業開始早々の自分は勝つことができずにいたのか、知らぬ間に教科書をカーペットにし、両腕を痺れる枕にして寝てしまっていた。
それにしても暑い。
まだ5月の終わりだと言うのに、この暑さだとプール開きまで体が持ちそうにない。
首を少し引いて目下のノートの内容を見ようとすると、首と顎が汗でへばり着く感覚が何とも気持ち悪い。
ベタっとして、顎を開けた時もまたその感覚が押し寄せてくる。全くもって溜まったものじゃない。
ノートと黒板の板書を照らし合わせると、3分の1程書いていたことが分かる。同時に50分授業の内、15分程度しか集中力が持たなかったことを意味している。
教室の前、黒板上の掛け時計は2時50分を指している。6時間目の授業が終わるまで大体後10分ほどだ。
若い女教諭は汗を拭いながら、薄いパステルカラーのブラウスの襟まで伸びた横髪を白い手で救い、耳にかける。
その姿がどこかセクシーで、唾を飲み込む直弥の体温を上げ、肌の内から感じる暑さが増していく。
まだ黒板の板書は続いている。しかしここまでノートを取っていなければ流石に今から写す気にもなれない。
3階の教室から見えるグラウンドには、4組が体育の授業でリレーのバトン練習をしている。
女子の体操着は長袖ジャージが3割、半袖が7割と言ったところか。
男子はどれも半袖半ズボンばかり。
日焼けの概念など高校生の男子にはないらしい。かくいう直弥にもそんなものはない。
リレーは体育祭の中でも花形競技だ。
2週間後、6月の頭に高校生活初めての体育祭がある。
その体育祭が終われば体育の授業は暫くの間プールに変わる。
足も早くないし泳ぎも下手。そんな直弥からすれば体育祭もプールも楽しいものでは無い。
しかしうちの学校は、高校生にもなって未だ男女で同じプールを同時間帯に授業で使う。
6レーンの内、中2レーンを空けての授業ではあるが、それでもある種の楽しみをみな男子は持ち、期待を膨らませている。
直弥はそうでは無い…とは言い難いところだが、できるだけ紳士を装うつもりでいる。
こういった時に心をガキ大将にできるかできないかで、モテるモテないは随分と変わるのだと常々思うのだが、中々そう上手くは行かない。
「その後の老婆のことを下人は知る由もない。…ですがこの先の2人は、どのように生きるのでしょうか。私はいつも気になっています。」
若い女教諭がその言葉を最後に教科書を閉じ、黒板の板書を消し始めた。
机の隅に目をやると、B5の藁半紙が1枚置かれており、裏を見ると“下人と老婆のその後を考えよう”と書いてある。
後ろの席の真田の机を見ても、同じ用紙が置かれていた。
どうやら直弥が眠ってしまっていた間に配られた物らしい。
授業が終わり、若い女教諭が教室の扉から出ていくと、代わりに担任の北野が教壇に立った。
眼鏡をかけた、どこかやる気のない小さな背中の中年男性教諭。直弥はこうはなりたくないと思いながらも、公務員の給料が良く、安定している事もこの年齢になると分かる。さらに言えばその壁が厚く、高いことも。
北野の冴えない見た目や覇気のない声に毛嫌いする生徒もいるが、いざ自分が北野の立場になると公務員という立場が羨ましく思う。
ここはあまり偏差値の高い高校ではない。だから公務員なんて高い壁は我々には程遠い存在だとみんな思っている。
直弥はこの後学校が終わると4時半からバイトが入っている。
部活動をしないのならば、せめてバイトでもしろ。高校に入学して直ぐに生活指導の教諭に言われた言葉だ。
レベルの高い学校ではそうはいかないのかもしれない。むしろバイトをすると言ったら全力で止められるだろう。
しかしうちの学校ではアルバイトを随分と推奨している。生活指導の教諭が勧めるのだから間違いない。
恐らく、恐らくだが、直弥の考えとしては、バイトをしていればその間は悪いことをしない。そういった考えの元であろう。
兎にも角にも、この田舎では自転車を飛ばしてもバイト先に着くまでに1時間はかかる。
3時10分に終わるホームルーム。教室を飛び出して急いで自転車に乗って走れば、バイト先の近くのコンビニでパンを買って食べる位の余裕はできる。
とにかく直ぐに教室を出られるようにするため、机の横にかけた黒いリュックを机の上に広げて、クリアファイルなど必要最低限の物を詰め込み、そのリュックを座りながら肩にかけ、教室から走り出るために今か今かと足に全神経を集中させる。

「それじゃあ気をつけて。」
北野の弱々しい声でホームルームが終わり、あまり目立たぬよう、それでも全力で直弥は教室を飛び出し、校門近くの駐輪場へ向かった。
走りながら足を進める度に、制服のズボンの中からスニーカーにかけて汗が滴り落ちる感覚が走り、汗でズボンと足がベタつき、それが気持ち悪くて仕方がなかった。
ついこの間行った高校生活初めての中間テスト。
直弥の順位は学年240人中142位。
決して優秀とは言えない成績。
やはり高校に入ってすぐにバイトを始めたのが仇となったか。
