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制作日記ーマンガメイキングー今描いているマンガのお話ー

5月22日

6時前から朝散歩。


川の水位が上がっていた。
とぷん。。。と水の中に入っているような重い朝だったが、歩いていると爽快になってくる。


今日のらんまん。


明治時代の東京の夕べ。浅利のお裾分けシーン。


昔の顕微鏡。まだ未発達だった。


日中はヨガや息の上がるエクササイズを挟みつつ、休養しつつ作画。

気圧が荒れている時は、負荷の強いエクササイズをして汗をかく方が自分には合っているみたい。



作画はやっと最後まで行き着いた〜💦と思っていたら。。。

面倒なページを数枚残していたのを振り返り、若干凹む。

異国の110年近くも昔の戦争は、日本人のわたしにはおしはかれないところがあるのだけれど、ドキュメンタリーや映像作品をつぶさにみて撮影して、著作権がないものを資料に選ぶ。膨大にストックしているのでシーンごとに必要な資料を探し当てるのが大変だったりする。

池波正太郎先生は、一つの作品の構想からいざ書き始めるまで
「5年かかる」
と随筆で述べていた。鬼平はそれだけかかったとのこと。

この主題やキャラクターをかきたい。。。と思っても、自分の技量や腕が追いついていない時がある。

その間は、時代背景やキャラクターの掘り下げ、舞台の世界を資料を調べたり、収集したり、実際に赴いたりして、じっくりじっくりと物語を熟成させてゆく。

池波先生も、先輩作家から「あなた今、何書いてるの❓」といわれた沈黙の時期があった。
その間はずっと資料を読み、構想を練り、街を歩き熟成させていたのだ。

池波先生の随筆を読んで、

そうか〜
今やってるのと同時並行で将来作りたい作品の掘り下げをすべきなんやな。。。と反省した。


。。。以降は、つまらない拙作の話になる。


現在作っている主人公の絵画隊の少年は、そもそもは。。。。

今から10年前。
雑誌の編集長から贋作師を描いてみないか、と
ハン・ファン・メーへレンの本を借りたことがきっかけである。


メーヘレンにちなんで、
ナチスドイツ占領下で、暗躍する贋作師の主人公。。。
というそのまんまのアイデアは思いついたが、当時の技量では戦時中に敵を欺き、トリックにトリックを重ねる魔術師のような贋作師など、まず描けるようなものではなかった。

資料収集から大変だし、当時のドイツやフランスの情勢に加えて絵画の知識もつけねばならない。
わたしはトリックや謎解きを作れるような精巧な知能を持っていない。
今でもかなり怪しい。

。。。結局、一旦おいといて、宮沢賢治の作品をスタートしたけれど、
戦時中をテーマにした作品を描きたい、という気持ちは、子供の頃から強く心の中にあった。

当時の資料を読んだり、キャラクターの掘り下げをしてゆくうちに、この贋作師の少年時代の設定を思いついた。

ちょうど第一次世界大戦から100年経った2016、2017年あたりだったと思う。

第一次世界大戦で、少年兵のメッセンジャーとして奔走していた、茜色の夕日の荒野にシルエットの風景が浮かんだ。でもイメージはそれだけ。

それが、今回描いている主人公の原型である。

その時から紆余曲折を経て、変えたところもたくさんあるが、
ルナールの「にんじん」やアゴタ・クリストフの「悪童日記」の双子の主人公、「香水」のグルヌイユ。。。といった、若い頃に強烈にインプレッションを受けた小説の主人公の要素を織り込んで、人物像を作った。


昨年に作っていたネーム。

当初は任務のために人を殺すのにも厭わない、俊敏な行動力を持つ歩兵で
「赤イタチ」という渾名の殺伐とした性格で作ったが、ボツになった。

今読み返すとすべて未熟だなあ。。。と思うので、没になって本当によかった。
当時の時代にお話を無理に落とし込んだだけの駄作になった。



今はもう交渉が途絶えた当時の担当さんから、優しい性格の、ボーイミーツガールもので読み切り必須という、若干厳しめの注意を受けて、絵画隊に所属する少年、という設定に作り直し、ストーリーも恋愛中心に変化させた。


決定稿の原稿。


多かったセリフも省略できるところは削った。


第1稿のタイトルページ。


2稿目を経て、決定稿のタイトルページ。


今はその設定に変えてよかったな、と思っている。

しかし、第一次世界大戦のフランス軍の事情など殆どよく知らなかったので、
資料の下調べから、自分の空想を当時の世界情勢に落としこむのに長く時間がかかった。

歴史ものは、調べ物と、登場人物を考えて、キャラクターを当時の人の営みに違和感なく融合させてゆくのに、とても時間がかかる。
これが池波先生の5年、という意味だろう。。。

