★世界の真ん中は部屋の角っこ

「ここを世界の真ん中とします!」
「ええ?!」
 突然、真奈美が言うから驚いた。のと、
「そこって部屋の角っこじゃん!」
 思わずツッコんだ。おそらくそこに立つのは、掃除機がたまにほこりをとるのに通るぐらいで、誰も立たないと思う。
「いいじゃん!かっこよくない?多分、この家の真ん中ってこの辺じゃないの?」
「いや、知らないけど…」
「ここは世界の真ん中。ここに立ったら、全てをリセット。歩き出したら、はじめの一歩になるの!」
「はぁ…」
 大丈夫か、真奈美。バカバカしい、なんて絶対に言えない。
「だって、こんなにいい家住んでるのに、千夏は全然嬉しそうじゃないんだもん」
 そりゃ、褒められたら、謙遜するでしょ!
 でも、確かに真奈美の言う通り、自分の家には自信がある。格別大きい、広いわけじゃないけど、その辺の家よりかは綺麗だし、内装も外装もオシャレ。親がこだわって買ったらしい。色んな人を呼んで、「わ~綺麗♥」って言って欲しくなる。
「いいから、千夏も立って、早くこっち来て来て!」
「えぇ…恥ずかしいよ…」
「いいじゃん!うちらしかいないんだから♪」
 真奈美に腕を引っ張られ、仕方なく立ち上がった。
「ここ、ここに立って!」
 部屋の角っこに女二人。狭い…。今、親が部屋に入ってきたら、なんて思うだろう。あと、二人並んじゃうと、もう世界の真ん中から足が出ちゃうんだけど。
「じゃあいくよ?はじめの一歩って言ったら一歩だよ?」
「わかった」
 真奈美が手をつないできた。本格的だなー。
「うん!これまでのことはぜーんぶリセット!いくよ?ここから「はじめのいーーーっぽ」」
 二人で一歩足を出した。真奈美ははりきってるからか、私より一歩が大きかった。
「なんかいいね!」
 真奈美が喜ぶ。
「そ、そうだね」
 真奈美の笑顔におされる。喜んでもらえて何よりです…って感じ。
 ただ、勉強をする予定が、家の、お披露目会になってしまった。でも気分は悪くない。

「あー今日は楽しかった!探検隊になった気分(笑)」
「大げさだよ…(笑)」
 真奈美は大げさなことを簡単に言う。でも、嫌みとかなく、純粋な心で言っているのはわかるから、嫌いにはならない。それが彼女の良さだと思う。時にドン引きするけど。
「今度はお菓子とか持ってくるね!」
「気使わなくていいよ。また、いつでも遊びに来てね」
 玄関外で真奈美を見送った。バイバイと手を振って。胸に込みあげる嬉しさに、ニヤニヤしそうになる。




 

 その後、しばらくして私たち家族は突然家を失った。あっという間の引っ越しだった。


 大人になってわかったのは、原因はローン破綻だったということ。
 子どもの時の私にとって、家はもう買ったものだと思ってた。この家は私たちの物だと。生まれた瞬間から、ここは私の居場所。疑いようもない。だって、こうしてこの家で生きてきて、今日も当たり前に家はあるのだから。
 でも違った。まだ完全に私たちの物になっていなかった。
 お母さんから、簡単に説明されたけど、少しずつお金を払って買うという仕組みが理解できなかった。お金を全部払っていないのに、どうして、住めるのかがわからなかった。
 ずっと気持ちの整理がつかないまま、呑み込めないまま、ボロボロの家に住むことになった。
 引っ越しの日、私は「さよなら」の実感がわかなくて、涙は流れなかった。だって、まだ目の前にあるんだもん。そりゃ、中身はすっからかんだけど、見た目は何も変わらないまま。いつも通り「ただいま」って入りたくなる。
 なんで離れないといけないの?
 お母さん、お父さんが一生懸命私にやんわりと説明をする。フォローってやつかな。「ごめんね」ってなんで謝るの?
 近所の人が沢山顔を出している。ひそひそと話しているのがわかる。きっと、私たち家族のことを話してるんだと思う。
「車に乗りなさい」
 お母さんに言われ、車に乗る。その時、やっとわかった気がした。今までのお父さん、お母さんの態度や反応、会話が一気に脳に流れる。そして、この雰囲気。もう「さよなら」なんだと。ここには帰れないんだと。実感がわいた。遠のいていく家。そんな中、車を見ている沢山の顔が邪魔だった。