うちの高校は進路の多くが専門学校か就職となっている。成績の良い生徒は大学進学もするそうだが、基本的に推薦入試。指定校推薦がほとんどだ。
詰まるところ3流以下の、所謂Fラン大学と呼ばれる学校への入学に限る。
しかし直弥が入学する2年前にたった1人、この高校から関関同立への合格を手にした先輩がいたらしい。
どんなマジックを使って関西の難関私立大に合格したのか知らないが、唯一の希望を胸に自転車で1時間以上かかるこの学校に来た訳だが、その先輩の成績は常に学年五本の指に入っており、高校在学中に国家資格も取得していたらしい。
そんな生徒、うちの学校でにはまるで風雲児のようである。一体どんな先輩だったのかがとても気になる。
希望を胸に入学したが、先の中間テストの結果が結果なだけに、直弥のモチベーションは1学期の中頃にしてすでにダダ下がりもいいところである。
週に4日ほど入れているバイトのせいなのかは分からないが、テスト返却日以降授業でよく寝るようになってしまった。
おかげで6限目終了間際はいつも目が冴えている。朝から教室で受ける授業のほとんどを寝て過ごしているからだ。
黒いママチャリに鍵を差し込み、少し錆び付いた鍵を力技でこじ開ける。
ブラウスの上にベストを着た学生や、まだブレザーを着た学生達が歩く細い隙間をすり抜けて校門を飛び出した。
いつもこんな調子だ。
地元に近い場所をバイト先に選んでしまったことを常々後悔している。
早めに授業の終わった学生たちがチラホラ学校の近くで会話をし、笑いながらゆっくりと自転車を漕いでいるのを他所目に、直弥は全速力で黒い少しがたついたママチャリを飛ばす。
自転車を飛ばすと短く整えた前髪は全て後ろに持っていかれ、オールバックになってしまう。
しかしそれがまた気持ちよく、全身で風を受け止め、風に抗うように力強くペダルを漕ぎ続ける。
Gショックの腕時計で時間を確認すると、まだ時間は3時20分。このペースで自転車を走らせると4時過ぎにはバイト先へ到着出来る。
コンビニでパンを買って食べられる余裕が出来た。少し顔を綻ばせながら考えていると、遠くの山に雷が落ちた音が聞こえた。
音が聞こえると次は風が強くなり、次第に雲行きが黒ずんで来た。
まずいことになった。このままではこの辺りも雨が降る。特に強そうな。
昨日調べた天気予報に雨の予報は出ていなかった。
しかしここは京都の山間。
直弥の地元は京都の中心地外だ。基本的に予報は当たるが、山間の天候など予報があってない様なものだ。
自転車から降りて、リュックに携帯している折り畳み傘を取り出し、開いている途中に雨が降り出してきた。
パラパラっとした雨が数十秒降り、傘を片手に自転車を漕ぎ始めると雨は次第に強くなり、ものの1分ほどでパラパラとした雨はバケツをひっくり返したような土砂降りの雨に様変わりした。
とにかくペダルを漕ぎ進めるが、風の強さでスピードは落ちていくばかり。
雨の音が段々と強くなっているのが分かる。
何がなんでもという気持ちで自転車を走らせていたが、強風に煽られて開いた間もない折り畳み傘は反り返り、根元から風に持っていかれた。
自転車も前に進まなくなり、全身が雨に打たれ続ける。
万事休す。
黒い雲が覆い始めて辺りは暗くなり、陽の光など一切見えない。
それでも辺りを見渡すと、10メートル程先に小さなバス停が見えた。
あそこしかない。とにかく進まない自転車を無理やり両手で押し、強風に煽られながらも直弥は前へ前へと足を進める。

やっとの思いで辿り着いたバス停は、木造建ての屋根の付いた小さなバス停で、古くて薄いプラスチックでできた、随分と色落ちした青いベンチが一脚置かれていた。
自転車を屋根の下にぎりぎり入るベンチの前に置き、濡れたリュックから湿ったタオルを取り出し、雨でひしゃげた短い髪の毛をゴシゴシと拭いた。
根本から折れた折りたたみ傘は仕方が無いため、自転車の前カゴの中に雑に置き、長袖シャツの袖を肘が見えるまで捲りあげて腕を拭いた。
青いベンチに腰掛けると、全身が濡れているせいか、お尻やふくらはぎに嫌な感覚が染み渡る。
ジメッとして、乾く気がしない。おまけに低気圧のせいか吹く風は生温く、気持ち悪い。
幼稚園に入る前、遅めのオムツ離れをした頃に、お布団の上でおねしょをした朝のような感覚が下半身に広がって嫌な気持ちが広がる。
タオルが湿っているということはリュックの中は濡れ放題。
リュックのファスナーを空け、中に入っている茶色い合皮の財布やレジュメの入ったクリアファイルを抜き取り、ベンチの上に置き広げて乾かした。
レジュメ以外、教科書やノートの類は全て学校の机の中に置いて帰っている。勉強することに嫌気が刺したのが功を奏したか。
あまりいい気分ではないが。
膝を開き、肘を両太ももの上に乗せ、両手を組んで手の甲を顎に乗せながら直弥は小さくため息をついた。
バイト先に遅れる電話をしなければいけない。
間に合うと思っていたバイトがスコールのせいで確実に間に合わなくなった。
ポケットに入っていたスマホも雨で濡れていたが、手帳型のカバーのお陰が、画面は明るくついた。
