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53.クエストゥーラへ滞在許可証の申請に行く

今からちょうど10年前、やっとイタリア移住が正式に整いました。
滞在許可証が発行されたのです。
あれから10年、この滞在許可証を更新し続けて今に至ります。


ローマは扱いがひどいらしい

留学ビザから滞在許可証を発行してもらうには、居住区を管轄するクエストゥーラ(警察署)へ行く必要があります。
このクエストゥーラは各自治体ごとにあるものの、滞在許可証も扱う移民局のような部署もあるのは規模の大きな中央警察署です。

イタリアに住む日本人にとって、手続きのためにクエストゥーラへ行くことはトラウマになりそうなほど面倒で大変なことです。
とくにローマのクエストゥーラは、人里離れたエリアに位置し交通の便が悪いだけでなく、つい先日も日本人の友人から聞いたのですが、周囲にはバラック小屋がありそこによく分からない人々が住み着いている危険なにおいのする地域にあるのだそうです。

そして、クエストゥーラの中ではまるで動物のような扱いを受けるのだと言っていました。
待たされるのはもちろん、トイレも不潔だし、ちょっと書類に不備があれば即座に突き返され、出直しとなり、またイチから同じ思いを繰り返さなくてはいけません。
便利で親切な対応に慣れた日本人にとっては、本当につらい経験となるようです。

日本びいきなチヴィタヴェッキア

1回目の留学のときは、この手続きをタオルミーナのクエストゥーラへ行ってやりました。
たしか最初に郵便局へ行って手数料を払い、その領収書と留学ビザなどを持って最寄りのクエストゥーラで手続きをしたと記憶しています。

そして、その場でA4サイズ1枚の書類が発行され、それが90日間を超えて正規にイタリアに滞在するための許可証となりました。
タオルミーナは小さな町ですべてが徒歩圏内にあったので、とくに大変だったという記憶はありません。

ブラッチャーノにもクエストゥーラがありますが移民手続きは扱っていないため、別のクエストゥーラへ出向く必要があります。
ローマ県にあるので、私も悪名高いローマのクエストゥーラへ行かなければいけないのだと思っていました。
それなのに、なぜかブラッチャーノの管轄クエストゥーラはチヴィタヴェッキアにあると言うのです。

チヴィタヴェッキアは遠い

チヴィタヴェッキアはローマの外港のある港町。
不動産会社の人が個人識別番号を取得するために連れて行ってくれた役所のある町でした。
ブラッチャーノからだと車で小1時間ほどかかり、前回は不動産会社の人のクルマで連れていってもらいました。

ブラッチャーノから公共交通機関で行くとその倍の時間がかかります。
いったんローマ・サンピエトロ駅まで出てそこでローカル線を乗り換えチヴィタヴェッキア駅まで、トータルで2時間、接続がうまく行かないときにはそれ以上の時間を要するのです。

最初は面倒だと思っていましたし、今もその思いに変わりはありません。
ただ、チヴィタヴェッキアのクエストゥーラだったからこそ、ローマのそれのような扱いを受けずに済みました。
というのも、チヴィタヴェッキアのクエストゥーラは規模が小さしそこで働く人々も親切で、どちらかというと日本びいきなのです。

日本とチヴィタヴェッキアの関係

チヴィタヴェッキアは古代ローマ時代よりもずっと昔、エトルリア人が船に乗って周辺国と貿易をしていたころから港町になっていました。
そのため、伊達政宗が派遣した慶長遣欧使節団が1615年、ローマ教皇に謁見するためイタリア入りしたのもチヴィタヴェッキアの港です。
その縁で、港の近くに支倉常長の銅像があったり日本の名を冠した公園があったりします。

また、豊臣秀吉の命によって1597年、長崎で処刑された26聖人が1862年に列聖されたとき、彼らを聖人として祀るための教会が「日本聖殉教者教会」としてチヴィタヴェッキアに整備されました。
アッシジの聖フランシスコゆかりの教会だったのを、日本にゆかりのあるチヴィタヴェッキアの教会が受け入れたようです。
クエストゥーラのすぐそばにあり、中にはクリスチャンだった日本人画家、長谷川路可によって描かれた着物姿のめずらしいマリア像や処刑の様子などのフレスコ画があります。

日本聖殉教者教会。正面祭壇の上に着物姿のマリアさまのフレスコ画があります

そんなご縁があるので、日本という国に好意的なクエストゥーラなのだと思いました。

面接と指紋登録

クエストゥーラでの手続きは、事前に郵便局から送ってある書類の確認と本人確認を兼ねた面接、そして指紋登録です。

初めてチヴィタヴェッキアへ行ったときの担当面接官は、子どものころから空手をやっていたという中年男性でした。
彼は私にいろいろ聞くと言うより、彼の知る空手の歴史や彼の師匠の話などを延々とします。
そして、私にいちいちそれが合っているのかどうか確認し「ほら、日本人も俺の言っていることを正しいと言ってる」と周囲の同僚たちに自慢げに同意を求めるのです。

イタリアで空手を学ぶ人たちは1から100までの数字を日本語で数えることができます。
日本人と分かると「イチッ、ニッ、サンッ……」と得意げに数を言う人が多く、クエストゥーラのその面接官も例に漏れることはありませんでした。

そんなわけで私の面接はスムースというより、日本に全幅の信頼を置いている面接官によって友好的に進められ、最後に真っ黒なインクに指先をつけ指紋を取られて終わります。

そして、それから1ヵ月ほど経った4月の初め、無事に滞在許可証を受け取ることができました。

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