 時が流れて私は大人になった。自分のお金で一人暮らしを始めた。こうして一人暮らしを始めて、やっと、家を買うこと・借りることの仕組みが分かってきた。どちらも本当に大変なんだなって。
 外を歩くと、沢山の家がある。小さな庭でBBQをしたり、子どもを小さなプールにいれたり。駐車場にテントがあったり。その姿を見ると、賃貸じゃないんだなって思う。お金はもう払いきったのかな?一括で買ったのかな?笑顔の裏で、実はまだローンを組んでいるのかな?とか、色々考えてしまう。
 家族みんなで賃貸アパートに引っ越して、今まで出来たはずのことが「賃貸」という理由で出来なくなったことが、子どもの私にはわからなかった。
「ここはみんなで住んでいるの。だから、私たちだけ勝手なこと出来ないの」
 共有スペースのことを言いたかったんだろう。お母さんの言葉、今ならわかる。でも、共有スペースに自転車とか傘とか置いてる人いるじゃん。って、今の私なら反論出来るかな。ま、たとえ、当時、反論が出来たとしても、BBQもプールも出来ないという事実は変わらないし、親を困らせるだけで無意味だろう。
 でも、ボロアパートでも楽しかったさ。家族がより一致団結したような気がして。買うことが出来なくなった物も多いけど、その分お母さんが手作りのお菓子を作ってくれて嬉しかったさ。
 たまに一人で寝ることもあったけど、久々の自分の部屋みたいに感じられて楽しかったさ。

 私が一人暮らしを始めたのは、反抗期もあったかな。だんだん、一人で寝たい。自分だけの居場所が欲しいって気持ちが強くなった。
 でも、一人で生きていくって、結構厳しいんだなって今では痛感してる。私には家を買うなんて無理だ。でも、ずっとお金を払って借り続けるのもなんだかな。どっちがいいんだろ。いや、そっちしか出来ないの間違いか?


 いつぶりだろう、真奈美から連絡が来た。
「ちょっと!家が無いんだけど!?今どこにいるの!?」
 相変わらずストレートな言葉を言うな~って思った。
 家が無い?取り壊されたのかな。引っ越してからは一度も家に行ったことがなかった。真奈美の言葉で現実を知って、胸が痛くなった。そうか、家が無いのか。家、もう無いんだ。
 色々連絡している内に、どうしてか「あの家に行こうよ!」って話になった。私は全力で断ったけど、真奈美のテンションというか、流れにはどうしても抗えないとこがあって。
「だって、一度も行ってないんでしょ?」
「なんで行かないの?」
 時よりムカッとした。今更行ってなんになる。近所の人の目も嫌だし、もう家が無いんだったら、行く意味ないじゃんか。いいよ。真奈美から現状聞いたから。
「じゃあさ、夜行こうよ」
 近所の目を気にする私に真奈美は提案してきた。
 何日経っても真奈美は意見を変えなかった。
「千夏に会いたいし、ついでに家も見に行こうよ」
 私も連絡を無視すればいいんだけど、真奈美の心はやっぱり嫌みとかそういうのは無くて。いや、そうじゃない。なんでだろう。不思議と連絡を続けてしまう。この連絡を途絶えさせたら…。

