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月読尊の子孫は秦氏!?④ ~秦氏の3つの出自~ 

先日の続きです。寒川神社のご祭神とされる月読尊。
縄文期の神々の中で、天照大神、月読尊、スサノオ尊の3兄弟は有名です。天照は「太陽」を、月読は「月」を、そしてスサノオを「海」を担当したと伝えられます。古事記や日本書記でも、天照大神やスサノオはたくさん登場しますが、月読尊はほとんと登場しない謎の神。

「月読」という名前から、「月を読む」=「月(や太陽)など、星の運行に精通」した天文学の神さまだったようで、月を司る、または夜を統べる神として崇められ、かつては、月の運行に基づく太陰暦を用いられたことから、月の暦を数える神と評されていました。 また、こうした名のもとで、月をツキといい、運を呼び込む神とされることもあります。寒川神社が天文学(陰陽道)と縁が深いのは、この月読尊との関わりが影響しています。

一方で月読尊は秦(はた)氏の先祖とされ、富士王朝に合流した徐福も秦氏でした。秦氏は養蚕や土木建築など、優れた技術を日本に伝えた渡来氏族。富士山王朝について調べるうち、古くから『秦氏』が日本の経済やスピリチャルを司る働きをし、月読尊や富士王朝とも関わりが深いことを知りました。縄文後期にはすでに日本に到来していた、有力氏族・秦氏。
今回は、日本の黒幕(フィクサー)?秦氏についてです。
    



・秦氏の起源 ~3種類の出身地

秦氏とは古代、日本にやって来て、政治やスピリチャルに大きな影響を与え続けた渡来氏族。秦氏の起源は主に3種類のパターンがあります。

・一つ目が秦の国出身の人々。=秦氏
秦国の滅亡と前後して、徐福らは日本に上陸し、出雲族と合流。
徐福は富士王朝に迎えられ、富士王朝の姫君を娶ります。
徐福らは(神奈川県の)丹沢周辺に住んだと伝えられます。

・2番目が、中央アジアの弓月国出身の人々。=秦氏
弓月氏のシンボルは三日月。中国で『弓月国』は『三日月王国』と呼ばれました。しかし王国滅亡後、弓月氏は中国や朝鮮を転々として、日本に渡来。
弓月氏は、月読尊の子孫との説があります。

・3番目が中近東のヘブライ(イスラエル)王国出身の人たち。=秦氏
ダビデ・ソロモン王親子が統治し、栄えたヘブライ王国ですが、ソロモン王の死後、国は分裂し滅亡。ヘブライ(ユダヤ)人は世界中に離散します。
国を失った多くのヘブライ人が日本に渡ってきました。

これら出身地の違う3つの氏族が、日本では秦氏と呼ばれています。秦氏は古くから歴史を動かし、日本の発展に貢献しました。
ですがいったい、秦氏はどこからやってきたのでしょうか?秦氏は平安期、日本の神道にも大きな影響を与えています。
秦氏の出自を知ることで、古くからの天皇との関係と、隠された秘密を知ることにつながります。それでは、これら3種類の秦氏について詳しく書いていきますね。


<そもそも秦氏って?日本にやってきた3種類の秦氏の人たち>


˧①秦氏その❶中国の秦国出身の秦氏=徐福

約2000年前、中国に『秦(しん)』をつくったのが有名な始皇帝。秦国の滅亡と前後して、徐福たち秦氏が日本にやってきました。彼らは、最先端の武器をたずさえ、これまで日本になかった巨大な船に乗って渡来。
出雲族は徐福らと交わった後、争いという概念を持つようになったそうです。徐福は富士山王朝にも迎えられ、富士王朝の姫君を娶り子供をもうけました。日本全国に徐福伝説が存在するのは、これらの徐福の子孫たちが各地に降り立ったから。
古墳時代、富士川をはさんで、富士王朝とヤマト王権の攻防が繰り広げられた時は、徐福の子孫・福仙が(富士王朝側の)軍師として参戦。徐福らは秦国出身なので『秦氏』です。


˧②秦氏その❷中央アジアの「弓月国」=月読尊の子孫・秦氏

月読尊は、満月、三日月(みかづき)など月の満ち欠けの数のぶん、たくさんの子孫がいると言います。日本中にある八王子という地名も、月読尊の8人の子供が全国に旅立ち、移り住んだことが地名の由来。
月読尊の8人の子供のうち、長男が大山津見(オオヤマヅミ)神。大山津見神は、日本総鎮守の神さま。月読尊と大山津見神は、寒川神社のご祭神と伝えられます。

