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我が国の公共空間における裸婦像文化について

我が国では公園や広場、歩道や図書館などに裸婦像が多く設置されている。

それらの大半は歴史的に意味のある記念碑・モニュメントではない。

こうした状況を歴史学・記憶論的立場から批判することは容易い。

私の母校である東京外国語大学の哲学教授も講義で批判していた。

しかしながら、この記事では敢えて日本の裸婦像文化を擁護してみたい。


まず歴史性が希薄であることは、非政治性や中立性を意味する。

これは極めてリベラリズム的な配慮である。

さらに、裸婦というモチーフはヴィーナス像の系譜に属する。

純粋な「美の女神」は善悪を超越した唯美主義的世界観を示唆し、政治利用を難しくさせる。

裸婦像が政治的に意味づけられた例は、ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」くらいだろうか。


以上のことから、裸婦像は非政治的・中立的なオブジェであり、公共空間にはむしろ相応しいと言える。

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