あまり気持ちのいいものでは無いが、働いている以上責任がある。
直弥は頭はあまり良くないが、その辺の、社会的な立ち振る舞いの分別は着いている。
重い指先を動かし、バイト先のダイヤルを押し、電話をかけた。
思っていたより早く、2コールでガチャっと受話器を取る音が耳の奥に響く。
「お電話ありがとうございます。マクドナルド鴨川店、宮前です。」
少し太く、重い男性の声が聞こえた。
直弥が入っている時間のシフトマネージャーだ。
「すみません神崎です。」
「お、神崎か。どうしたこんな時間に電話なんかしてきて。もしかして今日入られへんとかちゃうやろな?」
胸の奥がゾクッとした。都合の悪い、今まさに思っていたことを先に言い当てられたこの感覚を一言で表すなら、最悪だ。
とにかく気持ちを知られないように平静を装って会話を続けようと胸に手を置き、一呼吸する。
「あ、はい…。そうなんです。実は雨が強くて…」
「雨?そんなん降ってないけど。」
「いや、こっちは降ってて。いま学校の帰り道なんですけど、歩けないほどの雨で。」
「んー。そうなんや。まぁええわ。今日は人おるし。また来れる時間になったら電話して。」
はい。と、言う前に切られてしまった。
普段からあまり愛想が良いとは言えない宮前マネージャーの言葉にはどこか刺がある。
その見えない刺が直弥の胃をキリキリと痛めつける。
ワイヤレスイヤホンを胸ポケットから取り出し、耳に差し込んでスマホのミュージックライブラリを開いた。
幾つか作ったオリジナルプレイリストの中から、今の心情、雨の降る光景に見合ったプレイリストをランダム再生した。
耳には美しいピアノ音が入り込み、深く落ち着く男性の声が気持ちよく聞こえる。福山雅治のSquall。
雨のテーマということもあってプレイリストに放り込んでいたが、直弥は今までしっかりとSquallを聞いたことがなかった。
歌詞は雨が上がった空を思い描いた所から始まった。
歌詞を聞くと風景を思い描けそうな気がしたが、歌詞の意味がまだ理解出来ずにいる。
どのような情景なのか、分からないがおそらく直弥より、もっと大人の歌詞なのだと思う。
足を開いたまま背中をベンチの腰掛けに預け、頭を少し上げると視界には木でできた天井が半分、斜めに流れ落ちる大粒の雨が半分見えた。
耳から聞こえる曲の穏やかさに対し、視界から入る光景は反比例していて、本当の気持ちを押さえ込みながら平静を装う自分自身と照らし合わせ、心が無性に寂しくなった。
1番のサビが終わり、福山雅治さんの綺麗な声で2番の歌詞が始まった時、イヤホンをしている耳に小さくバシャバシャという音が聞こえた。
音楽を止めて視線を落とすと、そこには女の子が1人たっていた。
この雨の中走ってきたせいなのか、女の子はバケツの水を頭から何度も被ったような風貌をしていた。
女の子はこちらを見ずにベンチの端で立っている。
肩にかけた市販の焦げ茶色のスクールバッグを空け、中から卵色のタオルを取り出し、項から首にかけて滴る雨を拭った。
その一瞬の光景に直弥の胸の奥に熱い何かを感じた。
直ぐに視線を先程までの位置に戻し、木の天井と大粒の雨を見上げた。
数秒して右手をベンチに置いて気づいた。
先程濡れたリュックの中の荷物をベンチに丁寧に並べていたことを。
ハッと視線を落とし、ベンチの上いっぱいに広げた荷物を自分の方へと掻き集め、濡れた荷物を置いて湿ったベンチを直弥の肩からかけたタオルで拭き取る。
女の子の方へ視線を少しやるが、女の子は雨の降る遠くの山を見つめている。
手に持ったスマホの画面を着け、京都の天気予報を見ると一部地域に雨と落雷と出ている。
バイト先で宮前マネージャーに何を言われてもいいように、その画面のスクリーンショットを撮影し、日時も入っていることを確認して直ぐに見せられるように写真フォルダの1番上に移動させる。
ほっと一息着いたところで、やはり気になる。女の子の事が。
折角ベンチのスペースを開けたと言うのに、座る座らぬよりもこちらに見向きもしない。
ほんの少しだけ直弥はイラッとした。
そんな自分を抑え込み、仕方がない。自分の方が大人だと言い聞かせる。
「あの、ベンチ開けたんで良かったら。」
その一言で女の子はこちらを見た。
「あ、すみません。ありがとうございます。」
そう言って女の子はベンチに座った。
その後特に話すことも無く、雨を見ながら座っていたが、どうも気になる。
チラチラっと顔を動かさず横目で女の子を見てしまう。
スカートは紺色で薄い白色のストライプが入っている。
シャツは半袖の夏服。
そして深緑のリボン。
間違いない。この制服はうちの学校の物だ。
実際制服を見ずとも近くにうちの学校しかないこのバス停を利用している学生など、うちの学校以外ありえないのだ。
おまけに緑のリボン。学年まで同じときた。
声をかけるか。しかし初対面である。
何より高校に入ってから直弥はまだ1度も学校の女子と話したことがない。
恥ずかしい話だが、高校生にもなってうちの学校では男女の壁がとても厚い。