日本で多い苗字の鈴木さんも月読尊の末裔。ですが月読尊の子孫は日本だけではありませんでした。はるか昔、月読尊の子孫は日本を出て、ユーラシア大陸で弓月国をつくります。彼らはインドに渡り、その末裔はお釈迦さまの一族となったとの伝承があります。
(※月読尊の子孫がインドに渡って、クシャーナ朝・大月氏国をつくり、その末裔が仏教の始祖・ブッダ。お釈迦さまも月読尊の子孫との説です。)

そんな月読尊の嫡流はおもに3つに分けられるそうです。

〈月読尊の3つの嫡流〉

・月読命
:暦の神(月読暦)。シンボルは新月
月弓命:軍事・力の神。シンボルは三日月
月夜見命:夜を治める神。シンボルは満月 

竹内文書より

『新月・三日月・満月』の3つの月読尊の嫡流を束ねたのが、満月の神である月夜見(ツキヨミ)命。そして月読尊の直系である、富士山王朝の歴代の王は『月夜見姓』を名乗りました。もしかしたら富士王朝の王は、これら3つの系統を束ねる王だったのかもしれません。しかしヤマトタケルによって、72代目の月夜見王が討たれ、月夜見の姓はこの世から消え失せます。


月は太陽の陰に隠れて穏やかに夜を照らします。しかし夜は真っ暗で太陽の明かりがありません。漆黒の夜は、魑魅魍魎(ちみもうりょう)といった、恐ろしい化物が出現する闇の世界。
月読尊はそんな夜の静寂を守り、聖域の守護を司る神さま。夜空に浮かぶ三日月が、弓の形に見えることもあり、月読尊は三日月型の弓や剣を携え、武力を担う一面を持ちます。そして月読尊の別名は月弓命
月読尊の嫡流の一つ・月弓氏は「軍事」を司るとされます。

竹内文書によると、中毛アジアから日本に渡来した弓月氏は、『月読尊』の子孫となっています。日本では竹内文書は偽書ですが、海外では正史に近い歴史書と見なされ、信じる人も多い古文献。

弓月氏のシンボルは三日月で、月弓氏のシンボルも三日月。「月弓」と「弓月」の漢字も似ています。なので月弓氏と弓月氏は同族で、弓月氏は、もとは月弓命の一族だった可能性があります。もしかしたら弓月氏は、国の滅亡後、先祖の(月読尊の)地である日本を頼ったのかもしれません。

弓月氏は国が滅亡した後、中国や朝鮮半島に移動しますが永住は叶いませんでした。そんな弓月氏を日本に招いたのが応神天皇。弓月氏は4世紀ごろ、朝鮮半島経由で日本にやってきます。

弓月氏を日本に招いた応神天皇は謎の多い人物。一説では、日本各地にある八幡(やはた・はちまん)神社は、応神天皇がつくったので、応神天皇は八幡神社のご祭神。
一方で八幡(ヤハタ)は、イエス・キリストが『父』とあおいだ全能の神を意味する言葉に近い発音のため、八幡神は「キリスト教の唯一神」と同一視され、八幡神は、キリスト(ユダヤ)教の全能神とする説もあります。
(キリストの母のマリアと、父のヨセフは熱心なユダヤ信徒。イエス自身もヘブライのユダヤ教徒として生まれ、ユダヤ教徒として亡くなりました。)

八幡神は、異国から渡来した謎の多い海神。全国に4万社以上ある八幡神社の総本宮は大分県にある宇佐八幡宮。宇佐八幡宮は、奈良時代の725年に、秦氏によって創建。秦氏は八幡神とも関わりが深いです。


弓月国があったとされる、中央アジアのキルギス共和国には、『遠い昔、魚好きの人々は日本に渡り、肉好きはキルギスに残った』との兄弟伝説が今も残っています。このエピソードの中で日本に渡ったのが弓月氏。弓月氏は、日本に帰化した後、秦氏を名乗ります。遠い昔、中央アジアにあった弓月国には、ヤマト(大和)やナラ(奈良)という地名があったそうです。



