※「前編」https://note.com/jorge_jorge/n/na02cdcba2593?fbclid=IwAR0jOcAbB9ZnKOuUGvoVJJBHnjjLuzoPbe370fKzyqUlQgfI8cMvlZBXkZ4

ミラノ駅から鉄道に乗る。

ヨーロッパの秋晴れの田園風景の中を列車は走る。

この風景も私は知っている。

映画『大脱走』である。

切符を確認にくる乗車員のおじさんがナチスに見えるのも映画と旅がシンクロする醍醐味である。

ミラノから40分くらいかかっただろうか、
山に囲まれた田舎の小さな駅に着いた、「コモ駅」である。

そのまま北上すればスイスへと辿り着くコモの街は、コモ湖を中心にしたブルジョワジー避暑地でもあり、湖の周りには瀟洒で小さいクラシックなホテルが並んでいる。

さて、実は私だけでなく、我がイタリアの友もテラーニ・ファンであり、
すなわち「テクノ・ミュージック好き」＝「テラーニ好き」なのだろうか、彼のアパルトマンの書棚にもテラーニの本が鎮座していた。

イタリア北部の小さな湖畔のリゾート地に着いて、我々は期待に胸が高まっていた。

まずは「カサ・デル・ファッショ」へと向かった。

ファシズム時代の党の地方事務所として1936年に建てられた、テラーニの極めつけの傑作である。

我々は、近づいたり離れたり、路地の向こう側から見たり、横に行ったり後ろに行ったり、
この「美の結晶」の様な建築を舐め回すように味わった。

「建築は、まず美しくなければならない」

私の、現在に至るまでの座右の銘である。

「自然」が美しいように、建築も美しいのが大前提で良いだろう、どうらも「風景」を構成するのだから。

このテラーニのカサ・デル・ファッショを「周囲のコモのクラシックな街並みの文脈」から読み解こうとしているテキストを読んだ事があるが、
「私の直感では」それは全く勘違いである。

「そんな生優しいものでは無い」事を、この数時間後に我々は身をもって知ることになる、、、

さて、
カサ・デル・ファッショを後ろ髪を引かれながら後にした我々が次に向かった先は「サンテリア幼稚園」である。

いたいけな幼児たちを預かる施設でありながら、「ファシズムの先駆」とも称されるイタリア未来派のアントニオ・サンテリアの名前を付したこの幼稚園は、カサ・デル・ファッショと並ぶテラーニの大傑作との呼び声であった。