もし話しているところを誰かに見られるとそれだけで除け者扱いもいいところである。
何故そうなったのか直弥にも分からないが、入学してすぐにその雰囲気を肌で感じた。
特に男女で仲良くすることに昔から抵抗の無い直弥としては、少々窮屈な学校である。
「これ、羅生門の感想文のレジュメだよね。」
迷っていた矢先、ベンチの端に座る女子が直弥に声をかけてきた。
女子は直也が自身の方へ掻き集めた透明のクリアファイルの中に透けて見える、今日授業で貰ったレジュメを指さしてそう言った。
本の数秒の間が開き、直弥はうんと答えた。
「だよね。このレジュメ私も一昨日貰ったもん。」
「一昨日?」
「そ。一昨日。うちのクラスは一昨日貰ってもう提出したよ。」
そうか。クラスが違うから授業の進み具合も違ってくるのか。当然と言えば当然だが。
「あ!ごめんね。なんか話しちゃまずい雰囲気なんだよね。この学校…。」
この子も気づいている。これも当然と言えば当然か。あの空気感に気づかない方がおかしい。
「いや、いいよ。ここは俺たちの他に誰もいないし。」
「そっか。ごめん。ありがとね。」
「君って何組なん?」
「私は5組。三原先生のクラス。」
「三原先生?」
「ほら、若い女の先生の。」
「あ、あのちょっとエロい!」
しまった!と思い右手で口を塞いだが出てしまった言葉は手遅れだ。
出会って早々セクハラ発言をしてしまった。
「あ、いや、今のはちょっと…」
「別に大丈夫だよ。クラスの男子もよく言ってるし。それに私もあの先生ってなんだか狙ってやってるようにも思うんだよね。」
危なかった。しばらくの間女子と会話する機会が無かったせいか、言っていいことと悪いことの分別を付けられなかった。
「そうだ。国語って三原先生?それとも山田先生?」
「俺のクラスは三原先生やけど。」
「じゃあ私と一緒だ。これ早く書いた方がいいよ。確かこのレジュメの内容って結構成績に左右するって先生言ってたし。」
「え、そうなん!?」
「逆に聞いてなかったの?少なくともうちのクラスじゃ先生ちゃんと授業中に言ってたよ?」
そうだったのか。
寝ている間に配られた何を書いたらいいのやらさっぱりのレジュメであったがそういうことか。
後ろの席の真田に聞いておけばよかったと後悔する。
「これってどんな内容を書いたらいいか知ってたら教えてください。」
「書く内容も知らなかったんだ。」
彼女は少し引くような素振りをして答えた。
しかし引く程なのか?いくら寝ていた直弥が悪いとはいえ、うちの学校の生徒ならその程度いくらでもありそうなのだが。
「わかった。席譲ってくれたお礼に教えるね。」
「ありがとう。恩にきります。」
「一応少しだけレジュメの上に書いてるんだけど、要するに羅生門って最後に老婆と下人はどうなるのか明言されずに終わる物語だから、その後の老婆と下人の姿について考えてみなさいって内容よ。」
「羅生門ってそんな内容やったんか。」
「はぁ?ほんと授業全然聞いてないんだ!びっくりした。羅生門って言うのはね、1000年以上前の物語で、ここ京都の朱雀大路を舞台に書かれた有名な小説なの!」
いやいやいや。確かに羅生門という小説の存在はみんな知っていると思うが、うちの学校のやつらがどれだけその内容を知っているのか疑問である。
「あのー。失礼やけど君って成績良いの?」
「どうなんだろ。一応この間の中間テストは三原先生に聞いたら学年1位だって言ってたけど。この学校だからなのかな。」
「1位!?それで頭が良くなかったらやばいって!」
まさかとは思ったが、まさかそこまでの成績とは恐れ入った。
直弥の成績などとは雲泥の差である。
「ま、実はね。私本当はこの学校に行くつもりじゃなくってもう少しレベルの高い学校に行くつもりだったんだけどね。2月の終わりに親の仕事の転勤が決まっちゃって、3月に埼玉から京都へ引っ越してきたばかりなの。それで高校を選んでる暇もなくって、少し遠いけどこの学校に決めたの。」
なるほど。だから言葉も標準語なのか。それに頭もよく成績が良いのか。
「本当はね、早慶目指せる学校に行きたかったんだけど、急な転勤ってこともあってここでいいやって思っちゃったの。勉強は自分でもできるから。」
「早慶ってなんなん?」
「?早稲田慶応だけど。」
なるほど。早慶。そういうことか。
うちの学校で大学名を聞くことさえ滅多にないのに、当たり前だが早稲田慶応などピンとくるはずもない。
しかし学年1位とは恐れ入った。
頑張れば関関同立も夢じゃないと思っていた自分がバカバカしく思えてくる。
話で夢中になっていたが、視線を彼女の頭からブラウスへ目をやると雨で濡れたせいか白いブラウスが透け、腕の肌が艶めかしく見えた。
その艶めかしさに気を取られ、口の中がかわいていることに気が付き、ベンチに置いたペットボトルの水を飲み込んだ。
話を変えようと一呼吸置き、頭の中をフル回転させる。
考えが纏ま理想になった瞬間、彼女の目線が少し上を向き、直弥の目と合いそうになり考えた言葉を意図せずぎこちなく発してしまった。
