期待をするということが苦手なのかもしれない。得られなくて取り乱したくない。期待値を下げて、最初から諦めて。こういう素直でない思考は、だいたい良い結果にならない。別のところに歪みが出てしまう。
ひとに嫌われるのはすごく避けたい方だけど、なにもしないまま君に「どうでもいい人」に分類されてしまうくらいなら、みっともなく関わって嫌われた方がよっぽどマシだと思ったりもする(たぶんその結果 どうでもいい分類に落とされるんだけど)
あんまりぐちゃぐちゃ考えずに、もっと素直にシンプルに、自分の気持ちに沿って行動すればいいんだろうなあ それができたら苦労せんのよなあ (自分の気持ちを探して樹海に入りがち)
わたし、すごく嬉しいものを予期せずに手に入れた時、めちゃくちゃ不安になる。疑ってかかっちゃう。そりゃあげた側からしたら不愉快だよね。それで取り下げられちゃって悲しくなるパターンある。あるぞ……(頭を抱える)
気持ちを受け止めてもらえなかったのはかなしいが、気持ちを投げつけてしまったことの申し訳なさの方が勝つ。自分がいない方が相手の為だなと思えてしまうのもつらい。否定して欲しくなってしまう。自分でなんとかしないと。
「私タイプ〇だけどこんな問題ある事しない」って言ってる人はタイプ6だと思ってる。 本当にそれに囚われている人はなぜその囚われに囚われる事が自分にとって重要なのか説明するのだけど、それが出来ずに「自分はこんな問題ある人じゃない」と反射で出るのはタイプ6の安全でありたい欲求に思える。
自分のこと、基本ポジティブなのに特定のとこですごいネガティブだなーと思ってたけど違うのかも。むしろ逆で基本ネガティブなのか。一貫して悲観的ゆえに全てに諦観の姿勢。一喜一憂しない。凪。だからそこに執着のエッセンスが加わると激しくネガティブ側に振れるのでは、という仮説。