 外を歩いてるとたまに見かける「空地」の看板。今までは目にも留まらなかったのに。ああ、ここにも家があったのかな。取り壊されたのかな。私の家のように。どんな理由だったんだろう。色々考えてしまう。
 仕事中、他の仕事仲間はどんな家に住んでるんだろうって気になった。やっぱり、上司とか家庭を持ってる人は家を買うのかな。わかんない。
 
 

 マイホームってなんだろう。私だってマイホームなのに、何かが違う。マイホーム。かっこいい言葉。選ばれた人だけが持てる言葉。勝ち組の言葉。そういえば、真奈美もその一人だ。


 結局長い協議の末、行くことになった。
「行って、見て、終わり!ね?それならいいじゃん?それでさ、ご飯食べよ!」
 純粋な真奈美には勝てないな。

 あの家まで、どうやって行くんだっけ?最寄り駅からの路線情報なんて初めて調べた。親に報告しようか?って、ふと頭に浮かんだ。――何で?何でいちいち報告しないといけないのさ。別にいいよね。

 最寄り駅で真奈美と久々に再開した。
「きゃ~♥久々だね千夏ぅ♥すごい、大人になったね!」
 相変わらずのテンション。真奈美は少し大人びた気もするけど、まだまだ若く見える。高校生に間違えられてもおかしくない。
「久しぶり真奈美。元気そうでよかった」
 私も、真奈美に会えたことは素直に嬉しい。電車の中でずっと謎の緊張があったから、早く会いたかった。
「中学以来だもんね?なんか時間の流れ早いね」
「そうだね」
 卒業後、真奈美と連絡をとることはたまにあったけど、会うことはなかった。
 街灯が均等に置かれ、照らされる道。あ、ここ住宅街なんだ。大人になって分かった。
 この道…暗くても分かる。照らされる自動販売機も、覚えている。
 ――蘇る記憶。

 

   ぁ、

懐 かし   い。

 ぐっと胸に込み上げてくるものがあった。
 とか言っても、真奈美は私の気持ちに関係なく、どんどん進んでいく。「懐かしいね」といいながら。
 街灯はあるものの、夜でよかった。向こうから歩いて来る人、すれ違う人、いちいちドキドキしてしまう。でも、夜のおかげで近づくまでそこまで顔は見えていないだろう。近づいても、わざわざ顔を覗き込んで確認まではしないだろう。真奈美が道路側を歩いてくれているおかげもある。
 大通りはやめて、二人で路地裏の路側帯を歩く。
 ――もうすぐだ。
 角を曲がって、家が並んで建っていて、三軒目。右側。
 進んでいくにつれ、少しずつ見えていく。家と家の間にある不自然な真っ黒な空洞。凹のような見た目。
 あそこだ。ホントだ。本当だ。自然と足が速くなった。
「え、あ、千夏待って…」
 
 目の前にあったのは、草がボーボーな草。ひたすら草。どこもかしこも草。両隣の変わらないご近所さんの家に挟まれた、まるで別世界への入り口のよう。
「この間、久々に千夏の家に行こうと思ったの。驚かせようって思って。そしたら無くなってたからさ」
 真奈美の声は入らなかった。家ってこんな簡単に無くなるんだ。そのことが驚きだった。面影も何もない。なんもない。なさすぎる。綺麗にペロンってはがされたかのような。そして、草が私の家を乗っ取った。家が草だらけに変わった。
 いや、本当に奪ったのは誰?