「そういえば君部活してないの?」
「してないよ。バイトはしてるけど。そういうそっちはどうなのさ。部活してないの?」
「してない。しようかなって思ったけどなんかこの学校の雰囲気があまり好きじゃないの。」
「俺もこの学校の雰囲気好きじゃないよ。寧ろ嫌いやな。」
「意外!男子でもあの雰囲気が苦手な人いるんだ。」
「なんて言うか、男女間で変な壁あるやん。高校生にもなって。そこがちょっとなぁ。」
「うん。そうだよね。ちょっと考え方が子供っぽいっていうか。」
皮肉にも、お互いが抱いている学校への不満で意見が一致してしまった。
視線を外に戻すと、雨はまだ止みそうにない。
しかし先程までの温い風邪は止まり、肌のベタつきがより一層増した気がする。
彼女を見ると、すらっとした首元に汗が溜まり、ポニーテールからちらっと見える、薄い毛が生えた項が汗で光って、それがとても艶かしい。
彼女はスクールバッグから細かい傷が全体についた半透明の下敷きを取りだし、シャツのお腹の部分に扇いで風を入れている。
直弥も同じように、文字を書くために1度も使ったことの無い綺麗な下敷きを取りだし、首元を扇いだ。

「名前は?」
「私?」
「うん。」
「先に言うのが礼儀じゃない?ていうか普通女の子に先に言わせる?」
いちいち言葉の端々に刺を持ちながら話す目の前の女子に、ビクついてしまう自分が情けない。
「神崎直弥。2組だよ。」
「神崎君か…。私は木津葵衣。5組。あれ?さっきも5組って言ったかな。」
「羅生門の話の続きだけど、神崎くんって羅生門のことどのくらい知ってるの?」
「全く。」
「もしかして授業聞いてないの?」
「15分ぐらいは頑張ったけどさ」
「やばいね。全くダメじゃん。」
まるで先生に怒られているような気持ちになる。
木津葵衣は直弥がベンチで乾かしている荷物を物色し、国語の教科書ないじゃんと言い放ちムスッとした。
「いいよ。私の教科書見て教える。」
「ありがとう。」
「どういたしまして。神崎くんの荷物見たけど教科書全く入ってないじゃん。」
「そりゃまぁ全部学校に置いてるし。」
「呆れた…。まぁいいや。羅生門よね。羅生門はね…」

「つまりこの課題の内容は、死人から物を盗むことを躊躇していた下人が、今日を生きるために老婆が生きていく術としていた身ぐるみを剥ぎ取って、どういった感情になったのか。それを考えなさいって言ってるの。」
「それとレジュメの裏に乗ってる課題の内容はその逆で、今日を生きるために死人から身ぐるみを剥ぎ取って生きてきた老婆が、誠実に生きようとしていた下人の心の変化についてどう思ったのかを考えなさいって言う内容ね。」
羅生門という1000年ほど前の物語について、木津葵衣はスラスラと話した後、このレジュメの問題について直弥に解説した。
少し長い言葉だったが、今の解説で大体は理解することが出来た。
「下人も老婆も今日を生きるのに必死やったってことか。」
「ま、平たく言えばそういう感じね。お互い中身は違えど、今日を生きるのに必死だったって訳。純文学って物語性よりも表現技法を評価されがちだけど、私はこういった内容も好き。」
「今まで興味なんてなかったし、ただ難しいだけやと思ってたけど、下手な漫画を読むよりおもしろいかもしれない。」
「純文学のおもしろさわかる!?」
「ま、何となくやけどね。」
木津葵衣はそっかそっかと何回か繰り返し、嬉しそうに国語の教科書を右手で抱きしめた。
ふと自分の手のひらを見ると、汗で濡れていた。
「でも変わってるよな。純文学が好きって。やっぱり早慶…やったっけ。狙ってるだけあるよ。」
「まぁね。」
「でもうちの学校でそんな話の合うやつっておる?」
「んー。いない…と思う。」
「そやよなー。俺も友達そんなおる方じゃないけど、居らんそうな気がする。」
木津葵衣の手を見ると紺のスカートの裾をぎゅっと握りしめていた。
どうした?体調でも悪いか?と、聞いてみたが木津葵衣は無言で首を横に振った。
首を振った時、雨で濡れた湿った髪の毛が揺れ、甘く優しい匂いがした。
「まだこっちに来て慣れてないから。友達も…。」
言葉に詰まった。少なくとも直弥はそう感じた。
強気で、少し高飛車に話していた彼女の弱さが垣間見え、苦しくなった。
長く暗い、廊下を歩き続け、光さす場所を求め、途方もなく歩き続ける。
羅生門の雨止みは、止むことのない雨をただひたすら見つめ、自身の置かれた立場を比喩させる物だ。
たとえ雨が止んだとしても、主人に休暇を出され、暫く出ていくようにと言われた下人の行先は無いも同然。
直弥と葵衣は、ザァーっと降り続く雨の音をただただ聞き入れるしか他に、どうしようもなかった。
「なぁ、友達ってそんなに大事なものなんかなぁ。」
「え?」
「友達って。そら居てたらそれはそれで楽しいこともあるやろうし、気持ちの面で楽に思えるところもあると思う。」
「でもさ、自分のしたいことをするのに友達って、そんなに必要なもんなんかなぁって。羅生門の下人と老婆の今を生きる姿を聞いてたらそんなこと思ったんよな。」
