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Before & After


※「ザ・フラッシュ」と「岸辺露伴 ルーヴルへ行く」の核心に触れています


多分多くの人が「あの時ああしていればな〜」の一つや二つはあるのではないだろうか。私にもあるといえばある(笑)

そういう後悔があったとしても、基本的にというか絶対的にその過去は変えられない。それが現実である。

しかし、過去改変ができることもある…そう映画の中でならできるのだ。

バックトゥーザフューチャー
ターミネーター
アバウトタイム

など過去を変えて未来を変える系の作品は枚挙にいとまがない。

今回取り上げた「ザ・フラッシュ」もであり、主人公バリーは母親を亡くしており、父親はその母親殺しで裁判で有罪になりそう(どうやら母親は別の人に殺されている模様)で自暴自棄になり、夜の道を走っていると以前から持っていた超速能力を更に超えたスピードとなり、母親が死ぬ前の過去に辿り着く。

そこでバリーは母親が死ぬことのないように細工をして現代に帰ろうとするが、途中の時代で押し出され、その時代で現代で頼りにしているバットマンに会いに行ったら、ベンアフレックではなくマイケルキートンになっていて、さぁどうしようという話である。

過去でほんの少しのことを変えただけで、バットマン以外にスーパーマンはスーパーガールになっていたりもしている。

バリーは最終的に母親が死ぬ運命を受け入れ、それでも父親が無罪になる細工をして現代へ帰ってくる。それによって無事に父親は裁判で無罪になるが、現代のバットマンはジョージクルーニーになってしまうオチであった。

過去を変えることが現代にどれだけ影響するかの意味を映画から突きつけられるわけだ。

それは今私達が生きるこの現実世界でも言えることで、様々な過去の積み重ねがあって今の私達がある。例えば、あの小学校ではなく別の小学校へ行っていたら全然違う職業に就いているということもあるだろう。

だからよく「現実を受け止めよ」「過去は変えられなくて未来は変えられる」と言うのだが、今だに後悔という言葉が死後になっていないところに私達は後悔を今日もしているのだなとも思う。

そんな後悔を突きつけてくるのが「岸辺露伴 ルーヴルへ行く」である。

今作のキーアイテムである「黒い絵」を観た人は自分の後悔に苛まれて、前後不覚となるし、場合によっては死へと引き込まれていく。

様々な不思議な事象に遭遇し、それに対応してきた岸辺露伴でさえ「黒い絵」が突きつける後悔に苦しめられる。

そうか、あの露伴先生でも様々な後悔があるのかと思ったわけだ。

ヘブンズドア(露伴が持つ特殊能力)を使ってなんとか乗り切るわけだが、注目すべきは岸辺露伴の担当編集(露伴は漫画家である)の泉京香である。

実は彼女も黒い絵を観ていたのに、涼しい顔で絵の感想を話す。そう、泉は後悔がないので苦しめられなかったのだ。これには露伴も脱帽だった。

ザ・フラッシュと岸辺露伴ルーヴルへ行くで描かれた、それぞれの後悔の描き方から何を考えるか。

自分も走って時を越えられるぐらいの能力を身につけるのか…いや過去改変はやめておこう。

泉くんのように黒い絵を観ても動じないように後悔をなくしていくか…それはそれで難しそうだ。

よし、今日も映画を観てまた一歩踏み出そう。結局これなんだと思う。

過去の楽しいことも悔しいこともあるから今の自分があるし、その自分だけが自分の未来を作れるのだから。


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