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鬼が邪悪なのはなぜ?私が節分の日に、豆まきをやめた理由

・争いを好まなかった縄文人が「鬼」と呼ばれるまで

今日は2月3日で節分です。「鬼は外。福はうち」と豆まきする日ですが縄文を調べるうち、私は今年の豆まきをする気がなくなってきました。
日本の先住民である縄文人。現在、本州に住む人たちの縄文人DNAは約10%くらい。沖縄や北海道の人たちの縄文DNAはそれよりも高く、50%~70%ととも言われています。なぜ日本から縄文人DNAが薄れていったのか?
それは縄文後期から古墳時代、そして奈良時代にかけて、渡来系民族がたくさん、海を渡って日本にやってきたから。

縄文の人たちは「所有」という概念がなかったと言います。「所有」という概念がなかった縄文人は、渡来系民族を受け入れますが、海を渡ってきた人たちは「所有」という概念がありました。
そのため、渡来系民族は土地を所有しはじめ、鉄製の武器をつくり争っていきます。実際、縄文時代は銅を中心とする銅文化。銅はやわらかく武器にはむきません。そのため「銅鐸(どうたく)」文化が縄文時代に花開きました。しかし古墳時代は鉄を中心とする鉄文化。鉄は固く、殺傷に向きます。そして鉄で作られた刀などの武器を使い、争いが盛んになっていきます。
やがて渡来系民族は、先住民を追いやり、豊さをもとめるようになりました。

実際、古墳時代の遺跡を発掘すると、首がなかったり傷ついた遺体が多いとか?!縄文時代の遺跡では、キレイな死体が多く、縄文は争いが少ない平和な時代だったと、考古学学者たちは言います。
そして争いを好まなかった縄文人は、渡来系民族との争いを避けるため、住み慣れた土地を離れ、まだ縄文文化が色濃く残っていた東北地方を目指しました。
この伝承は、近畿地方の生駒(いこま)山に「生駒神話」として残っています。この生駒神話は、正史とは異なり、争いを好まなかった、古代の縄文人の姿が書かれています。


鬼の起源は、奈良時代から平安時代にかけて・・。権力者は、朝廷に「まつろわぬ者」たちをいつのまにか「鬼」と呼ぶようになりました。
鬼の起源は「隠」だと言われています。目に見えない自然災害や、たたりといった怨霊のしわざは目に見えません。それゆえ、平安の貴族たちは大変恐れ、そういったものを「穏」と呼びました。そしていつのまにか「穏」は「鬼」となり、「節分の豆まき」で鬼を退治して追い払う、という宮廷行事になります。それが2月3日の節分の日に、豆まきをして鬼を追い払う現代の風習になっています。

では朝廷にとって「まつろわぬ者」とはどんな存在だったのでしょうか?それは盗賊や朝廷に謀反(むほん)をたくらむ者を意味しますが、それ以外に、日本の先住民であった縄文人をさして「鬼」と呼ぶこともありました。
争いを好なかったゆえに、日本の先住民でありながらマイナーになっていった縄文人。そんな縄文人をヤマト王権の朝廷は、「鬼(おに)」、「土蜘蛛(つちぐも)」、そして「国栖(くず)」と呼び、滅ぼしていきます。




・奈良の天河神社は鬼の子孫が宮司?「鬼はうち。福はうち」の豆まき


ですが、奈良県の奥吉野にある「天河大辨財天赦天社(てんかわだいべんざいてんてんしゃ)」こと、天河神社付近では、「鬼は優しい神さまで、私たちの先祖」とうやまわれ、節分は「鬼はうち」と豆まきをします。
この天河神社はパワースポットとしても有名ですが、鬼との関わりが深い神社です。

天河神社は、修験道の開祖、役行者(えんのぎょうしゃ)に仕えた前鬼、後鬼の子孫が代々、社家(宮司)をつとめています。そして、この天河神社の節分祭は、前鬼、後鬼の子孫たち(社家)によって行われ、鬼は大いなる御宝をもち、全ての意識を越えて物事を正しく見るという古来からの信仰から「神」として崇め奉られ、神事儀礼においても「鬼は内」「福は内」と唱えながら福豆を撒きます。

鬼を邪悪と追い払う儀式もあれば、天河神社のように、「鬼は物事を正しく見る」という古代の信仰で「鬼はうち」と福豆をまく儀式もある。とてもおもしろいです。
そして私はこのことを知って、自分の中に、鬼に対して偏見のようなものがあったかも?と気づきました。ただ、そうはいっても、これまでずっと「鬼は外。福はうち」とやっていたものを、いきなり「鬼はうち。福はうち」と福豆をまくのも、抵抗がある・・。なので今年は福豆をまくのはやめ、先日購入したばかりの、白檀のお線香をたいています。天然素材100%のナチュラルお線香でお気に入りです。


・ツノを持つ存在は鬼じゃない?! 海外で頭にツノを持つ預言者や大王。そしてツノを持つ神々の存在


また、古代はツノがあるからといって、鬼イコール邪悪ではなかったようです。旧約聖書に登場する有名な預言者のモーゼ。モーゼには、二本のツノがあったと、wikiに載っています。また、アレクサンダー大王も頭に二つ、ツノがあり、それゆえ別名「イスカンダル双角王」と呼ばていました。
またギリシャ神話の全能神、ゼウスも頭のツノがあったとされ、他にも、ケルト神話やエジプト神話にも、頭にツノを持つ神々が登場します。


・今年の節分は、鬼を知る良い機会

頭にツノがあるから「鬼」というイメージは、中世時代ぐらいからつくられたのかもしれません。
古代、「鬼」は邪悪でなかった。でも次第に人々の間で「災い」をもたらすのは「鬼」というイメージが定着し、ツノを持つ存在を「鬼」と呼ぶようになった。そして「鬼」は恐れられ、人間にとって忌むべき存在に変わっていきました。それが一般的に言われている「鬼」という存在。
今年の節分は、福豆まきをしませんでしたが、鬼についてじっくり考える良い機会になりました。縄文に興味を持って以来、それまで当たり前だったものを、もう一度考えることが増えています。

現在、縄文とヘブライのつながりを調べていますが、縄文後期から平安時代にかけての、ヘブライと日本とのつながりの深さに驚いています。
以前、神道に詳しい方から聞いたのですが、日本の神道はこれまで2回ほど再設定されたとか?!
一度目の神道の再設定は平安時代。二度目は、明治時代。いずれも大きく時代が動いた激動の時期。そしてその裏には、日本だけでなくヘブライとの関わりもありました。そんな縄文について、これからも少しずつ書いていきたいです。




〈参考サイト・過去の記録〉



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本だけでなく、実際に現地に行ったりして調べていますが、わからないことが多いです。だからこそ魅かれる縄文ミステリー!縄文の謎解きははじまったばかりです。(*ᴗˬᴗ)⁾⁾💕ペコリン