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死ぬ気になったからって何してもいい訳じゃない

死ぬ気になったからって何してもいい訳じゃない

意味:死ぬ気になれば何でもできるというが、だからと言って何をしても良くはなく、実際に死ぬのも良くないということ。

対義:死ぬ気になれば何でもできる

(例)いやぁ、彼女にフラれてさ、むしゃくしゃして、もうどうでもいいやって思って部屋とかめちゃくちゃにしてやったけど、後になって、虚しく片付けたり、新たに買い物してお金かかったし、部屋は賃貸だから弁償にめっちゃお金かかったり、まさに「死ぬ気になったからって何していい訳じゃない」ってことだね。


人間、死ぬ気になれば何でもできるといいます。「必死」という言葉も、そこからきていると思いますが、死ぬ気になったからって、何をしてもいいわけではありません。実際、死ぬからって、何をしてもよく、許されるわけでもありません。

今回の創作ことわざは、昨日の川崎通り魔事件から生まれたことわざです。

今回の事件に関して、まず犠牲になった方にご冥福を祈ると共に、お悔やみを申し上げます。
この悲劇を無駄にしない為に、ことわざとして残したいと思います。

決して許されないこと

知らない人はいないと思いますが、昨日、川崎市で悲惨な事件がありました。19人を死傷させた後、自らの命を絶った犯人。真相が明らかになることはないかもしれませんが、色々と調査が進んでいるようです。

今回の事件はただの通り魔事件ではなく、自爆テロのようでもあり、そんな目的もあったようにも思えないもので、「拡大自殺」ではないかと言われています。ネットでは「死ぬなら勝手に一人で死ね」「自殺するなら人を巻き込むなよ」という意見が多い中、「そんな風に言ってはいけない」という記事が波紋を呼んでいますが、どんな事情であれ、どんな理由があろうが、犯人を擁護することができません。情状酌量の余地があったとしても、自分一人で死ぬならまだしも、他人を巻き込んで死に追いやった行為は、決して許されません。
連日、交通事故で幼い子供や親子の命が亡くなり、今度は通り魔という事件で、大切な命がまた失われてしまいました。

以前、大津の交通事故のコラムでの述べましたが、大きな目で言えば、この加害者も、時代の被害者と言えるかもしれません。しかし、今の時点で、犯人も被害者だなんて、言いたくはありません。
『進撃の巨人』の言葉を借りるなら、「この世界は残酷」と言えるかもしれません。確かに、この社会はとても厳しく、生きるのは大変なことや苦しいことの方が多いと思います。そういった歪みによって、社会から弾かれ、「異常者」と言われるような存在を生み出していることもあるかもしれません。だからと言って、それで人を殺していい理由にはなりません。

何の為に生きるのか?

私は、noteでも人は一人では生きられないというコラムを配信していますが、人間は一人では生きられません。それは、社会性のある生き物で、「承認欲求」があるからです。量子力学的に言えば、人は観測されることで存在するので、一人では、生きていないのと同じことです。

人と関わる以上、自分と気が合う人、合わない人がいるものです。強い人もいれば弱い人もいます。真面目な人もいればずるい人もいます。今の社会が、理想的なものだとは思いません。仮に、理想的な社会になったとしても、何らかの問題は起こるでしょう。なぜなら、問題は起こった方がいい」からです。

人生において大事なのは、何の問題もない凪のような波風を起こさずに生きることではなく、どんな問題を乗り越えたかだと思います。だからこそ、「必死」になることや、死ぬ気になって頑張ることが大事だと思うんです。「どうせ死ぬなら」の後、自暴自棄になるのか、現実を受け入れて問題を乗り越えるのか。そこが問われるところではないでしょうか。

エネルギーの使い方次第

よく、「そんなことができるなら、違う使い方ができただろうに」と言われることがあります。つまり、良いことをしようが悪いことをしようが、それは「エネルギー」だということです。人間には、良い所も悪い所もあります。光と闇、陰と陽、善と悪があるように、エネルギーにも表と裏があります。エネルギーは使い方次第によって、良くも悪くもなります。人を救う力にもなれば、殺す力にもなってしまうのです。それを使い分けるのが、心です。その基準が価値観です。

厳しい社会に生きていると、精神が歪んでくることもあります。今回の事件の犯人も、おそらくそうだったのでしょう。無職だったようで、引きこもってもいたようですが、歪んだからそうなったのか、そうなったから歪んでしまったのか、あるいは両方なのかはわかりません。人を歪めてしまう社会を悪く言うことは簡単です。
社会も人間と同じように、良い所も悪い所もあります。そして、良い所だけ、悪い所だけを見ては、本質は見えません。では、どのような社会になればいいかというのは、私にはわかりません。一人個人でどうすることもできませんから。

一人一人が心掛けること

犯罪のない世の中にするのなら、先日のコラムでも紹介したPSYCHO-PASSのような、犯罪を犯す前に捕まってしまう、AIに統制された世界になった方がいいと思う人もいるかもしれません。そう思ってしまったとしても、人の悪い部分を見るだけで望んだ社会が、理想だとは思いません。事故や犯罪が無い世界になることより、そういう世界にしていくことにこそ、価値があり、今私たちが向き合っていくことなのでは無いでしょうか?

故意にしてもそうではなくても、事故は起きるものです。良い悪いと言うことではなくて、物事の全体を見ることで本質を見抜き、たった一人では何も変わらなくても、一人一人がそういう意識を持って変わっていけば、社会も変わっていくのかもしれません。

いずれにしても、このような悲惨な事件が起こらないことを願うし、その為に自分にできることをnoteで発信したり、行動していきたいと思います。

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