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vol.6 魯迅「阿Q正伝」を読んで

阿Qという男について考える。

阿Qは無教養で、字も書けない。上層部からわずかばかりの賃金をもらいながら、お堂の中で寝泊まりしている。気にくわないことがあると酒で気分を紛らわす。なんのリテラシーもなく、思想もない。信じるものは何もなく、平気で嘘をつく。仕事がなくなれば万引きして空腹を満たす。女に欲情すれば、女中に手をだす。

そんな阿Qは自称、「精神的勝利法」なるものを見出す。「俺の方が精神的に豊かだから、喧嘩で負けても悔しくはない。そう考えれば、ちっとも辛くない」…らしい。

とにかく何があっても元気だ。理不尽に殴られても侮辱されても長く悩まない。なんとか都合のいい理由をつけて、自尊心を保ち酒を飲んで忘れる。自分をごまかし、他人を信じない。他者に流されながら、ふらふらと生きている。

ある時、革命党がやってくる。阿Qは意味もわからないまま、「革命」に便乗して騒いだ結果、無実の容疑で逮捕され、無知ゆへに、弁明もできず、引き回された上に銃殺される。

この浅はかな阿Q、現代でも似たような状況があるかもしれない。

自尊心の高さから、周囲の人を憎み蔑む。自分の自尊心を拗らせていく。自分自身であろうとして、社会が悪いんだと非難して、自己正当化していく。阿Qという男を考えた時、相模原障害者殺傷事件の犯人を思い出す。

しかし僕は阿Qを一方的に非難することに躊躇する。自分でも見に覚えのある心情がそこにたくさん描かれているからだ。

自分が理不尽な思いをした時、どうしたら自分の人生を肯定し、周囲の人を大切にしながら生きられるのだろうか。とても難しい。自分にも問いかけている小説だ。誰からも相手にされない阿Qは一人で戦ってきたように思える。最後、引き回しの車の中で「助けてくれ」と叫んだ阿Q。彼が初めて使った言葉じゃないかと思う。

読み終えて、如何にもならない報われない虚しさと寂しさが残った。

この作品は1921年発表。時代は清から中華民国へ変わろうとする辛亥革命の時期。背景の説明で、ウィキペディアを引用する。『無知蒙昧な愚民の典型である架空の一庶民を主人公にし、権威には無抵抗で弱者はいじめ、現実の惨めさを口先で糊塗し、思考で逆転させる彼の滑稽な人物像を描き出し、中国社会の最大で病理であった、民衆の無知と無自覚を痛烈に告発した』とあった。

魯迅、今でも中国の近代文学史にひときわ高くそびえる存在らしい。

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