彼女は無言で直弥の話を聞いていた。
スカートの裾を握りしめる手は依然強いまま。
雨も風も、僕たちの邪魔をせず、ただただ自然の強い音を出しながら宙を舞っている。
「木津さん。雨が止むまで迎えのバスは来やんよ。」
すると木津葵衣は突然立ち上がり、外に飛び出した。
「ちょ、なにしてんねん!夏やからってそんなことしたら風邪ひくぞ!」
突然の行動に直弥は驚き、焦る。
雨に打たれながら、ポニーテールの根本で括ったゴムを取り、髪の毛を雨で流した。
「わかってる!そんなこと言われなくても。だからもう少しだけ待って!雨が止むまで!」
それから2分ほど、彼女は直弥の反対側、山の方を向き、突っ立っていた。
雨も風も強い。その中で立ち尽くす彼女はもっと強く、直弥の目に映った。
「ごめん。羅生門の話、私が神崎くんに教えてたはずなのに、神崎くんに教えて貰っちゃったね。」
そう言って彼女はまた古びた青いベンチにまた腰をかけた。
バス停へ戻ってきた木津葵衣の表情はどこか柔和になっている。
少し前にタオルで拭いた彼女の髪の毛はまた濡れて、白い夏服のブラウスも肌色が見えるほど透けている。
そのまま2人は何を話すともなく、ただ吹き荒れる雨をじっと見つめていた。
「くしゅんッ!」
くしゃみだ。
「大丈夫?さっきので風邪引いたんちゃうの?」
少し笑いながら直弥がそう言うと、かもね。と木津葵衣も笑いながら返した。
すると木津葵衣は直弥の乾かしている荷物を眺め、その中にあったクリーム色のニットベストを手に取り、借りるね。と言ったのも束の間、濡れた夏服のブラウスの上にオーバーサイズのニットベストを着始めた。
「ちょ、それ俺のやし雨で濡れてるから…」
「いいじゃん。ちょっとだけ。寒くなっちゃったの。風邪ひくとまずいじゃん?」
ズカズカと人の心の領域に勝手に入り込んで、人の家の冷蔵庫に入っているアイスを勝手に食べるようなやり方。
確かにこれでは友達が出来にくいのも仕方ない。
許す許さないと言うより、どこか飛んでしまっている。
たった1人でも、彼女の理解者…とまではいかないのかもしれない。それでも直弥は彼女を知ることが出来た。彼女のことを知る友人として。木津葵衣を見つけられた。
そしてそんな直弥を理解できる可能性があるのも、木津葵衣だけなのかもしれない。
木津葵衣は派手な外見ではないが、垢抜けた顔立ちをしている。
彼女には大きすぎる直弥のニットベストも、上手く着こなしている。
それでいて彼女は頭脳明晰。
そんな彼女を周囲はどう思っているのだろうか。
大人しく真面目な子、という訳でもなく、派手でおバカな子、という訳でもない。
どこか癇に障る様なことを言ってのける反面、彼女自身とても弱い一面もある。
たった数十分間の関係ではあるが、少なくとも直弥は木津葵衣を理解したいとそう願っている。
互いに適切な距離感を、物理的にも感覚的にも開け、雨の音を聞いていると、軽快な音楽がベンチに置いているスマホから鳴り、ベンチが振動で揺れた。
SNSの通知音だ。
スマホの画面をつけると、さっき電話したバイト先のマネージャー、宮前マネージャーからメッセージが届いていた。
“こっちの方も雨が降ってきました。かなり強い雨ですね。雨が止み次第出勤お願いします。”
どうやらここの雨が直弥のバイト先の地域まで広がり、勢いよく降り出したらしい。
返信を入れようとした時、不意に親指が画面の端っこに触れた。
画面が意図せず右にスクロールし、木津葵衣に出会う直前まで聞いていた福山雅治のSquallが2番の出だしから再生された。
スマホと一緒にベンチに置いていた、白いワイヤレスからSquallが聞こえる。
少し弱った雨の音で掻き消されそうな音量でベンチのワイヤレスイヤホンから福山雅治の声が細々と聞こえる。
「これ、福山雅治?」
音に反応した木津葵衣は白いワイヤレスイヤホンを1つ取り、雨に濡れた黒い髪の毛を白い耳の上に掛け、夏服で顕になっている透き通るような白い腕を耳にあて、イヤホンを耳に入れた。
「音量大きすぎるよ!ちょっと音量下げて。」
相も変わらず強い口調で直弥に言い放つ。直弥の持ち物なのに。
音量がどの程度なのかわからないので、直弥ももう片方のワイヤレスイヤホンを右耳に入れ、音の大きさを確かめた。
先程までの強い雨のせいで聞こえにくかったのだ。確かに音量はとても大きい音になっていた。
スマホの音量キーを少し下に下げ、今の雨音に合わせ、心地よく聞こえる程度に音量を整える。
Squallの2番以降の歌詞は恋をしている感情をとても哀しく、儚いものとして捉えていて心が痛む。
横を見ると木津葵衣がベンチの後ろに両手を置き、少し上を向きながら外の雨を眺めている。
歌詞の意味を体験したことは無い。それでも今の直弥には分からないでもない歌詞だと思える。
曲が進むにつれ、喉が乾き、身体の奥が熱くなっているのが分かる。
雨が少し弱まるのと反比例し、曲は核心に迫り、直弥の体温も上昇して、息苦しい。
