麵屋爺

リタイヤして自由な時間が持てる幸せを享受しています 趣味もたくさん持つようにしています…

麵屋爺

リタイヤして自由な時間が持てる幸せを享受しています 趣味もたくさん持つようにしています。 歴史が好きで中でも信長の大好きで 特に信長公記を読み解く勉強をやっている。 それだけでは物足りなくなって大学で歴史を学んでいます。

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  • 歴史

    戦国時代の武将たち

  • ラーメンあれこれ

    ラーメン作りの極めと将来

最近の記事

豪商と用心棒

江戸時代の豪商と用心棒:繁栄と陰謀の物語 江戸時代の活気あふれる商業都市。そこに住む豪商たちは、巨額の富を築き、街の繁栄を支えていました。しかし、その財宝を狙う盗賊やライバル商人の陰謀が絶え間なく襲いかかります。 用心棒の登場 そこで豪商たちは、自らの安全を守るために、用心棒と呼ばれる剣士を雇いました。彼らは関ヶ原の戦いで敗れた西軍大名の家臣達や その後に改易、お取り潰しに遭った大名の家臣達が、浪人となって巷を徘徊。 それらの中にも 武術に秀でた者、商才に長けた者など、

    • ラーメン屋の生き様

      創業70年のラーメン屋:三世代の物語第一章:父の背中合せ 70年の歴史を持つラーメン屋「麵や三代 」。 初代の父がラーメン屋を開業した昭和30年は、近代日本が戦後目ざましく復興を遂げつつも、 まだまだ政治も経済も、未発達で、政情不安な頃であったが、 朝鮮動乱、朝鮮戦争で米軍の軍需の受注が急増して、日本の経済を引き上げてくれた。 そんな中で多少上向きの経済でも田舎の片隅に細々とやっているラーメン屋 にまで豊かになれるわけでもない。 贅沢ができるほどの、売り上げがあるわけでは

      • 日本の桜開花宣言の木靖国神社⛩️

        靖国神社の桜の開花を知らせる標準木が 近年老木になってきた。樹齢でいうと4,50 年の老木だそうです。 なので靖国神社の職員が根元を柔らかくしたり、 土壌の通気性と通水性確保して、手入れをして いるそうです。 桜の老木は咲く時期が若い木に比べて1,2日 早く咲くのだそうです。 そろそろ標準木を変えるらしいですね。 老木になりつつ有るので正確な開花を知らせるためにも、若木に変える検討をしているらしい。 それで次の標準木は決まっているそうなんですが、 その木はどこにあるのか発表し

        • 家康の長生きが?

        豪商と用心棒

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          6本
        • ラーメンあれこれ
          5本

        記事

          ラーメン屋の変遷と展望と改革その後の決定版

           「ラーメン店」は小規模での開業(開店)が可能で、 初期の設備投資を抑えられ、他の専門料理店より参入障壁は高くない。 ただ、その分だけ同業や他の飲食業との競合も激しく、 およそ半分が出店後1年以内に閉店するともいわれている。  また、コロナ禍が落ち着いた2022年以降は、 円安やウクライナ情勢などを背景に、小麦をはじめとする原材料価格の高騰や光熱費の上昇、人手不足に伴う人件費高騰が著しく、 急激なコスト上昇に見舞われている。 また、国民食とも言われるだけに、他店と味や価格が

          ラーメン屋の変遷と展望と改革その後の決定版

          光秀の天下一統と家康を人質

          光秀の才覚と戦略:公家との繋がり、信長への忠誠、そして家康捕縛の可能性明智光秀は、戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した武将です。彼は優れた戦略家であり、公家との繋がりも深かった人物として知られています。また、織田信長の一門として忠誠を尽くし、様々な功績を残しました。 光秀のインテリジェント 光秀は幼少期から聡明で、和歌や連歌、茶道など様々な文化に通じていました。また、兵法にも精通しており、優れた戦略家として活躍しました。 特に有名なのが、1575年に行われた「長篠の

          光秀の天下一統と家康を人質

          昭和30年創業のラーメン屋の変遷

          ラーメンはイメージとして 澄んだ醤油スープに 麺が浮いていて、ナルト🍥巻きが中央にあってチャーシューとメンマとほうれん草と長ネギがトッピングしてあった。 私の中にはラーメンのイメージとしてある。 俗に昭和のラーメンだ。 良質な小麦粉とカンスイと水で作られ 喉越しが命という使命を帯びて存在していた麺。 その自家製の素晴らしい麺を生かすも殺すも全てスープにかかっている。 醤油の良さを生かした生醤油に出汁のよく取れたスープ。 ツルッとした麺は極上の小麦粉を使って仕上げたストレート