 あれ、どこが玄関だっけ?どこが、
「確かここが玄関だった」
 真奈美の声にハッとした。真奈美が両手を前に出して、場所を示す。
「玄関前にはレンガがあって、その間にところどころ、黄色や水色、綺麗なガラス?がはまってた。それはまるでお菓子の家みたいだなって、あの時思ったもん」
「お菓子の家っておおげさだよ」
 やめてよ。今更。
「門みたいなのがあったよね?腰ぐらいまでの茶色い門。玄関に行く前のドアみたいなやつ?」
「…あ、あったね」
 そういえばあった。一見オシャレだけど、あの扉に関してはいちいち開けるのがめんどくさかった。
「あたしの家、玄関までの道が無いからさ。家に着いたらすぐ玄関。だから、すごいうらやましかった」
 いいよ。もう。過去形だし。真奈美はマイホームに住んでるくせに。
 だんだん帰りたくなってきた。もういいよ。見れたから。
「んじゃ、入りますか!」
「え!?」
 何を言い出すの?こんな草むら入りたくないんだけど。虫が服につきそうだし…。――もういいってば!
「門を開けると、確か色んな花が咲いていたような気がする。見た目はお菓子の家で、門を開いたら花畑で、綺麗だったんだよな~」
 お母さんが趣味でやってたガーデニングだ。小さい庭で色々やってた。その花も引き抜かれたのかな。全然見当たらない。プランターで育てられていたとはいえ、種とか落ちていないのかな。
「あ、道あったよね!?足元に石ころが沢山あった!玄関までこちらですよって案内してるみたいに」
「よく覚えてるね…」
 私、思い出せない。そういえばあったかも。
「覚えてるよ~!だってオシャレな家だもん!あたしの家と大違いでさ」
 あたしの家って言葉にムカッとした。自慢かよ。
「行こう、千夏」
「え…」
 真奈美があの時のように手を引っ張る。草むらに体が入る。気色悪い。自分の家だった場所なのに、こんな気持ちになるなんて。むなしい。
「玄関開けるといい匂いがしたんだよ~♥あたしんとこなんか100均の消臭剤だからね(笑)効いてるんだか効いてないんだか(笑)」
 そうだ、玄関に花瓶があって、そこに花があった。なるべく匂いが強めの花が。お母さんは本当に花が好きだった。邪魔に感じるぐらい、家には沢山の花があって。
「んで、長い廊下。絵が飾ってあった!すぐ2階にあがっちゃったから、ちゃんと見れなかったけど、大きい絵じゃなかった?」
 絵…?ああ、絵、あったね。あった。そこまで大きくない。額縁の効果で大きく見えたんだと思う。
 私が小学生の時に描いた絵。夏休みの宿題で、現物を見ながら描けるからって描いた、この家と家族の絵。違うか。本当は、見せたかった。みんなに。多分、小さいながらもそんな気持ち持ってたと思う。バカだなぁ。
「あたしの家、階段無いからさ、もう憧れというか感動した!階段をあがって、その先に何が見えるんだろうって。千夏の家は螺旋階段だったから、もうオシャレ過ぎ♥」
 両手をほっぺに当てて感動に浸る真奈美。あれ、螺旋階段だったっけ?
「確かこの辺だよね?」
 え、私に聞かれても…。もうどこが玄関かすら忘れたよ…。
「もう、なんで覚えてないの~(笑)。この辺りだったと思うよ」
 イラっとした。真奈美にとっては忘れられない思い出かもしれない。でも、私にとっては、あれ、私にとっても思い出のはず?
「トイレ借りればよかったな~。覚えてるのはあとは千夏の部屋だけだもん」
「いや、見せもんじゃないから…」
 なんか、真奈美にはあんまり家を見せなくてよかったなって思う…。
 そう言えば、あの日、真奈美が遊びに来た日も、同じ様に感動してたな。
 なんか、真奈美はホント変わらないな。
「変わらないね」
 思わず、クスって笑った。
「え、何が面白いの??」
 そう、わかってないんだよね。真奈美って。
「真奈美の部屋もオシャレだったな~」
「いいって。私の部屋は!」
 思わず真奈美が思い出すのを止めた。恥ずかしいのとか思い出されたら嫌だから。真奈美のことだ、何か見てそうだし。いや、見られて困るものは無いけどさ。多分。もうわからないから、とりあえず怖い。
「美味しいお菓子出てきてさ♥」
 今時お菓子ぐらい、コンビニでささっと手に入るだろう。重要なのはどんな食器に、どう盛るかだ。我が家はその両方が考慮されていたからこそ、思い出に残ったんだと思う。