˧③秦氏その❸中近東のソロモンの子孫=正統派ヘブライ・秦氏

ヘブライ(ユダヤ)人が、秦氏の祖先という説は有名です。
中近東に住んでいたヘブライ民族は国が滅んだ後、離散しますが、中には海を渡って日本にやってきたヘブライ民族もいました。彼らは日本にやってきて秦氏になります。これが3つ目の秦氏・ヘブライ起源説です。

今から約3000年前、中近東では、ダビデ・ソロモン王親子が統治するヘブライ王国が栄えていました。ダビデは2代目で、ソロモンは3代目の王。
ヘブライ民族は一つの氏族ではなく、10ほどの部族が集まったもので、それを治めたのが、ダビデ王。しかしソロモンの死後、ヘブライ国は南北に分裂。その後、国は失われ、ヘブライ人は世界中に散っていきます。これが失われた10支(部)族イエス・キリストは、系図上、ヘブライ王家の子孫で、ダビデやソロモンのの血をひいています。

イスラエルのある特殊機関は、約2700年前に、世界中に散った10支族の末裔を求め続け、彼らが日本に渡来した、との確信を得ていると言います。
興味深いことに、青森県三戸郡新郷村にあるキリストの墓に、イスラエルの聖都エルサレムから、友好の印として石が寄贈されています。
今から2000年前の中近東は、黄色人種が多く住んでおり、キリストも黄色の肌に黒い目で黒髪の東洋人のような容姿だったと考えられています。
ヘブライ民族は、朝鮮半島や中国を経由し、何回かに分けて、日本に渡来しました。


これら時代と国が異なる3つの氏族がすべて『秦氏』。秦氏と言っても一つの民族ではなく「いつ、どこから来たか?」で、出自が異なります。
そして、この3つの秦氏の中で最も謎に満ちているのが、ヘブライ人。

実際に日本語はヘブライ語と似た単語が多く不思議に思うことがあります。
例えば、京都の祇園(ぎおん)はヘブライ語のシオンがなまったとされ、シオンは天における神の都を意味します。(「ヨハネ黙示録」14章1節)。
また、平安京をつくった桓武天皇の実母は朝鮮半島出身ですが、この実母はヘブライ系秦氏の家系に生まれています。
上皇となられた平成天皇は在位中、桓武天皇が朝鮮半島の王族の血筋であることを公言し、このことは宮内庁も認めています。
ほかにも京都の八坂神社の『ヤサカ』は、ヘブライ語で「神が見る」、あるいは「神の守護」を意味するとか?! 

また、重いものを持った際に言う「どっこいしょ」はヘブライ語で「神の救いによって押し上げる」が語源で、『神よ、どうか今すぐに苦しみを取り除いてください』という祈りの言葉だそうです。(私はこのことを知ってから何となく「どっこいしょ」が言えなくなりました・・。)

日本にやってきた秦氏は、さまざまな活躍をし、スターダムに昇りつめていきます。それは現代に続き、有名な企業集団である、三井財閥や住友財閥は秦氏系。

次回は「秘された神・月読尊の役割」をテーマに『月に込めた縄文の願い』を書く予定です。その後、裏歴史である秦氏の活躍に戻り、富士王朝編に続いていきます。



〈参考文献〉


P.S.

つけ足しですが、海外で『秦氏』はユダヤ人、へブライ人と呼ばれています。今から約2000年以上前、中近東では、ダビデ・ソロモン王親子が治めるヘブライ王国が栄えてました。しかしソロモン死後、王国は分裂し滅亡。ユダヤ人は世界中に散り迫害を受けます。彼らの悲願は、遠い昔、自分たちの国であったヘブライ王国の再建。そのために数千年かけて、ユダヤ人は自らの優れた頭脳を使い、財力を蓄え、欧米の政治に介入していきます。

1948年5月14日、イギリスのバックアップを受けたユダヤ人らは、中近東に2000年?ぶりにイスラエル共和国(=ヘブライ王国)を再建。
しかし近代の中近東は、イスラム教を信じる有色人種の人々が住むエリア。そこに白人のユダヤ人による、新国家が誕生することで、中近東は新たな火種を抱え、紛争が絶えない地域になりました。
昨年、イスラエルは「自国の安全」を守るという名目で、近隣に武力による侵攻を開始。中近東は世界有数の原油の産地。日本も大部分の原油を中近東から輸入しています。この戦争の影響で、原油を始めとしたガソリンや食料品の値段は上がり、物価高につながっています。


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