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ある日の思ひ出🌻

もう三年以上前になるが、私が家庭菜園を始める前、何かしたいと思ってネットで求人募集を検索したところ、近所で有機農業を行っている農家があるというのを知り応募したことがあった。
そして、一先ず面接ということで現地へ行くことになる。

自宅から自転車で15分ほど、昼休憩に合わせて行くと現地ではニコニコした男性と顔は可愛いけどやたらとツンとした女性が私を迎えてくれた。二人とも私と年齢は近かった。
夫婦か付き合っているのかと思ったら、そうではないらしい。女性の方には子がいるようだ。
しかし、どー見てもデキているように感じるのだが、なんだかそうした見られ方をしたくなさそうだ。とくに女性からは「夫婦」ではなく「経営者」として見られたいという印象を受けた。

男性の方はとくに表面的な敵意は感じなかったが、女性の方はなんだか初対面から事あるごとに「ナメんな」いう言葉が含まれているように感じる話し方だった。
農業ナメんな、経営ナメんな、私をナメんな!と。まるで心の声のようだった。

昼休憩でざっくり話して、「ちょっと手伝ってく?」みたいなノリでお手伝いをした。
いきなり4時間ほど無償で働かされたことはまぁいいとして、色々と「この人たちとは合わない」と思った点があったので書いておきたい。

そもそも私が作業着姿だから手伝ってもらったのか、まず、無償で素人を働かせるなら手袋と長靴を貸し出すべきだ。
また、時間を決めて途中で帰すか、予定を聞くべき。
そして、無償労働に御礼を言うべきだ。(お疲れ様と言いながら人参と長ネギをくれた)

とはいえ、これまでとくに書かなかったのは、別にどうでもいいことだからだ。愚痴で書いているわけじゃない。新規就農して人を雇う経験が浅いとこういう事例は沢山あるのだろうと思い、書き出している。
感情的な話ではないというのは、合わない人間と関係を紡ぐ気がないからで、仮に働いてなどいたら間違いなく憎み合うことになっただろう。

私は学生の頃から修了後含め4年間、鉄工の親方の手元として工事現場や工場で働いてきた。
三代続く鉄工所の親方の人格と戦後に労働組合が勝ち取った権利のおかげで現場や工場は非常に働きやすい環境だった。

工場や小さな現場では時間がフレキシブルだが、大きな現場では必ず8時朝礼、10時休憩、昼休憩、15時休憩、18時には終業という流れであった。
無論のこと、例外はある。仕事が詰まっている時などはヘッドライトを付けて20時過ぎまで作業することもあるし、夏場は日が長いので、自ずと作業時間が延びる。

件の農家の男性に就業形態を聞いたところ、休憩はとくに決まっておらず、9時間10時間はぶっ続けでやることもあると、なぜか胸を張る。
水分補給は勝手にやってもらって構わないと言うが、極めて下で働く人が休みづらい環境であることに対し信じられないほど無自覚だった。
「トイレはそこら辺で」とまた胸を張るが、友達に手伝ってもらうのではなく、人を雇うということは、【自身の働いている環境へ他者に入ってもらい共に働く】ということだ。

すげー働いちゃうんだぜ、トイレだってそこら辺でしちゃうんだぜ、ワイルドだろ〜って、いや、全然おもしろくないですよ。

畑にはもう一人、奴隷のように萎縮したタイ人が働いていた。
話しかけると困ったような顔をしてボソボソと話す。
最初はそれが人格だと思っていたが、どうやら違ったらしい。

取り敢えず人参を抜いてコンテナに納めて、穴あきマルチの敷かれた畝でブロッコリーの苗を植える。
初めての腰をかがめる作業がすごく辛い。畝間にしゃがんで横移動しながら行なっていた。

「辛い環境や姿勢で長時間作業を行なって体を壊しては元も子もない」というのはモノ作りの現場では当たり前のことだ。
そのためにモノを作る人たちは作業場を小まめに整理しちょっとした便利道具を作っては情報共有をする。

件の女が私の傍にやってきて、畝に跨り中腰で少しずつ後退りしながらリズムよく苗を植え付けて手本を見せる。さすがに見事な農家ぶりだ。
私はあくまで無償で手伝ってあげていると思っていたし、この時点ではまだここで働く気でいる。

「さすがですね、徐々にそうしていけるように頑張ります」と言えば、「いや、すぐにでもやってくれないと困ります」とのことだ。

うーん、やっぱり合わない。普通は、「いいよ、いいよ、初めてだもんね。」と甘くして徐々に厳しくしていくのがセオリーだろう。
その他、何か注意事項はありますかと聞けば、「タラタラ歩かないこと」「タイ人に話しかけるな」など、およそ人間としての温度感に欠ける対応が続いた。

17時になり、ようやく終業になる頃には、彼らの元で働く気はまったく失せていた。

女性の方がなぜあんなにも他者に対して攻撃的なのか分からないが、一つ感じたのは、どうやら近隣の主婦などがアルバイトに来たり手伝ったりしているらしく、どうも農作業をナメているように感じられる細かい出来事が何かしらあったっぽいこと、田舎の主婦はよく話すが、その延長線上でついタイ人と立ち止まって話してしまったこと、何人かで話しながら歩いて広い畑での移動が遅くなってしまったこと、などそうした細かい経営者側の不満はあったようだ。