「ねねね、世界の真ん中覚えてる??」
「世界の真ん中??」
 真奈美が私の顔をじっと見る。そんな期待に満ちた顔をされても…。
「まさか忘れたの!?」
「え、う、う~んと…」
 うん、とも、いいえ、とも言えなかった。…思い出し中?ってやつ?
「ひど~い。千夏が普通の部屋だよって言ったから、あたしが考えたのに」
「あ、ああ、あれか」
 全然真ん中じゃないし、ツッコミどころ満載のあれね。ギリギリところで思い出した。
「それってどの辺だろ?」
 真奈美が草むらの中から、見えないそれを探し始めた。もういいって。
 ――あ。そういえば、
「暖炉、あった」
「え?暖炉?」
 そう、リビングにあった暖炉。
「暖炉なんてあったの!?すごぉぉい♥」
「や、暖炉って言っても、本物じゃないよ。でも、電源入れると炎のところが温かくなってさ。電気熱?なのかな。それが好きだったな」
「へ~。それならあたしの家にも置けそう!でも壁とか色々釣り合わないな~(笑)」
 そう。釣り合わない。違和感MAX。でも、親はその暖炉をボロアパートの仮のリビングに置いていた。私のお気に入りだったから?思い出の品として?わからない。でも、置いていた。
 あの絵もそう。額縁がどう見ても似合わない部屋に飾ってあった。画鋲がお似合いになった絵に。
 思春期になったのもあるけど、そうだ。そうだ。親が無理やり前の家に近づけようとしている様に見えた。それが余計にみじめで、嫌で。ちゃんと見てこなかった。
 でも、本当にそうだろうか。
 お母さんは今でも小さなベランダで、花を育てていて、それを楽しんでいる。たとえ安い花でも、前と変わらない様子で。それは、無理をしていたのだろうか?
 どこにも存在しないそれを一生懸命探す真奈美。初めから無いんだってば。今となっては、本当に無いんだってば。
「この辺じゃない?ここが多分ドアでしょ?んで、ここが本棚としたら…。うん。ここだよ!ここ!」
 真奈美がグイっと腕を引っ張る。そもそも私たち、いるとしたら、まだ一階なんだけど。多分、ここってトイレの壁の中だと思う。
「はい、立って立って♪」
 もう立ってるってば。


 あれ?なんか泣きそう。
「懐かしい~。じゃあ、いくよ?」
「え、やるの!?」
 夜に女二人で、あの掛け声は恥ずかしいって!
「いいじゃん。リセットしてさ、スキっとしていこうよ」
「え、いや、でも…」
 バカバカしいって。ホント。
「あたしがやりたいんだ」
 え?真奈美が一瞬真面目な顔になった気がする。気のせいかな。暗くてよく見えない。

 真奈美から連絡がきたあの日、まさか家そのものが無くなるって思わなかった。形は残ってるんだと思ってた。
 引っ越しまでの残り何日って、毎日数えて、実感はないのに、でも怖くて、ぐちゃぐちゃな気持ちで。
 現実はペロンって剝がされたように、綺麗に無くなってた。空地の広さを見ると、やっぱり私の家ってそんなに大きくなかったんだなって思う。それでも、親が散りばめたこだわり。それを私は見せ物にしてた。
 言い訳したい。当たり前にあると思ってたんだ。思春期もあったし。だから私がしてきたこと、思ったこと、許してほしい。
 ホント、なんてもったいないことをしたんだろう。時間はあっという間に流れてしまった。

「いくよ?」
 ここにいる真奈美の声はあんまり耳に入らなくて。あの日の、あの時の真奈美の声が私を動かす。
 ダメだ。泣きそうだ。
 どこを見ればいい?あの日は私のベッドを見て誤魔化してた気がする。
「今まであったことはリセットしよう。ここからまた頑張ろう!」
 素直に泣けばよかったじゃん。あの時も。あの時も、あの時も、あの時も。
 ホント、バカなのは私だ。
「いくよ。せ~の、はじめの一歩!」
 二人で一歩を踏み出した。
 私は今日、この瞬間、初めて現実を受け入れる。
「え、ち、千夏!?」
 体に力が入らなくて、私はしゃがみこんでしまった。真奈美に見られたくないってのもあった。顔に草が当たって痒い。
 色んな感情の色んな涙が流れた。