わたしは非常に不器用なタイプなので、アイデアを出してから、ひーひー言いながら資料を確認しつつ、時にほったらかしにして、時間をかけて作っていった。
アイデアからネームの最終的な完成まで、10ヶ月要した。
うち、半年は「政とイチ」を毎日描き続けていた。


ただ、なんとか大戦当時の風俗を少しづつ理解して落とし込めた分、続きの3話分は、エピソードだけだが自然と湧いてきた。

けれど、今描いているものは、なんの需要もなく、誰の注文もない。

誰にも読まれない確率の方がずうっと高い。

持ち込んだ時、否定されたら相当凹むであろう。。。
いや、否定され続けるのが必須の世界であろう。。。
怖くて仕方がない。。。
地味すぎて一度ネーム選考に落ちているのだ。

それでも、「。。。なんだか無碍には出来ない気がする」という気持ちがあり、描いている。

自分自身が熱をもって作れる作品で、これを執着というのだろうが。。。。
持ち込みには作家の技量と「味」がわかる作品がいいと思うのだが、
「これが自分のマンガ」と思えるものが作りたかった。

純文学のような、ちょっと懐かしい、深みのあるマンガを作りたいという想いがあった。

漫画がフレキシブルで自由な世界というなら、すみっこの隅っこで、文学のような作品も作られていいと思う。

けしてど真ん中ではない。端っこも端っこの立ち位置の。。。

ただその場合は、セリフが長かったり、わかりにくいものではダメなのだ。

セリフの緩急をつけて、リズムがあり、多くの人が読んでお話が頭に入る、最後まで没頭できる作りにせねばならない。
頑張って作りました、という負荷をマンガから感じさせてはいけない。

そして、日本人の漫画家が描いていない戦争の時代を作りたい。

声高に平和を訴えたいわけでもない。

それができる術を持たないし、先の戦争は、当時生きていた人でさえ
「一体なんだったのか」を消化しきれずに、戦中戦後で世界が黒から白、白から黒に突然真反対に変わった、あの歯痒さの込み上げる違和感の答えなど出ずに生涯を終えた人の方がずっと多いのではないか。

戦争というものは、未来永劫、スッキリとした答えなど出ない禍根なのだ。

ただ、わたしは、当時の不条理の中を生きていた人がどういう気持ちで日々をもがき、生き延び過ごし、考え悩み、「愛情」というものを探っていたのか。。。

ごくごく市井の、今となっては消されてゆくであろうか細い声をつぶさに拾い、物語という形で描き残したいのである。


。。。なんだか熱くなってしまったが、ここで述べたことは、持ち込みのときの質問や動機をたずねられたときのアンサーとして、整理し、もう少し熟考して答えようと思い、綴ってみた。
うまく喋れないだろうけれど、すべて本心である。



夕方、娘とはま寿司へ。


はまタコ焼きうまし。。。

シメシメと昨日泣かれてしまったので、主人も今日はいないしお夕飯めんどくさいしで、昨日に引き続き来店した。

嬉しそう。。。
ユーチューバーのようなポーズやな。。。

ABCマートで子供の靴を選んでもらって購入。

夜は資料を印刷しながら、
眠いよ〜とぐだぐだになる娘を叱咤激励しつつ宿題。

寝る前にワルシャワゲットーの写真集をみる。



🌳🕊️本日の制作時間。。。5時間(資料収集、印刷含む)

🩵グッドシングス

🌱主人が泊まりの仕事だったので、お夕飯を作らずに済んだ‼️
🌱はま寿司のカンパチとメロンがうまい
🌱久しぶりにキツめのエクササイズをして気持ちがいい汗をかけた
🌱懸念していた画像資料を探して印刷できたこと
🌱お水が飲みにくいとき、経口補水液を少し入れると飲みやすくなると発見
🌱オイコスのプロテインヨーグルトのラストワンをゲット✨
🌱やっと自分のホロスコープ運勢が、闘争と情熱を示す火星が一番居心地の良くない場所から移動したこと。
(この1ヶ月半、アイデンティティを崩すような嫌なことが目立ちすぎた。。。
今後1ヶ月半は、ほったらかしていた経済活動にメスを入れるような、しんどい時期になるかもしれない)
 

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