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自分は自分。他の「何者」にもなれない、ということに気付いたから、摂食障害克服に向かうことが出来たのかも

みなさん、こんばんは。今日は、私が摂食障害(過食嘔吐)を克服するきっかけ(だったかもしれないこと)について書きたいと思います。

昨日、摂食障害当事者と経験者などが集まって、主催者(経験者)さんのお話を聞いたり、参加者同士で話し合いなどを行ったイベントに参加しました。

その中で、主催者(経験者)さんが

「摂食障害(食行動の異常)は回復しました。でも、摂食障害が回復したら全てがハッピー!みたいなことにはならなくて、回復後も生き辛さは感じています」

みたいなことをおっしゃっていました(録音していた訳ではないので、正確ではないかもしれません。間違ってたらごめんなさい)。

そのお話を聞いて、頭に浮かんだことを、今日は書きたいと思います。

私が、摂食障害(過食嘔吐)を克服したい、と思った直接的なきっかけは、「普通に食べたい」と思ったことと「自分を客観的に見ることができた」ことだと思っています。

テレビを見ていて「人と、普通に、食事がしたい」と思うようになった ⇩

ある男性と出会ったことで、自分を客観的に見ることができた ⇩

今振り返ってみると、もう一つ、内面的というか、無意識的なきっかけもあったのではないか、ということが、昨日お話を聞いている時に、ふと頭に浮かんできました。

私が摂食障害になった直接的なきっかけは、就活(就職活動)だったと思います。当時は、いわゆる「バブル」崩壊後で、今ほどではないかもしれませんが、なかなか内定が出ない時期でした。私も、何十社と受けては、落ちてを繰り返していました。そんな中で、ニュースか新聞かで、「アメリカでは、肥満者は会社での昇進(出世)に支障がある。なぜなら、肥満とは自己管理ができない、と見なされるから」みたいな記事を目にしました。

自分の中で「太っている ⇨ 自己管理能力なし ⇨ 仕事なし」という構図が出来上がってしまい「痩せなきゃ」と思うようになりました。

その後は、おそらくみなさんと同じように、体重が減ることに魅了され、痩せることに憑りつかれ、拘って、囚われて……

「痩せていなければ、痩せ続けなければ自分ではないし、自分であり続けられない。痩せていなければ、痩せ続けなければ誰にも受け入れられないし、仕事もないし、自分の居場所さえない。そして、痩せれば、痩せ続ければ全てが順調で、全てがうまくいく。痩せれば、痩せ続ければ全てが変わる、今までの自分を変えることが出来る」

そんなことを思って、あらゆる手を尽くして「痩せる」ことを追い求めていました。

ところが、痩せ続けることには限界があり、食事制限だけでは痩せられなくなってきましたし、食欲を抑えることも難しくなってきました。そんな時に、私に「救世主」が現れました。それは……「過食嘔吐」。

再び痩せ続けることが出来るようになりましたが、それも一時の儚い夢で、今度は「救世主」が「絶望」と化してしまいました。そう……過食嘔吐の蟻地獄にはまって、抜け出せない毎日を過ごすようになりました。

「痩せれば、痩せ続ければ全てが順調で、全てがうまくいく。痩せれば、痩せ続ければ全てが変わる、今までの自分を変えることが出来る」

そう思って、痩せて、痩せて、死ぬ思い(自殺未遂)までして痩せた先には、何もありませんでしたし、何も変わりませんでした。

当時の私が、痩せて何になりたかったのか、何を変えたかったのか、就職したかったこと以外、正確に、具体的なことを思い出すことは、今は出来ません。ただ、このままではいけない、現状のままではダメ、ありのままの自分は変えなければならない、そうしなければ、どこにも辿り着けない、というような思いに追い立てられていた気はします。

就活がきっかけで始めたダイエットは、やがて過食嘔吐を招き、過食嘔吐をやめる(コントロール出来ない自分の行動をストップさせる)ために自殺を試みましたが、幸か不幸か(今は「幸」だと思っています)自殺は未遂に終わりました。

その後再び過食嘔吐を繰り返すようになりましたが、もう一度死ぬ勇気も気力もなかった私は、何とかして生きながら、生き続けながら過食嘔吐を克服するしかありませんでした。

自分のことを、根本的に、あるいは劇的に、180度変えることは、もしかしたら出来ないのかもしれない。どんなに頑張っても、あらゆる手を尽くして「痩せる」ことを追い求めても、昨日より痩せ続けることは出来ない(冷静に考えれば当たり前のことですが)。

「まぁ、いっか」とか「適当でいいじゃん」って、ほんの少しはそう思ってやり過ごせても、心の底から、全てにおいてそうすることは、どうしても出来ません。

一時的に太ったとしても、やっぱりどこかで「あと少し」痩せたい気持ちを完全に手放すことも、どうしても出来ません。

「完璧主義」も「痩せたい」も「食べたい」も、完全に諦めて、手放して、今までと全く逆の価値観で生きていく、生き続けていくことは、出来ないのかもしれない。・・・私は、無意識的に、どこかでそのことに気付いて、そして「変わること」は目指さない、追い求めない、今のままで生きていくことを選択したのかもしれない、そんなことが頭に浮かんだのです。

認めたくなかったかもしれない、変わりたかったかもしれない、受け入れられなかったかもしれない、そんな自分ですが、そんな自分をありのまま、そのまま受け止めて、それでも今日も生きていく、生きていかなければならない。そして明日へと繋いでいく。

確かに「食べ方」は変わりました。吐くこともしませんし「吐くまで食べる」的な食べ方もしなくなりました。でも、毎日食べてるし、3000カロリーは飲んで食べてるし、体脂肪率減らしたい気持ちも持ち続けています。

相変わらずの「完璧主義」も健在(?)で、毎日noteは書いてるし、筋トレも毎日しています。

ただ、いろいろな経験を経て、日常生活に支障のない範囲、という「程度」というか「限度」は身に染みて感じた、ということは言えるかもしれません。

摂食障害の克服って、もしかしたら「自分を変える」ことではなくて、「ありのままの自分を受け入れる」ことなのかもしれません。昨日はそんなことを考えさせられるような、とても有意義な時間を過ごしてきました。


昨日お会い出来たみなさん、そして今日お読みいただいたみなさん、本当にありがとうございます。

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