いつか大人になったらこんな恋をしてみたい。そう思っていた。
今だってそうだ。こんな恋をしてみたい。こんな青春を送りたい。ただただ平静を装いながらそう願っている。
肘まで捲っていたシャツが手首までダラっと落ちていて、湿ったシャツと肌がくっついて気持ち悪く、暑い。
もう一度シャツを肘まで捲りあげ、両手を組んで外を眺める。
屋根に落ちる水滴の音が小さくなるのを左耳で感じ、雨粒が小さくなり量も少なくなっていることを視覚で理解した。
雨が止みそうだ。
止まないでほしい。
この強い雨がずっと続いて欲しい。そう願っている。
彼女はどうなんだろう。木津葵衣は。
ずっと探し、願っていた。
こうやって出会えることを。
たった数十分前。まだ1時間も全然経っていない。
でもわかるものなんだ。自分の感情なんて。
平静を装っても、隠せない。
君もそうあって欲しいと願ってしまうほど、直弥の心臓は大きく揺れ、痛みを伴う。
この感情を何と表そう。
夢なのか、憧れなのか。
それとも全く違った、今までに経験したことの無い感情なのか。
木津葵衣はどう思っているのだろうか。
出来ることなら彼女も同じように、雨が止まないことを願っていて欲しい。
雨が降らなければきっと出会ってなどいない。
同じ学校でも、交わることは無かっただろう。
この感情を知ることがただ怖かった。
きっと直弥だけじゃない。多くの人がそう思っている。
そしてそれは木津葵衣も同じだ。
ただ自分が救われたい、報われたいと願うだけでは気づけない感情だ。
僕にとっての彼女は何か違う。きっと今までに経験したことの無かった何かが。
君を知りたい。君を楽しませたい。君を理解したい。
この雨がずっと続けばいいのに。
この雨が。ずっと。

Squallが止まると、雨の音も鳴り止んだ。
イヤホンを外して木津葵衣と一緒にバス停から出て空を見上げると、そこには青く晴れた空が広がり、虹の橋が遠くの山と山を繋いで架かっていた。
地面のアスファルトは濡れていて、熱い湿気が地面からムンムンと込み上げてきて、暑さに耐えかねた木津葵衣は直弥のベストを脱ごうとした。
両手でベストの裾を掴み、ベストを勢いよく頭から脱いだ。
その時夏服の裾がスカートから脱げ、白いおへそがチラッと一瞬垣間見えた。
何とも言えない感情が直弥の中で込み上げた。
「はい。ありがとね。ちょっと助かったかも。」
視線を合わせず木津葵衣は直弥にベストを強く突き出し、手渡した。
すると広い道路の遠くに1台のバスが走ってきたのが見えた。
どうやら雨で遅延していたバスが走り出したらしい。
「あれバスちゃうん?」
「やっばい!急がなきゃ!」
木津葵衣は慌てて濡れたスクールバッグにタオルや下敷きを詰め込み、スクールバッグからICカードの入ったカード入れを取り出して膝丈のスカートのポケットに入れた。
雨が止んだ、ということは直弥もバイト先へ向かわなければいけない。
時間はもう4時20分。勿論急いだって間に合わない。
ただ店舗が忙しいのもわかる。
コンビニに寄ってる暇などない。
リュックに乾かしていた荷物を詰め込みながらグルルと鳴るお腹に手を当て、小さなため息をついた。
「なに?お腹空いてるの?」
「あ、うん。今からバイトもあるしな。」
「そっか。バイトか。」
バス停の時刻表の前に立つ木津葵衣は思い出したかのようにスクールバッグを空け、荷物の中からビニール袋を取り出した。
「よかったらこれ食べなよ。今日お昼ご飯で食べようと思ってたんだけど、ちょっと多かったんだよね。」
「何これ」
「開けてみなよ」
「…パン?」
「んー。半分正解。答えはベーグル。」
「ベーグル?」
「サンドウィッチみたいな物よ。いらなかったら返してもらうけど。」
「いいよ。ありがたく頂戴するよ。」
「あっそ。買ったやつだから不味くないと思うけど。」
「そう言い方するから…」
直弥が説教混じりの言葉を言おうとした瞬間、遠くに走っていたバスが目の前に停車した。
バスの扉が開き、車掌が行き先を車内放送で案内する声が外に漏れる。
足下の階段を踏み外さないように下を向きながら木津葵衣はバスに乗り込もうとしている。
このままでは木津葵衣は何も言わずバスに乗り込む。
冗談じゃない。やっと巡り会えたんだ。
きっとそれは直弥だけじゃない。木津葵衣も同じだ。
何を企んでいるかなんて分からない。
それでも直弥にはこのまま別れると木津葵衣ともう会えない気がした。
会えても、きっと今まで通り。今までと何ら変わらない、ただの赤の他人としてしか会えない気がした。
それだけは絶対に嫌だ。
夢でもない、憧れでもない。気づいたこの感情を無駄にしたくない。
バスの階段に両足をかけたその時、直弥は一歩踏み出した。
木津葵衣の左腕をギュッと掴んだ。
「ありがとな。羅生門。教えてくれて。おかげで面白さに気づけたよ。」
「…痛い。」
「あ、ごめん!」
腕を強く握りすぎていた。
「それに暑い。でもまぁ、いいや。私の方こそ今日はありがとう。」
