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小説

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僕が書いた小説です。
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記事一覧

プールサイド(短編小説)

プールサイド(短編小説)

初夏の深夜、散った春の花々とかつての冬に落ちた枯葉の積もった五十メートルプールのサイドに僕は立っている。梅雨明けの掃除を待つプールは虫たちの棲家になっていて腐った匂いがする。一ヶ月もすれば子供たちが虫を取り、二ヶ月もすればその観察も忘れて嬌声と飛沫が上がる。街灯もクラクションも酷く遠く感じる。
僕は去年の夏の始まりから一ヶ月も生きられなかった夏祭りの金魚の死体を、この頃気温が上がったせいか水槽を密

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君の側に(短編小説)

君の側に(短編小説)

すべての場所に行き終えた夜に、僕は細く長くそして深い湖の畔のベンチに座っている。

その木製のベンチはささくれ立っていて古いデニムに引っかかる。

ベンチに座る僕と湖の間の落下防止の低木が植えられている。

それに雪が積もっている、と思ったら、それは初夏の季節の白いツツジが満開に咲いているだけだった。深い沈黙の夜にそれは薄くぼやけて見える。

 風の合間に湖畔に植えられた高木が音を立てるのを止めた

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モーニングコール(短編小説)

モーニングコール(短編小説)

大型連休の中の平日の明るい雨天の夜明け頃だった。

昨日の夜に退屈すぎて二十時に寝たせいで早く目が覚めた僕は部屋の窓を開けて雨の音を聞きながらフォークナーの長編小説を読んでいた。

年度末の新人賞の締切を終えて久し振りに読書するには骨のある小説で随分楽しい読書だったが、窓から流れ込んでくる東京の湿気と一九三十年代初頭に書かれた南北問題はまるで関係がなかった。

それは僕が十代の間に海外文学を好んで

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ロールキャベツとホットワイン(短編小説)

ロールキャベツとホットワイン(短編小説)

何処かの方角が少し明るい、そしてそれは仕事を終えたのだから西のはずだ、と僕が気付いたのは、雨戸を開けたままのアパートの薄暗がりの中にいたからだった。

君が帰ってくるまでにかなり時間がある、君は最近はやっと見つけた医療系の職場でカルテが電子管理になる変更があるのでその業務に当たらなくてはならないと残業が続いている。

地方ではまだカルテを手書きだったのか、と僕は少し驚いたけれど、それを言うにも、君

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郊外にて(短編小説)

郊外にて(短編小説)

一週間前に首都圏に降った雪は残雪になり、やがて溶け、後に春先の予感が残ると思われた。

確かに日中は労働者用のダウンは少し暑い、山田はネッグウォーマーを朝に玄関先で少し迷った後に脱いだ自分の季節の感覚を正しいと思った。

首都圏から少し離れた、ベッドタウンとも言えない郊外の工場の警備員アルバイト、それは何時もの派遣会社の仕事ではなく、知り合いに頼まれた穴埋めの仕事だった。

穴埋めの仕事であること

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コインランドリーと葡萄(短篇小説)

コインランドリーと葡萄(短篇小説)

夏が終わり、秋も始まらない、その九月七日の午後に、西陽が部屋に入り込み、冷房をまだつけていて窓を開けていないのに、カーテンが少し揺れる、気がする。
君は朝起きた時、季節の変わり目の雨を見ながら、僕に、「洗濯物が溜まっているのよ」とだけ言った。僕は「コインランドリーに行ってくるよ。銭湯の隣の」と言った。君は「そのまま入ってくるの?」と言った。僕は少し迷って、
「それは贅沢すぎるな」
 と言った。
 

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時のないホテル(短編小説)

時のないホテル(短編小説)

春霞に煙る渋谷を背に、午前五時の冷たく湿った国道三号線を歩いている。
幾度となく朝まで眠れず、それにも慣れてしまったように思える。
それは、喪失、と似ている。
この東京での喪失は埋まることはなく、ただその喪失に慣れてしまったように思え、それが喪失を意味している。
六本木が見えてくる。この街では高層ビルを背に歩くことは高層ビルを目指して歩くことを意味している。夕方にも見える。今日が昨日なのか明日なの

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黄金の月(短編小説試し読み版)

黄金の月(短編小説試し読み版)

どうしようもないほどの夏の午後、僕は日課のダイビングを終えてコーヒーを飲みながら、換気扇をつけて両切り煙草を吸っていた。
確かにどうしようもない夏の午後だな、と思った。開け放した窓から熱風が入り込み潮の匂いが鼻腔をくすぐる。
先にシャワーを浴びて塩を取って爽やかな気分でいたのに、既にもうこの前買った白いTシャツは汗ばみ、塩を吹いていて、髪もべったりと額に張り付くようだった。
煙を肺に入れて吐き出し

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カリフォルニアの雪(800字小説)

カリフォルニアの雪(800字小説)

彼女のことを思う夜には、僕の夢には必ずカリフォルニアに雪が降った。白昼夢が朝まで続いた朝、結露した窓を開けると薄明かりの春の靄から埃っぽい冷たい空気が部屋に入り込んでくる。今は何時なのだろう、と思う。僕の部屋には時間がわかるものなど何一つない。僕は窓辺の椅子に座り、ハイライトにマッチで火をつけてスーツを着込む。

彼女は僕の生活に現れない。僕は彼女のことを何一つ知らない。勿論彼女は僕のことも。僕は

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アネクメーネの朝(短編小説)

アネクメーネの朝(短編小説)

彼は予感に満ちた初夏の早朝、東海道線のボックス席で、ある一つの象徴的な曲を書いた。

その時期、僕は「旅」を頻繁にしていた。それは肉体的な移動であり精神的な移動でもあった。単純に、腕時計を外すこと、降りる駅で降りないこと、それが僕に出来る「旅」だった。帰る場所も行く場所も定かではない移動の中で、僕は何故か拘って在来電車だけに乗り、移動に飽きれば降りて、停滞に飽きればまた電車に乗り込んだ。降りてする

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波を数える(短編小説試し読み版)

波を数える(短編小説試し読み版)

それはハイライトブルーのような夏だった。
その夏は僕に「薄い」という印象を思わせた。
そしてそれがどういったことなのか考えるにはあまりに暑かった。
僕はアパートに空調器具を持ち合わせていなかった。金銭もなかったし、その類の作り出す独特で近代的な空気が苦手だった。
僕は部屋中の窓を開けて、汗を吹き出させながらひたすらハイライトを吸い、十代の内に浴びるように読んだ文庫本を読み返した。昼は大抵蕎麦を茹で

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