          昭和30年創業のラーメン屋の変遷

          since1954 3代目の奮闘

          懐かしの味を守り続ける町の中華食堂 ポイント創業70年の歴史を持つ町の中華食堂 三代目が受け継ぐ秘伝のスープ 懐かしさを感じさせる王道の中華料理 地元の人々に愛される温かい雰囲気 三代目が挑む多店舗化と従業員の幸せ路地裏にひっそりと佇む中華食堂「三代目」。暖簾をくぐると、店内は昭和の香りが漂い、タイムスリップしたような感覚に包まれる。壁には色褪せたメニュー表が掲げられ、テーブル席とカウンター席が並ぶシンプルな空間だ。 この店は、戦後間もない頃から営業しており、現在

          since1954 3代目の奮闘

          私の背伸びとラーメン屋

          やりたいことが背伸びしていることは確かで知識や力がないのに何でと思います 確かに、やりたいことが今の自分に背伸びしていると感じて、不安や疑問を抱くのは当然のことだと思います。知識や経験不足が壁となり、本当に自分が望む道に進めるのかと迷うこともあるでしょう。しかし、「知識がないのに何で?」と考えるのではなく、その背伸びを「挑戦」と捉え、積極的に行動していくことが大切です。 1. 背伸びは成長の証 知識や経験不足は、挑戦を始める前に立ちはだかる大きな壁のように思えます。しか

          私の背伸びとラーメン屋

          4代目を継いだラーメン屋

          光秀ゆかりの食材と歴史上の人物舞台 時は現代、光秀ゆかりの地である京都。主人公の光秀の子孫である亮太は、祖祖父から受け継いだラーメン屋「光秀軒」を営んでいた。しかし、かつては行列のできる人気店だった光秀軒も、時代の波に押されて経営は苦境に立たされていた。 光秀ゆかりの食材 ある日、亮太は古書店で偶然、光秀の書状を見つける。そこには、色々な手紙があった。その中に古ぼけているが綺麗な奉書紙に包まれている手紙を見つけた。 足利義昭からの書状であった。 当時の京都に信長と上洛

          4代目を継いだラーメン屋

          麺や上洛

          京都ラーメンの歴史と多角経営:70年の伝統を受け継ぎ、革新を続けるラーメン店70年の歴史を刻む老舗ラーメン店 京都市内に7店舗を構えるラーメン店「麵や上洛」は、1953年に初代店主が創業した老舗店です。当時、京都にはまだラーメン専門店が少なく、屋台でラーメンを提供するのが一般的でした。麵や京都は、屋台からスタートし、 京都という特殊な地域、長い歴史を持った街を相手に、 試行錯誤を繰り返し何とか京都の町の人に受け入れてもらえるように、 京風の薄味でありながら、コクがあり煮干し

          麺や上洛

          明智光秀の子孫のラーメン屋と本能寺

          明智光秀の子孫であり現代の世界でサラリーマンとしていきている 私はサラリーマンとして働きながら、明智光秀の子孫であることを知りました。 私の家系は代々、明智光秀の血筋を秘めてきたと言われています。しかし、その事実を公に示す証拠はこれまでありませんでした。 それが、先日、私の祖母が亡くなり、遺品整理をしていた際に、古い古文書が幾つか見つかり その中に古びた奉書紙にくるまれている 家系図が見つかったのです。 その家系図には、明智光秀の名前が確かに記されていました。 私は、家系図

          明智光秀の子孫のラーメン屋と本能寺

          光秀の休日

          朝の光がカーテンの隙間から差し込む。光秀は目を覚まし、ゆっくりと体を起こした。今日は久しぶりの休日。昨日までの仕事疲れがまだ残っているが、今日はクラス会がある。久しぶりに同級生たちと会えるので、光秀は朝から少しだけワクワクしていた。 朝食を軽く済ませ、光秀は家を出た。会場までは電車で30分ほどかかる。電車の中では、光秀はクラス会での会話ネタをあれこれ考えていた。学生時代の思い出話はもちろん、近況報告も楽しみだ。 会場に到着すると、すでに数人の同級生が談笑していた。光秀は懐

          光秀の休日

          商売の分水嶺

          商売においても分水嶺というものが   あると思う。 会社とか商売が展開期とか、不況な状況とか 何か変えなければいけないことが起きた時 右か左かなど、 構造不況産業など流れにさからっても ダメな商売もありますよね。 私もその様なチャンスが2度あった。 最初のチャンスは、 官公庁が新築された時 地下に出店する入札があった。 家族経営の小さなラーメン屋では その時の条件をクリヤーする事が 大変でした。 資金調達が大変だったり、従業員の確保 そのほか最低限各種資格を持った人の雇

          商売の分水嶺

          リタイアした後

          65歳の時商売をバトンタッチしましたので、 リタイアしまして自分の好きな時間を、謳歌できる 幸せをかみしめています。 仕事をしない。誰にも束縛もない、 自由な時間を持てて、好きなことをできる。 こんな贅沢な日々が自分の人生に訪れるとは 考えもしなかった。 今まで一生懸命生きてきたご褒美だとおもい、 精一杯享受しています。 幸い私の場合は4人いる孫のおかげで 絶えず刺激をもらって頑張れます。 自分が今の孫達と同じ年の頃は何を考え、 何をしていたのかなー 今の孫達の方が勉強

          リタイアした後

          喫茶店メニュー

          コーヒーは主役のメニューなんですが お客様にご満足いただくために 当店のおすすめの豆をブレンドして 提供しています。 その中で特に 夏季限定メニューのアイスコーヒーがおすすめなんです。 もちろんドリップで淹れるのですが、 ホットコーヒーをつくる粉の分量の2割増しで淹れます。 氷を入れる分濃いめに淹れるのです。 抽出したコーヒーをシェーカーに移し替えて、 氷を入れシェイクしてグラスに注いでできあがりです。 これがまたおいしいのです。 挽きたての豆からすぐに抽出してコーヒーを

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