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何を考えても進むときは進む
久しぶりにnoteを書く。
この1年は本当にいろんなことがあった。
世界との折り合いをつけるには、まだまだ時間がかかりそうだが、人間のできることなどにはもちろん限界があって、やはりほとんど意味なんてなく、いっときの幻のようなものだ。ぼくはnoteを書くときにしばしば訪れるこの無の哲学が好きだ。
noteも最近あまり深くは見ていないが、このプラットフォームにはなんとなく優しめの雰囲気があるよう
あろうことか、生きている意味など。
それでも生きていてなんの文句もない。
別に特に不満があるわけでもない。そうしたら時間だけが過ぎてゆく。年をとってしまったのかもしれない。生きている意味などない、というごくありきたりな認識は何も救わない代わりに何も傷つけない。それでもこうして赤ちゃんが生まれ続ける限り、何かが続いていく。昔の人が残したこの街に散らばる痕跡を読み解いている暇などないから、1万年前からおんなじような形をした体を何回も何
降りてくるのを待っている時間
世界にあるものを手に取ってながめて、
少し煮詰まってきたので、休憩して、
自分の中から出てくる何かを待っている時間に、
低気圧の下でぼーっとした頭を乗せて、
足はてくてく歩いてくれる
さほどの能力も持ち合わせないぼくと、
みんなと。
それでもここにいてくれてありがとう
という感謝を表明して、きれいごとだと思われても、
すさまじく転変する日々のなかで、
理由も全くわからず出会う人や世界に支えられて
広場を抜けて歩いていく
何もないと思われるようなところでも
木や川がぼくたちの自然に訴えかけてくる
それを何もないと思っているわたしたちの日常が
何か人間が作ったものに取り囲まれてしまっているのだ
ということを思い起こさせる
それだけの力を持ったこの自然からの訴えかけを
わたしはどういう風に言い表わせばいいのか全く分からない
だが人間と自然という二項対立だけでは
何も進まないような環境が
ここにはあるのではないだろ
どれほどの光と共にあるか 第4話
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3030年4月4日
わたしはノートを買ってきた。いま伊勢さんちでこれを書いています。
3030年だとしたら何を書いているんだろうと思って、日付を書いてみたけど、何を書いているのかはわかりませんでした。たぶん私の先祖か子孫が教えてくれると思います。伊勢さんはとても優しい。家についたらいきなりエビせんべいをくれた。わたしはイカの姿焼きのほうが好きなんだけど、もらいました。あ
どれほどの光と共にあるか 第3話
「体には気をつけないとね、この仕事は務まらない」
アクション俳優の黒本さんが言った。わたしの目の前で黒本さんが話しているのだ。気が狂いそうなほどに憧れた仮面ライダーの中で演技していた人。わたしの夢を作っていた人が、ここにいる。
「わたしの名前ですか……? コノハといいます」
二時間前にドキドキしながら発した自分の言葉はまだ頭ん中に響いてて、黒本さんの話を覚えられない。わたしの名前はコノハと
どれほどの光と共にあるか 第2話
おばあちゃんは若い頃、最低限の資金だけを持って新しい土地へと旅に出た。
「明日にゃすべてが始まるさぁ」
どこかのシブめの歌うたいのようなことを言っておばあちゃんはニコニコと出かけたといわれている。わたしはその場面を見たわけじゃないしおばあちゃんから詳しく聞いたわけでもない。
きっといろんな事情があったんだとおもう。こんなにニコニコのおばあちゃんがよそに行かなくてはならなかった理由。そんなもの
ツイッターについて その2 (ぼくのツイッターでぼくを判断しないで…)
8ぼくのツイッターでぼくを判断しないでください
何がそんなに不安なんだっけなんのためでもないと分かってはいても目の前の出来事から遠いところの出来事まで思いはかけめぐる、いいことがたくさんあって、とてもありがたいことです。なんのためでもない街が広がり人は暮らしている
もっとゆっくり時間は流れている
湯豆腐にゆずポン酢をつけて、味わいのある世界を味わう瞬間。こんな瞬間を思い出すからこれからもやっ
ツイッターについて その1(ことばは別にいらないんだよなあと何度も言っているのだが…)
1ことばは別にいらないんだよなあと何度も言っているのだが、なかなかそうも行かない。
動物だっていろんな複雑な言語を持っているに違いないとおもっている
ツイッターでことばを垂れ流しても切り取られてしまって複雑な僕たちの心が伝わらない
シンプルな湯豆腐にゆずポン酢つけると至福が訪れる
さよならインターネット、ぼくの人生はインターネットの中にはない。でもいっぱいお世話にはなるこれからもよろしく
どれほどの光と共にあるか 第1話
かならずわたしはやると決めたのだ、だからこうして今日もやっている。
そう気づいたのは、かれこれ3年前くらいのことだった。正確には覚えていないが、すてきな猫とかっこうのよい車が、そこにはあった。車の中には、愛するおばあちゃん。こちらから手を振ると、おばあちゃんも笑い返してくれた。それからゆっくりと左手をあげ、ひらひらと振り返してくれたのだった。
わたしはそのとき、やると決めたのだ。ささいなこと
愛は響かせるものだから発すればいい (愛について その2)
015. 愛は響かせるものだから発すればいい。いいなと思ったときにそれをしっかりと発すればいい。そこに特にちからを入れなくていいとしよう。ふいに感じる愛を、使いまくってぶちまけよう。それくらいでちょうどいい。すると肩の力が抜けてきて、発された愛は響いていって、また戻ってくる。
016. 愛は響いていくものだから、形はない。それでも分かる人には分かる。感じられるのだから、形はなくてもそこにあるんだ
愛とは世界を生かそうとする意志(2019.1.10.)
001. 実践していることはだんだんと強くなっていく、ので、愛することも実践していけば強くなるし、少なくともほかの気分を強める効果はない
002. たしかに宗教チックにすべてを愛すると言ったところで解決しないもんだいはあるかもしれないが、それは愛さなかったところで解決するものでもないような気がする
003. 独占とか所有、から、共有とか肯定へと愛概念を解き放っていくことが必要かと。つまり前者か
末恐ろしいほどにすばらしいあなたたちへ
あなたは生きていい。
すばらしいその世界をつくり続けていい。
だれにも真似できず邪魔されずつくられるたったひとつの末恐ろしいあなたの世界を堂々とそこに存在させろ。
それだけが今ここにあればいい。
いきなり今すぐ存在させていい。むしろすでにあることに気づけばいい。
すばらしいその世界を思い出した次の瞬間からあなたはあなたになり、それでいいのだ。
こちらを気にしなくていいから、あなたはその
やりてえことをやりてえよぉ
何も分からないこの感じはいい。すべてに決着をつけてやりたいくらいに何も分からず、とは言うが、ただし、そこには何故か希望が感じられる。
いろんな立場から考えることはできるがからだは1つの方向にしか動かない。
やりたいことはいくらでもあり、それをすべてやってしまいたいのに、やりたいという気持ちばかりが先走り、、、。
やっておしまいなさい。躊躇なく、いきなり壁をぶち破れ。
そう言ってくれた人たち