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『わたし、定時で帰ります。』第2話ママの働き方改革?

簡単なあらすじ

主人公東山(吉高由里子)の指導係だった先輩・賤ケ岳(内田有紀)が産休から復帰した。学者をしている夫が育児休暇を取り、双子の面倒を見て、賤ケ岳は仕事復帰に向けて、残業は気にしないし休日出勤どんとこい、とやる気満々で、早速上司にも気に入られる。

元々実績もあり、復帰早々取引先の希望もあり、重要なプロジェクトを任されるが、三谷(シシドカフカ)が担当していたプロジェクトだったので、納得がいかず不満をあらわにする。

プロジェクト成功の為に、城ヶ崎はやる気全開で、一つ一つの仕事を細かく指示するか、そのやる気が空回りし、スタッフは不満を持ち始める。東山はその中にあっても自分の仕事はきっちりとこなし、定時で帰るのだった。

順調に進んでいたプロジェクトだったが、用意できたHPとほとんど同じデザインのサイトが見つかり、取引先は大激怒する。賤ケ岳は平謝りし、新しいサイトを急いで用意すると伝えるも、賤ケ岳に振り回されたスタッフにやる気はなく、渋々仕事をする。

そんな中で、仕事も家事もこなしたり、子供が熱を出したりと、仕事に支障をきたすようになり、HPの代替案を提出する重要な日に、賤ケ岳は寝坊してしまう。

会社としては、代理に対応させたが、生まれたばかりの子供がいるのに、やっぱり無理し過ぎだと指摘する。

子供が熱を出してしまっても、帰る気配のない賤ケ岳に、東山はもうできる仕事はないからと、帰るよう忠告する。しかし、他のスタッフが仕事をしているのに帰れないと、言うことを聞かない。

定時になって、やっと電話をかける城ヶ崎に、東山は、定時になったんだから帰ってくださいと言うが、賤ケ岳はまた、「皆が残ってるのに私だけ帰れない。それに、子供はしょっちゅう熱を出すものだし、こらくらい大したことない」と言う言葉に、東山は

「大したことない?仕事が手に付いてなかったじゃないですか!」

以前はそうではなかったのに、いつからか仕事人間になってしまった賤ケ岳は、

「あんたも母親になったらわかるわよ。子供ができたとき、会社にどんな目で見られたか。子供がいるからって、仕事ができないと思われたくないの!」

それに対して東山は

「先輩は強い人間だと思います。家族より仕事の方が大事なんですか?子供が熱を出して心配だから帰りますって言ってくださいよ!」

その場を去る東山は、「小籠包を奢るから協力して!」と、スタッフに帰ったフリをして隠れるようお願いする。

賤ケ岳がオフィスに戻ると、そこには東山と上司しかいない。

「みんな帰ったから、先輩も帰りますよね?」

賤ケ岳が帰る理由を作った東山。賤ケ岳は素直に、

「子供が熱を出して心配なので、今日は定時で帰ります!」

と、定時で帰るのだった。隠れていることに気付いていた賤ケ岳は、皆に聞こえるように、感謝を伝える。

スタッフも、これだけしないと帰らないのかよと言うが、少なくとも賤ケ岳の熱意を認めざるを得なかった。

子供がいることで働き方は変わるのか?

長いあらすじになってしまいましたが(^^;;、会社勤めの方で、子供がいたり、産休、育休問題というのは、まだまだたくさんあるのではないでしょうか?

前回もそうですが、日本的働き方は、周りの目を気にし過ぎたり、正当な権利を主張できない空気があったりしますよね。

賤ケ岳も以前は東山が定時で帰ったり、正当な権利を主張できるようフォローしていたものの、状況や立場が変わったことで、人が変わってしまいました。

「子供がいるから」を言い訳にしたくない。「子供がいるから」仕事を任せられない。子供を理由に休むんじゃないか。そう思われる事が嫌だったわけです。

賤ケ岳は、子供がいる現状を受け入れておらず、自分の評価を下げたくないという思いに捉われていたから、その反動で無理をしていたのでしょう。
東山が言う「強さ」とは、子供がいても今まで以上に働くというものでなく、子供がいる現状を受け入れて、その上で自分の筋を貫く、というものだと思えます。

仕事のやる気をどこで見るか

ほとんどの会社は、残業ありきなように思います。残業することが、働く意欲があると思われがちです。会社の為に身を削り、休みを削減らし、家族を犠牲にするほど働くことが、会社に評価されると思われているのではないでしょうか?

もちろん、やる気は感じると思います。しかし、会社に、そういう人しかいなかったら、いずれ人が倒れ、会社は潰れることになるでしょう。少なくとも、仕事も大事ですが、仕事以上に大事なものを持っている人の方が、私は信頼します。

何の為に働くのか?

仕事の為に働くのか。
家族の為に働くのか。
お金の為に働くのか。
世の為人の為に働くのか。
充実感を得る為に働くのか。
認めてもらう為に働くのか。
生きる為に働くのか。

「働く」とは、「側を楽にする」というのが語源だそうです。つまりは、周りの人を楽にすることが、「働く」ということです。

働く理由は、人それぞれあると思います。少なくとも、「仕事の為に働く」というのは、時代遅れであり、それが幸せになる方法ではないです。

「仕事人間」と言われる人から「仕事」を取ったら何が残るでしょうか?
よく、定年を迎えたお父さんが、何をしていいかわからないとか、急に老け込んだりしたり、早くボケてしまったりすることがあります。

仕事はいずれできなくなります。もちろん、仕事に人生を捧げた生き方に、格好良さも感じますが、そういう人は、自分の生き様を納得していると思うんです。そういう人は、定年を迎えても、何かやりたいことを見つけているはずです。

「やりたいから働く」

という思いがあるなら、きっと仕事に生きる人生は成り立つでしょう。そういう信念や核がないのに、「男は働くもんだ」とか、「働かなきゃいけない」と思うのは、本質的ではありません。

生きている以上、何かしら働いて、お金を稼がなければ生きていけません。
ある意味、「役に立てないと生きられない」というのが、世界の構造であり、それが人間の本質だと言えるかもしれません。それを否定することはできないので、現状を受け入れて、その上で自分がどう在りたいか、何の為に働くのか、ということを、常に自分に問うて行く事を忘れてはいけないんだなと思います。

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