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vol.38 古市憲寿「平成くん、さようなら」を読んで

数年ぶりに現代小説を読んだ。この本、妻が間違って注文して放り投げていたもの。新たな元号が決まった中、なんとなくこのタイトルに惹かれてしまった、。近代文学ばかり読んでいる僕には、やたらカタカナの固有名詞をちりばめた「現代」の描写に、戸惑いと新鮮味を感じた。また、テレビの中の著者は、小説を書くイメージが僕の中にはなかったので、芥川賞ノミネートのニュースに少し驚いた。

この小説、安楽死をテーマにしたもので、安楽死が合法化されているという設定。死を望む「平成くん」とそれを止めたい「愛ちゃん」の物語。

多分、作中の「平成くん」は「古市くん」を投影させていると思うけど、思いの外(^ ^)構成がしっかりしているので面白く読めた。また、社会学者らしく、若者の自殺率が増えているこの時代に書いてみたいテーマだったんだろうなと思った。

「生きることの意味」や「死の時期を自由に選択したい思い」などは、心の悩みとして、近代文学の中でも宗教の中でもよく出てくるけど、「平成くん」が悩んできる部分は、もっと実質的な部分だと思った。「平成くん」にとって「生きることの意味」とは、社会に影響を与え続けることだと考えている節がある。そうすると、次の時代はAIに託すこともできるかもしれないと考えた彼は、その可能性を信じて「スマートスピーカー」を作って、「愛ちゃん」に贈った。「愛ちゃん」は、かわいそうだけど・・・。そんな感想を持った。

平成が終わろうとしている今、明治、漱石「こころ」の自殺と、平成の自殺は、孤独と虚無感が共通していると思う。スマートスピーカーに「ねえ、平成くん」と呼びかける時に感じるであろう孤独と虚無感が、なくなる時代がくるのだろうか。合理的でクールな「平成くん」は、自分の存在をAIに託すにしても、残された「愛ちゃん」の心はどうしてくれる。

さて、次の「令和」に安楽死が合法化されたらどうなるか。到底、「一人ひとりの日本人が 明日への希望とともに それぞれの花を 大きく咲かせることができる そうした日本でありたい」との総理の願いごとは叶わないと思う。

僕は、近代文学に描かれている人間くさい心の悩みこそ、スマートスピーカーに「ねえ、平成くん」と呼びかける「愛ちゃん」の孤独をやわらげるヒントがあると思えてならない。まあ、「愛ちゃん」が孤独だと決めつけるには、勝手な思い込みかもしれないけど。

(おわり)

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