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vol.56 ゴーゴリ「外套」を読んで(平井 肇訳)

1840年に書かれたロシア文学。180年前のロシア、酷寒のペテルブルグの街を、外套の襟を立て、うつむいて歩く小役人を想像した。その仕草や身なりや臭いまでもがとても鮮明に伝わった。みんなから嘲笑される哀れな万年九等官の内面を知りたいと思った。

岩波解説に、ドストエフスキーの「我々は皆ゴーゴリの『外套』から生まれ出たのだ」との言葉が紹介されていた。また、芥川龍之介はこの「外套」を模倣して「芋粥」を書いたらしい。

あらすじ
ペテルブルグに住む主人公アカーキイ・アカーキエウィッチは下級役人。生活は慎ましく仕事は実直な彼ではあったが、同僚から「半纏(はんてん)」と揶揄されるほどの古びた外套を着ていた。大金をはたき、やっとの思いで外套を新調したアカーキイは、職場のみんなからチヤホヤされて幸せな気持ちだった。ところが役所のみんなと祝杯をあげた帰り道、追い剥ぎにあい、自慢の外套を奪われてしまう。取り戻そうと警察署長や有力者に尽力してもらうよう頼むが、逆に叱責され、心労も重なり倒れ込んで死んでしまう。
アカーキイが亡くなった直後から、夜な夜な役人の格好をした幽霊が、道ゆく人から外套を追い剥ぐという噂がたった。その幽霊はまさにアカーキイだった。ある日、幽霊のアカーキイはいつぞやの有力者だとわかると恨みつらみを放ち、有力者の外套を奪う。それからその有力者は部下たちに高慢な態度をとらなくなった。(あらすじおわり)

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僕は、この滑稽で憎めない小役人のアカーキイを愛しく感じた。なんとも憎めない子どもっぽい彼の姿が浮かんだ。新しい外套が出来上がると、「まるで結婚したかのように喜び」、初めて外套を着て職場に行った時、「にやりにやりと笑いをもらした」とある。また、外套が奪われると「わめきたてながら、交番で怒鳴りだした」らしい。なんとも人間らしく、あふれてくる感情を隠すことなく、喜怒哀楽を示す彼に親しみを持った。

ネットにある批評に、「ちっぽけな人間にも内面はある。虫を観察するような差別的扱いはすべきでない」とか、「人間の無意識に潜んでいる『自己顕示欲』が、一善良な小市民を食いつぶしている様が描かれている」とか、まあ、そうかもしれないけど、なんだか上から目線で・・・。僕はアカーキイをもう一度想像した。

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酷寒のペテルブルグの夜の街で、外套のえりを立て、ブツブツと独り言を言いながら歩いている、風采の上がらない男を思った。そこにアカーキイを重ねた。その人の声がよく聞こえ、よく臭い、よく響いた。その人は、ブツブツと言ってるけれど、誰かを非難することもなく、隣の仕立て屋を理解し、みんなから嘲笑される哀れな万年九等官かもしれないけれど、それなりの幸福を感じながら生活をしている人に思えた。

実際に、ゴーゴリが過ごしたロシア帝国の首都ペテルブルグは、追い剥ぎの存在は悲しいけれど、苦しい中にも楽しみを見つける庶民の暮らしぶりが浮かんだ。当時のペテルブルクは、街自体が大きな外套に包まれ、そこに暮らす住民はあったかさを感じていたのかもしれない。ゴーゴリが描く小役人をまた読んでみたい。

おわり

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