現場に着くと貼り紙があり、「見学者は市の担当課へ」との事だった。

平日なので、まだ営業中だったのだ。

我々は市の担当課に行くと、我が友が流暢なイタリア語で話しを付けてくれた。

「午後4時から見学出来るそうです」

我々はとりあえず湖畔のホテルのレストランのテラス席でランチと洒落込み、カルボナーラを食べながらコモ湖を眺めた。

腹がこなれると、同じく湖畔にあるテラーニが設計した「コモ戦没者慰霊碑」を見に行った。

この「柱と壁が溶解したようなデザイン」については、建築家・鈴木了二によるテラーニ論が詳しい（『建築零年』鈴木了二、筑摩書房）。

この慰霊碑に近づくと、注射器が大量に落ちていた。

ふと視線を感じて慰霊碑手前の森の方を見ると、目をぎらつかせたジャンキーの集団がコチラを見ていた。

メディアに載らないイタリアの暗部であるが、イタリアの街では暗い路地に入ると必ず注射器が落ちている。

ジャンキーが多いのだ。

我々は彼らから視線を外して、慰霊碑を後にし、これまたテラーニの「ノヴォコムン集合住宅」を見学した。

そのなことをしているうちに日が暮れてきた。

そろそろ「サンテリア幼稚園」の見学時間である。

我々は再びそこを訪れた。

昼間の子供たちが居た時の様相と違い、人気の無い幼稚園の入り口で市の係員が待っていた。

係員はそのまま入り口に居て、我々二人だけで内部に入って行った。

入口のホールから中庭が見える。

その中庭を囲むように園児室が配置されている。

最初の園児室に入った。

子供用の椅子と机があり、窓の外にはコモの住宅街が見える。

反対側には廊下を挟んで中庭が見える。

刹那、何か物凄い違和感を感じた。

（ここ、何かがおかしい、、、）

それは廊下に戻ってから確信へと変わった。

廊下の窓を見て、ふと窓枠を見る。

その窓枠の「軸線」を辿っていくと中庭の遥か向こうの大教室の窓にキッチリとつながっており、さらにその先の窓枠にも正確につながっている。

ふと見上げると、その軸線は天井の目地を経由してさっきまでいた園児室の壁のフレームにつながっている。

そのフレームは園児室の窓枠を経由して外の鉄骨フレームにつながっている。

そして、目線を「横」に倒すと、窓枠の横の軸線はさっき入って来たホールの窓枠につながって、その先のキャノピーの柱につながっている。

よくよく見ると、園児室の外の鉄骨フレームは何の意味も無く外に飛び出しているのだが、それが反対側の中庭に面した廊下側にも同じく飛び出す鉄骨フレームがある。

まるで、鉄骨フレームが勝手に動いて建築本体から外れて行ったようだ。

そして、全ての軸線は縦横に全てつながっており、それは遠くを見通してもハッキリと分かる。

どうやら「立体無限軸線」の蜘蛛の巣に捕らわれてしまったようだ。

目を開けている限り、全ての視界が「軸線」に支配されてしまうのである。

ギリギリまで細い窓枠、天井目地、柱、床目地、外部鉄骨フレーム、、、

これが、縦横全ての空間に完璧に通っており、１ミリのズレもない。

それが、さらに「フラクタル」にそれぞれの部屋、そして建物全体までもが「軸線フレーム」の構成要素になっている。

逃れるには目をつぶる以外にすべはない。

私は苦しくなって一度中庭に出てみた。

そして屋上に上がるとコモの普通の住宅街が見える。

しかし、それは「蜘蛛の巣に掛かった蝶々の目線のように」見えるはするが、「この場所からは逃げられない」感覚であった。

まるで、水族館の分厚いガラス越しに見るようにコモの街を見ながら建築内部に戻ってきた。

秋の陽はどんどんと暮れてきて、建物内部の「白い面」が闇に飲み込まれていくと、そこには「立体軸線蜘蛛の巣」しか残って居なかった。

（これはマズいことになってきた）

モダニズム特有の白い色がどんどんと暗闇に呑まれていく。

代わりに、四方八方の闇の中から「軸線」が迫ってくる。

（もしや、私はテラーニの脳内に取り込まれてしまったのか？）

だとしたら、これほど異様な量の軸線が縦横無尽に張り巡らされている「建築的狂気」に支配された脳内である。

「テラーニの脳内＝無限立体軸線」

つるべ落としの夕暮れ、
もはや私の周りには「闇」と「線」しかない。

そして果てしなく重なり合う立体軸線蜘蛛の巣に掛かったまま、暗闇の奥から何物かがこちらに向かって迫ってきている気配を感じた、確実に。

（このままでは生きて帰れない）と体中の細胞が爆音でアラートを鳴らしている。

気配はどんどん近くなってくる。

意を決して小走りで蒼ざめながらホールに戻ると友が居た。

（逃げましょう！）

我々は目で合図をした。

そして素早く入口の扉を開けて係員にそそくさと挨拶をすると、
猛ダッシュでコモ駅に走り出した、声もかけずに二人同時に。

途中走りながら「何も見なかったことにしましょう」と息を切らせながら言葉を交わした。

我々は一度も振り向く事無く、コモ駅までノンストップでダッシュした。

迂闊に振り向いたらそこには既に幼稚園は無く、我々を追いかけて来ている「何物か」に連れ去らわれてしまうからである。