 独り暮らしをして、私はわかったんじゃないの?親の大変さとか。家を持つことの大変さとか。
 そんなの嘘だ。まだわかっていない。

 家って何のためにある?
 当たり前のようにあるもんじゃない。失う可能性はいつだって、誰にだってある。
 
 本当につらかったのは親だったと思う。
 でも、私もつらかった。それはそれでいい。
 
 やっと気づけたような気がする。
 もっと、ちゃんと見ておけばよかった。

「ご、ごめん。あたしが見ようって言ったから…」
 今更その言葉?真奈美ってホント、なんだろう、笑える。笑わしてくれる。
 しばらく泣いていた。小声で、こらえながら。真奈美は待っててくれた。ティッシュをくれた。

 家って何のためにある?
 もう、思春期は終わった。今日で終わろう。実家に帰ろう。あの暖炉まだ動くのかな。親のことだから、絶対壊れてても取っておいてくれてると思う。そういう親だから。多分、押し入れにはまだまだあるんじゃないかな。邪魔なはずなのにさ。
 そういう親だから、あの時の私は「私」になった。でも、今の私にもなれたはず。
 ごめんね。一生懸命、色々ありがとう。

「ごめん千夏…」
「もう大丈夫。私こそ泣いてごめん」
「ううん。泣くよね。あたし、また無神経だった…」
 真奈美から「無神経」って言葉が出るなんて驚いた。多分、何かあったな。
「いいよ。ありがとう。家がさ、草ボーボーになったのが悲しかっただけ」
 家はここに確かにあった。記憶と思い出は確かに存在する。
 真奈美がまだ落ち込んでる…。珍しいな。
「ほら、ご飯どこに食べに行く?」
「え、あ。うん。それはあそこに決めてるんだ!」
「あそこ??」
「うん。本屋の隣にあった居酒屋!いつか大人になったら行こうって話してたじゃん?」
 本屋の隣…?
「もう、また忘れちゃったの?ま、いいや。行こうよ♪」
 今日は思い出巡りだな。真奈美に沢山思い出させてもらわないとだ。 