ならば、軽トラでピストンしてでも人員を運んでしまえばいいし、体育会系の統制の取れた環境を作りたいならきちんとルール作りをし始めに共有し、笛の号令などで動くようにしたらいいのだ。
素人を放っておいても自分と同じ意識を持ち勝手に成長してくれるなんてのは、他者の想定が甘過ぎる。

タイ人はよく働くが、少しも会話させないのはあまりに酷い。メリハリが大事なのは日本人なら分かるが、タイ人は基本的に明るく楽しく会話しながら働くのが好きだ。
彼が会話を億劫だと感じるなら、それでもいいが、もう少し彼にヒアリングをして人権を尊重すべきだろう。

これは現在の日本各地で行われている技能実習生の問題でもある。
相手は異なる文化習俗の人間であり奴隷じゃない。あくまでも、協働の関係だ。

無論、言語含め教える部分はあるだろう。しかし、彼らとてコミュニケーションさえとれれば、彼らには彼らの感情や理屈や記憶や経験が存在するのだ。
そうしたことを尊重するということが、「他者と社会を形成する」という大人の作法だ。

Googleなどが実践しているが、人の能力を最大限に引き出すのは、統制管理ではなく自主性だ。
最近のベンチャーではそれぞれユニークな環境作りを行なって新しい組織作りに成功している。

昔からある田植え唄などは、唄で一体感とリズムを共有しながら、その気持ち良いバイブレーションの中でキツい仕事をこなしていく一つの知恵だ。
会話で笑うことも大事だし、少しの立ち話だって重要なコミュニケーションだ。
明るい現場で働く人は生き生きとして生産性が高くなる。というのは既に経営論などで言われ始めて久しい。

人を育てたいと思うなら、自分がマンツーマンで引っ張っていくか、むしろ自分が引いて教育係を付けてそれぞれの成長を鳥瞰するかだ。
教育係の教育をこそ自分が担わなければならない。

自分が動きながら「なんでできないんだよ!」とイライラして怒りを部下にぶつけるのは三流の作法だ。
部下を教育したいのか、手足にしたいのか、自分と他者のスタンスを設定できない人は経営には向いていない。

現場は人に任せて自身は鳥瞰しながら関わる場合、つい自分ができるからやりたくなる気持ちがあっても、全体のバランスをとるのが自身の役目であると引かなければならない。もちろん、何もしないわけではなく、現場に出て自身の背中を見せるのもバランスだ。

日本の農業は社会システムとして死んでいるし、今後も悪くはなれど良くはならいだろう。生命インフラは程のいいサブスクなわけだから、こんなにおいしいカネのなる木はないわけだ。これをそっくりそのまま米国経由の多国籍企業にあげてしまおうというのが、民主主義によって我々が選択している今の国家の方針である。

食料自給率など上がるわけがない。
無農薬有機、自然栽培、固定種など色々あるが、実現性があるのはF1の無農薬有機で、単価のバランスに公的資金が使われることはないので結果的にはカネ持ちのための農業として格差を肯定する仕事になる。それすらタネはミトコンドリア異常の一代交雑種だ。

こうした背景で新規就農するとはどういうことかと自問することが重要だろう。
「国の規定値内でしか農薬は使っていない」と言うが、その規定値とやらが事あるごとに見直され緩和されまくっていることを知っているだろうか。

他者の言に「何も知らないくせに!」と憤慨するのは勝手だが、こんな世の中だからこそ、農業の現場であっても、皆が自分の仕事に誇りを持ち、明るく楽しく生産性があげられるような現場であってほしいと心から願っている。


ちなみに家庭菜園を通して私が何をしたいかというと、基本的には玄米菜食にして自身の食料自給率をせめて半分ほどには引き上げたいと考えている。目標は完全自給だが、あくまで理想だ。今のところ穀物や水田まで行う気はない。

自給自足に向かいたいとは思わないが、プラスチック製品を減らし、ソーラーパネルの設置をし、水を水源の保全活動とセットで行っているような然るべきところから購入する。炭焼きを応援するように購入し、自身の関わる水や空気の浄化に努める。無農薬の玄米、全粒粉、その他穀物を産地や生産者から直接購入する。ことなどを行いたい。

カネは悪者じゃない。一番の悪は人々の「無自覚」と「無関心」なのだ。

この二点が無い集団は自浄作用が見込めない。
そう考えると、戦後、道徳心を失った日本人には、米国のポチとして生きていくのがお似合いなのかもしれない。
それら道徳心などの根幹たる感情をこそ教育しなければならないと、「感情教育」を提唱したのはリチャード・ローティーだったが、今では過去の遺物として聞こえてくるだけだ。

国がやらねば個々でやる他ないのだが、親世代たる我々の周囲を見渡してみれば、まさに「感受性の衰退と無関心の蔓延」がこびりついた病理のように社会をすっぽりと覆っているように感じる。

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