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リベラルの矛盾がどんどん肥大しているようにも思われる。
環境問題に関しての政府に対する不満を書いている人はとても多いけれど、環境問題の対策に政府が本気で乗り出した時に、自分たちの生活の変化などについて主体的に考えている人はどれほどいるんだろうか。原発の問題を当事者として考えている人はどれほどいるんだろうか。
コロナ禍の制限に対しても、いろいろ複雑な痛みが伴っているが、環境問題においてもそういう問題は当然起こってくる。自動機械的に政府のせいばかりにして、
息苦しい時代
調子が悪い時にネットでいやなもんみると、本当に人間が嫌いになる。
暴言も吐きそうになるから本当に怖い。
自分はデータをドリブンなどできるのか。
よく言うように社会orビジネスは今やビッグデータだという。
データを解析し、ドリブンせよと。
しかし、僕ぐらいの活動レベルだと、データを取るにしても本当に少ないので、役に立つものだと思えない。
それは僕のような小さな存在とは別世界の話に過ぎないのではないか。
データに影響されるというのは大きくある。パソコンや、スマホを開くたび、常に自分がマーケティングされている感じはする。しかし、自分が主体的に活
ツイートのルールを設定する
テレビの視聴に対して、子供にはルールを設けるのだから、大人もSNSにはルールを設けた方がいいというのは、ある時期からなんとなく考えてきた。
スマートフォンのツイッターはアンインストール済みであるが、自分のSNS依存のたくましさは、なかなかなので、それでは十分ではない。
そのため、ツイッターでの投稿について、基本的な時間帯を明確にしてみるのはいいかもしれない。今想定しているのは、だいたい一日で三つ
信じさせることと欺すことの違いとは?
私の物語は読む人を欺すためにある
と
私の物語は読む人に信じてもらうためにある
とわざわざいう時にあらわれる作品の違いとはなにか。
待ち時間
自分の仕事は終わったがそれが自分の手を離れながらも公開されるまでにはまだ少し時間がかかるという、この「待つ時間」とは一体なんだろう。待っているような、待ってもいないような。
それを考えると疲れてしまうので、もうその仕事のことは忘れてしまおうと思わせるくらいの間の時間。実際お蔵入りしてしまうプロジェクトもあるわけだけど。
まにうけないでください。
人間の心理は複雑だからかもしれないが、コミュニケーション上で相手との相性を考えると、以下のようなことがあるように思う。
私の言うことを、彼・彼女はまに受けないということ。私の話を適度に軽んじてくれる、適度に同意しないでいてくれることということ。だからその相手とは、心を許して話をすることができると。
人は信じて欲しいから、相手に話しているのだが、同時に相手がさほど信じないでいてくれるから話をでき
飽きることについて。
見飽きる、食べ飽きる、聞き飽きる。それぞれ飽きているわけだけど、実際的にそこで起こっている現象はどのくらい共通したもので、どのくらい個別的な特性があるものだといえるだろうか。
頭が働かないのなら、身体も動かない。その時身体は、理屈に勝利して、すでに答えを知っている。
オンラインのコミュニケーションに疲れてしまった感がある。今年度はオンラインでたくさん授業や講座をしたので、もうなんかそれをしたいという気持ちが弱まっている。またポリティカルなものがどんどん腫れ物になってギスギスする中で、ポリティカル疲れも正直出てきている。
多分誰かが仲間に加わってくれればいろいろなことが動くが、人間的なトラブルが生じるリスクを今は背負いたくないから、依頼はできても、協働してくれる
メモ
僕がまだいなかった頃の母の姿を僕は見ることができるのに、母がいなくなってからの僕の姿を母は見ることができない。
まだ実現してないアイデアは、他人に認められないもの。
何か新しいプロジェクトのアイデアを思いつき、頭がそれに囚われ、友人にその話をすると、だいたいその友人は、アイデアに警戒する、話に少しウンザリするなどが普通だ。つまり少しネガティヴか、冷めた反応が返ってくる。ウンザリされるのは、思いついたアイデアのモチベーションとは、実に素朴な欲望と楽観的な解釈によっているからなのだ。それは他人から見れば表層的ではしたないものに見えるのである。
若い頃は相手のその