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『インハンド』第3話 不老不死とアンチエイジング

簡単なあらすじ(ネタバレ有り)

紐倉が新たな研究対象になったのは「ベニクラゲ」だった。助手の高家は、紐倉の広大な敷地の維持の為に奔走していて、紐倉に頼まれた「ベニクラゲ」を仕入れるのだが、届いたのは「ミズクラゲ」で、紐倉にボロクソ言われる。

「ベニクラゲ」は「不老不死」の生物と言われ、死の直前になると、クラゲになる前の「ポリプ」という状態に戻り、またクラゲになって成長しる、ということを繰り返します。このことから、「不老不死」の研究対象になっている。

紐倉の大学時代の恩師である「瀬見まき子」がパナシアンビューティー(PB)という美容団体のCEOを務め、講義に参加した。52歳には見えない美貌は、アンチエイジングを体現しており、瀬見の理想は「不老不死」だった。紐倉は直接瀬見に接触を図るも、部下に阻止されてしまう。そして、捜査で来ていた牧野も参加しており、紐倉に捜査協力をするが、当然断る。しかし、高家は、PBが推奨している「美」の為の代理出産など、元医者として倫理的にも許せず、紐倉を説得する。紐倉にも思うところがあり、突然捜査に協力すると言う。

紐倉は、瀬見に正式に会う為に、急遽「ホルモン」をテーマにした論文を作ることにする。一晩で論文を完成できるはずはない為、実験結果などを捏造するが、エセヒューマニストと揶揄されている高家は、紐倉の思惑を見越して、既にデータを用意していた。感心する紐倉に、「今の俺は百年後を見てる」と、紐倉の考えに触れて、少し変化していた。

紐倉の思惑通り、完成した論文に瀬見は食いつき、正体を隠す為に、高家が論文を書いたことにして、紐倉はPBの秘密を探っていた。PBの掲げるアンチエイジング治療のデータを入手した紐倉だったが、行動がバレてしまい高家に「逃げろ」とメールをして逃亡するも、高家はPBの幹部達に捕まってしまい、連れ去られてしまう。

紐倉が盗んだ資料には、PBの施術詳細が書かれており、それは「アンチエイジング」とは名ばかりで、「ベニクラゲ」のテロメラーゼ治療ではなく、「輸血」だったのだ。PBの上級会員が施術する秘密の場所に連れて行かれ、真相を知ってしまった高家の血を、死ぬギリギリまで抜こうとする。
自分の城に戻った紐倉は、高家がいないことに若干の寂しさを感じ、危ない橋を渡って高家の居場所を聞き出し、救出に向かう。

屋敷に火をかけ、邪魔を振り解くと、瀬見と高家の元に現れる。「僕のことを覚えていますか?あなたの生徒だった紐倉です。」と言うが、瀬見は覚えていない。瀬見には認知症の疑いがあったが、紐倉は手の震えなどから「クロイツフェルトヤコブ病」だと見抜く。恐らく輸血した中にヤコブ病の血液が混ざっていたんだろうと。もう一度、大学の思い出を伝えると、「紐倉くん?」と思い出す。瀬見には妹がおり、紐倉は他の人が見たら異常と思えるような研究姿勢があったが、瀬見姉妹は紐倉の資質を買っており、紐倉も瀬見の研究室によく訪れていた。

そして、瀬見妹は、「ウェルナー症候群」という、人よりも老化が早い病気で既に亡くなっており、妹の死がきっかけで、「アンチエイジング」そして「不老不死」を目指したのだった。紐倉は、

「人は、死ぬことで、種として強くなる。生物にとって死は必要で、死を求めている。」

と瀬見の研究を否定した。瀬見姉は忘れていたが、瀬見妹は亡くなる前紐倉に、「私が死んだら忘れてほしい。私は幸せだった」と言っていたことを伝えると、瀬見姉は泣き崩れる。

紐倉は高家を背負い、火の手が迫るその部屋を後にする。警察や消防が駆けつけ、高家は病院に搬送され、瀬見をはじめPBのメンバーは逮捕されるのだった。

今回のテーマ「不老不死」

「不老不死」と言えば、多くの漫画などでよく取り上げられており、有名なところでは『ドラゴンボール』のベジータやフリーザが口にしていますし、実際の歴史でも、『キングダム』で描かれている「始皇帝」も、不老不死を求めていたことは有名です。(ちなみに、徐福という人を日本に送り、そのまま帰って来なかったのですが、その人たちが日本では「秦(はた)」さんとして生活したそうです。)

なぜ「不老不死」を求めるかというのは、「死」への恐怖であったり、「老いる」ことへの不安や醜くなることへの抵抗によるものでしょう。仏教でも「生老病死」という「四苦」と言われているものがありますが、人の苦しみの中で、老いることや死ぬことというのは、特に大きなものではあります。老いることは、できたことができなくなっていったり、美しさが失われていったり、そして「死」というものは、痛みや人生が終わること、そして死んだらどうなるかという恐怖があります。

フリーザの言う「不老不死」は、自分がこの宇宙を支配し続けたいという欲によるものでしょう。つまり、今を維持したいという欲望です。「諸行無常」というように、この世の全ては変化し、移ろいゆきます。その中で変化しないことや、「老い」や「死」に抗うということは、自然の流れに反しており、血液の流れを止めれば、血管が破裂して死に至るように、自然の流れに反することは、生物の死を意味します。

紐倉は、そのことを言っていたと思うのですが、瀬見姉が「アンチエイジング」「不老不死」を研究し始めたのは、妹の病気が原点だったのですが、若い血液を輸血することで若さを保とうとしている最中で、ヤコブ病に感染し、妹のことを忘れ始めていたことは、皮肉ですね。

人間が不老不死になったとしたら?

仮に、死ぬことがなくなったとしたらどうなるか。人口は減ることなく、増え続ける一方になるでしょう。そうなれば、地球の資源はあっという間に枯渇し、今以上に資源を求めて争うことでしょう。普通に死なないのなら、完全に生命を消滅させるような兵器が開発されるようになるかもしれません。

もしかしたら、死ななくなるのだとしたら、人口が増えないよう進化するかもしれません。つまり、エッチできなくなります(エッチしても子供ができないように進化するかもww)。もっと恐ろしいのは、人間よりも知能の高い生物や宇宙人が現れたら、これ以上ないほど都合よく奴隷のようにこき使われることでしょう。そうなれば、人間に知能は必要なくなり、家畜のように退化して生きていくことになるかもしれません。

乗り越える壁があるからこそ

「老い」や「死」について言及して宗教っぽくなるのは嫌なので、深くは言及しませんが、紐倉が語ったように、「生物にとって死は必要で、死を求めている」という言葉は、言葉だけを取ればコンプライアンスNGかもしれませんが、その意味や本質的には、生物学的、自然的で言えば全くもって当然のことだと言えます。物事は、変えられるものと変えられないものがあります。自然界・宇宙の「法則」ともいえるものは、まず変えられるものではありません。上で述べたように、仮に「不老不死」になった方が、人類にとっては不幸な結末が待っていそうです(笑)向き合うべきこと、受け入れるべきことを認めることが、人類にとって必要であり、人類の進化につながることなのでしょう。不便なことや恐怖があるからこそ、乗り越えるための努力や創意工夫をするのです。未来は手の中に。

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