「そういえば、真奈美、もっと家に来ればよかったじゃん?」
 なんだかんだ憧れてても、一回しか来たことない。それなのに、あの記憶力。
「そりゃ、行きたかったけどさ~。ほら、何度もお邪魔したら、今度はあたしの家に招待しなくちゃじゃん?それが嫌でさ…」
「別にそんなこと思わないよ(笑)」
 あの時の私は特にね。今なら思うかも。
「それにあたしさ、高校失敗しちゃって…」
「え?そうなの?」
 意外な事実。急にどした。
「うん…あんまりうまくいってなくて、中退したんだ。だから高校生の時、千夏に連絡あんまりしなかったの。なんか気まずくて。ごめんね」
 なんとなく察した。確かに、高校生になってから真奈美との連絡は少なくなった。「また今度会おうね~」ってお互い言っても実現しなかった。どちらからも、具体的な日時の提案はなかった。でも、それは私にとっても嬉しかった。本当に会うってなったら、また家に行きたいって言われたらどうしようって。だから、私も真奈美との連絡はあまりしたくなかった。私の方こそ、ごめん。
「千夏はすごいね。高校ちゃんと卒業して」
「すごくないよ。それよりも、真奈美がうらやましいよ。マイホームがあってさ」
 とうとう本音が漏れた。
「う~ん…」
 ??なんなのこの間は?
「あたしの家さ、騙されて買ったようなもんなんだよ」
「は?え?」
 何を言うかと思えば。
「や、騙されては無いんだけど、物件紹介した不動産屋の口が上手くてさ。それで、自分たちに見合わない、狭くて、不便なところに家を買っちゃったわけ。その分安いけどね。今じゃ、家族で引っ越したいって何度も言ってるよ」
「ええ!なんじゃそりゃ」
「だから人を呼びたくなくてさ。ホント、狭いし。あと、私自転車通学だったじゃん?小学校は近くにあったんだけど、中学は一気に遠くになってさ」
 そう、真奈美は自転車通学だった。どこに家があるのか聞いても、「う~ん、遠いところ」ってはぐらかされてた。
「住所どこだっけ?」
「…A村一丁目…」
「ええ!?そうなの!?」
 私のところも田舎なのに…。ちょっと申し訳ないけどフォロー出来ない…。
「一丁目って言っても、B市よりなの。だから、中学もギリギリあそこになっちゃってさ。二丁目なら、C中学校になれたんだよね」
 言葉が出ない。こういう時真奈美だったら、言葉がポイポイ出るんだろうな。
「ま、千夏と会えたからいいけどさ。町医者もないし、最寄り駅も遠いし不便」
「た、確かに」
 失礼な言葉だけど、真奈美だから言えるかもしれない。
「車ありきの暮らしだもん」
 真奈美は、はぁって、ため息をつく。
 ん、でも待って?
「あれ、今日とか大丈夫なの?お酒飲むし、自転車も無いし…」
 途端に真奈美に笑顔が戻る。
「あ、いいのいいの。今日だけタクシー使うから♪だから何時になってもよし!飲むぞ~!」
「私終電あるから(笑)」
「あ、そっか(笑)」
 ちぇ~って残念がる真奈美の姿が、なんでだろ、面白かった。
「まぁ、真奈美の家に泊めてもらおうかな~(笑)」
「えええええ!それは嫌だ~(笑)。でも、酔ったノリと勢いでありえそう(笑)。千夏ならいいかも(笑)なんちゃって(笑)」
 どんな家なのかますます気になる。二人で笑いながら歩く。あの日、あの時のように。


「あたしさ、今実家暮らしだけど、頑張って働いてるんだ。高校のお金を返そうって思って」
 真奈美は今まで隠していたこと、言えなかったこと、でも本当は言いたかったことを、一気に話してきた。なんか、気持ちが分かる。
「えらいじゃん」
 すごいな~。私なんて仕送りとかしてないな。自分の生活でいっぱいいっぱいで。
「へへ。ありがとう。それから、夜間の学校にも通ってるんだ」
「え!色々やりすぎじゃない?大丈夫?!」
 思わず心配になる。真奈美はいつもニコニコしてるから、何でも頑張っちゃうというか、無理しちゃうから。
「千夏ならそう言ってくれると思ってた。へへ。その言葉で頑張れるよ。ありがとう。卒業したら、今度は自動車の免許取るんだ♪」
「あ、それなら私取ったよ♪筆記テスト、ひっかけ問題あるから、教えてあげるよ」
「ホント!?わ~助かる!ありがとう」
「真奈美!あ、あれのこと?居酒屋!あ、あの看板、本屋だ!懐かしいー」
 街灯の隙間で、内側からオレンジ色の光が漏れているお店があった。
「そうそうあそこ!明るいからお店やってるね!」
「何飲もうかな~。真奈美はお酒強いの??」 
「居酒屋で飲んだことないからわかんない(笑)たまに家で缶チューハイとか飲むけど、節約で1~2本ぐらいにしてるから、実際どうなんだろ?」
「じゃあ、今日は真奈美の本性が見れるわけだ(笑)」
「本性って(笑)!やめてよ~。変な姿見せたくないから(笑)!」
 二人で笑い合う。
 久々の居酒屋だ。久々の地元。久々の友達。今日は贅沢しちゃおうかな。
 

 心が一気にワクワクしてきた。


 ――今夜は長い夜になりそうだ!



~~終わり~~


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