「だからさ、また今度どこかで会ったら話そうよ!おれ、小説のこともっと知りたい!それに木津の事も知りたい!」
無我夢中で叫んでしまった。
最後の一言は考えてもいなかったが、言葉が勝手に先走っていた。
言って顔が熱くなり、熱でもあるような感覚を覚えた。
「雨の日。雨の日はきっとこのバス停に一人でいると思うの。だからまた雨の日にこのバス停に来て。待ってるから。」
今日1番の大きな声で言い放った後、木津葵衣は直ぐにバスに乗り込んだ。
バスが油圧式特有のプシューっという音を出し、ブロロロロっとエンジンをかけて走り出した。
最後の一言を言い放ち、そして最後の一言を聞いた直弥は少しの間その場から動けずにいた。
胸に手を当て、大きく息を吸い込んだ。
木津葵衣に貸して夏服の上に着ていたニットベストを着ると、甘い匂いがして、その匂いのせいか分からないが、顔がほのかに紅潮したのがわかる。
湿った黒いリュックを肩に掛け、自転車に跨り、地面を蹴った。
雨の後の風はジメッとしているが、どこか気持ちがいい。
先程もらったベーグルを袋から取り出して食べてみると、中にはレタスとハム、マヨネーズが挟まれている。
少し顔の筋肉を綻ばせ、ベーグルの味を噛み締めながら、次に雨が降る日は直弥も夏服に着替えていこうと決めた。











あとがき

皆様お久しぶりです。
いかがだったでしょうか今回の短編作品。
夏服とスコール
Twitterで少し情報を書いていたのですが、こういうことでした。
ここ最近、通勤で電車に乗っていると夏服を着ている学生さんをよく見かけるようになりました。
夏は春夏秋冬の中でも明るさと元気良さを司る季節だと思っています。
春と夏の間の梅雨。梅雨ってジメジメして足場も悪くて嫌な季節ですよね。
そんな季節を少しでも楽しんで頂きたいと思い、梅雨の時期の物語を書きました。
筆者の高校生時代も夏は青春が詰まりに詰まった季節でした。
特に17歳、高校2年の夏は思い出が強すぎて強すぎて。
男女10人ほどのグループでドンキホーテで水風船を買って、公園で水風船をぶつけ合い、濡れた制服(夏服)のままマクドナルドで2時間ほどダラダラと笑いながら話したものです。
恋に友情に勉強に
人生を彩り豊かにするために必要な事を学べるとても良い年齢なのです。
今回の作品は“雨”と“夏服”にまつわる物語なのですが、私は勝手に“雨”+“夏服”=“エロ”という結論を出してしまいました。
勿論この“エロ”に関してはあくまでも高校生レベルのエロと認識して頂きたいのです。
このエロをどうやって表現するかに色々と試行錯誤したのですが、やはりそのままが1番良いと気づきました。
本当はね、自転車で2人乗りをして擦れ合う制服と肌の感触とか、2人で1つの傘を使って手と腕が触れて滴り落ちる雨の感触が艶めかしいだとかそんなの書いても良かったのですが、高校1年生の初めですからね、順序が必要なわけです。
という訳で今回は超超超ソフトエロを感じれる作品となりました。
京都を舞台にしましたが、四条や七条出町柳、伏見稲荷などを舞台に選ばなかったのは、素朴感を出してみたかったというのが最大の理由です。
このバス停はとある京都の山間部をモデルにしています。
数年前に筆者が一人で四条からバスに乗ってその場所へ向かった時、急に大雨が降り出し、近くに雷が何度も落雷し、とても怖い思いをしたことが今回の作品表現に反映されています。
夏場に人気の少ない山間部には行かないに越したことはありません…:( ;´꒳`;):
あれは本当に怖かった…
そうそう、今回の作品なんですが、夏服と雨というテーマ以外にもインスピレーションを受けた作品が幾つかあるので種明かししておきますね。

・福山雅治/Squall
・芥川龍之介/羅生門
・AKB48/スコールの間に

この3作品に大きな影響を受けました。
福山雅治さんのSquallと芥川龍之介先生の羅生門はがっつり本編に関与していましたね。
Squallは子供の頃わけも分からず聞いていた曲で、大人になってからあの切ない恋心を理解し、強く感じるようになりました。
羅生門な筆者が中学生の時国語の授業で初めて触れた物語です
羅生門も歳を重ね、昨年久しぶりに芥川龍之介先生の短編集を買って読んでみると、大人になって色々な経験をしてから読むと、こうも見え方が違ってくるのかと驚かされました。
そしてAKB48さんのスコールの間になんですが
これは本編の筋書きに大きく関与しています。
最も、このスコールの間にという曲をご存知の方は極小数かと思います。
もしお時間の許される方がいらっしゃれば1度聞いてみてください。
こいつ影響受けてんなぁと思われると思いますので。笑
それでは今回のあとがきはこの辺りで終わろうと思います。
最後まで読んでくださった方々、ありがとうございました。
次回の更新もよろしくお願いします。
それでは次回の更新でお会いしましょう。さようなら。

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