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写真批評 サシイロ

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様々な写真家の写真を批評した評論。 変わりばえしないモノトーンな日常に色が射すように、あなたの気付きになればという思いを込めて。
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写真批評 サシイロ 22 魂の故郷を探し求めて 〜奈良原一高

写真批評 サシイロ 22 魂の故郷を探し求めて 〜奈良原一高

 先日NHKのEテレ日曜美術館で写真家奈良原一高の特集「魂の故郷を探し求めて」という番組が放送された。

 奈良原一高は、前から気になっていた写真家の一人である。私が彼を知ったのは、「王国」という写真集で、修道院や刑務所などの閉ざされた空間で撮られた写真なのだが、その施設内の規律が支配する重々しい空気を切り取ったのではなく、むしろ規律があってもその中でもふと表れてしまう人間らしい瞬間を撮ったもので

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写真批評  サシイロ  21  〜被写体の可能性

写真批評 サシイロ 21 〜被写体の可能性

HIROMIXという写真家がいる。
彼女の「girls blue」という写真集は、出版当時かなりの衝撃的なものだったそうだ。それもそのはずで、被写体は高校生の女の子が日常触れ合う、何てことのないモノや人、風景だったりしたからだ。しかし、この写真集は今で言うとJKという一つの文化を切り出したものであると言える。そういう視点を提起した写真家としてHIROMIXは注目されたのだろう。

このことからわか

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写真批評  サシイロ  20  〜憧れを撮る

写真批評 サシイロ 20 〜憧れを撮る

皆さんは桃源郷というと、どんな所を思い浮かべるだろうか。
三好和義氏は、桃源郷を南国の海のイメージで捉えているのではないだろうか。彼の「楽園」という写真集は、見ているだけで心が軽く踊り出すような癒しの写真である。

写真というのは、目の前にある光景をありのままに映し出すものだ。だからこそ、現実の枠組みをなかなか超越することは難しい。たとえ抽象的な図にしたくても、プロデュースのために使う道具やオブジ

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写真批評  サシイロ  19  〜見たことのない景色  後編

写真批評 サシイロ 19 〜見たことのない景色 後編

さて、風景写真の最終回は、廃墟写真を取り上げる。
なぜ廃墟写真が風景写真についての批評の最終回になるのか。風景写真は、見たことのない景色を写したものという定義づけを行ったが、見たことのない景色というのは、実際に秘境やなかなか公開されない景色やモノもそうだし、見る視点、例えば縮尺などを変えて見た景色もそうだろうし、更には人間の寿命という限られた時間以上の時間の作用で変化した景色もそれに当たると考えら

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写真批評  サシイロ  18  〜見たことのない景色  中編

写真批評 サシイロ 18 〜見たことのない景色 中編

前回より風景写真が果たす役割について考察しているが、見たことのない景色とは、何も人があまり行ったことのない場所やほとんど公開されたことのない秘境に行かなければ遭遇できないものではない。

例えば、松江泰治氏という写真家がいる。彼は地表写真家とでも呼ぼうか。高度の高い宙から地表面を撮影している。視点の尺度を変えることで、私たちが日常暮らしている風景や集落、街が一変してしまうのは興味深い。
松江泰治氏

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写真批評  サシイロ  17  〜見たことのない景色  前編

写真批評 サシイロ 17 〜見たことのない景色 前編

風景写真というジャンルがある。人気の高いジャンルの一つである。
風景写真を撮る動機は様々であり、今回から複数回かけて、その動機ごとに風景写真の果たす役割を明らかにしていきたい。
まず、今回は佐藤健寿氏の「奇界遺産」を取り上げたいと思う。

奇界な遺産というコンセプトは、いくつかの要素をクリアした風景のように思われる。例えば、民族や宗教的な背景に裏打ちされたもの。それが別の民族から見たら、まるでユー

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写真批評  サシイロ  16  〜光=儚さの世界観

写真批評 サシイロ 16 〜光=儚さの世界観

モノクロ写真とは離れるが、光を撮る写真家として、印象的なのは川内倫子氏である。写真集「うたたね」は木村伊兵衛賞を受賞した有名な作品だが、彼女の淡い光の、青みがかった写真は、特に女性に人気があり、川内倫子氏の写真を真似て、同様の基調の写真を撮りたいとカメラを持つ女性は多い。

川内倫子氏の写真を見ていると、光、つまり彼女の撮る写真は、生のある絶対的な一瞬であり、それはいずれ訪れる死という影の存在

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写真批評  サシイロ  15  〜ヌードの醍醐味

写真批評 サシイロ 15 〜ヌードの醍醐味

横浜美術館で「ヌードNUDE〜英国テートコレクションより」が開催中だ。ヌードは写真の世界でも被写体としていつの時代も人を魅了してやまないものの一つである。
ヌードに対しては、写真においては二つのアプローチ方法があるように思う。
一つ目はエロスを追求する方法であり、もう一つは、逆に一切のエロスを排除して身体のフォルムの芸術的な美しさを追求する方法である。
一つ目の方法によるアプローチは、エロスを創る

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写真批評  サシイロ  14  〜動物写真

写真批評 サシイロ 14 〜動物写真

今、まさに桜が満開でお花見をした方も多いのではないだろうか。上野の恩賜公園は花見客で賑わったと聞いたが、上野動物園のパンダの親子とセットで楽しんだ方もいるのではないか。
さて、今回はモノクロ写真とは離れて、動物写真というジャンルについて、触れてみたいと思う。

動物写真というのは垣根が高いものではなく、例えば自分が飼っているペットの写真をSNSにアップしている人もたくさんいるだろう。ペットではなく

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写真批評  サシイロ  13  〜耽美を創る  後編

写真批評 サシイロ 13 〜耽美を創る 後編

前回のサシイロ12では、耽美を構成するために必要な要素はいくつかあって、その中でも時代が必要としているエネルギーについては、私たちが生きるこの現代が求めているエネルギーとは何なのかがわからないと、現代にふさわしい耽美は創れないのではないかと述べた。
今回は現代が求めているエネルギーについて、もう少し考察したい。

演出的な技法である世界観を創り出し、それを写真に収める写真家として、沢渡朔という写真

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写真批評  サシイロ  12  〜耽美を創る  前編

写真批評 サシイロ 12 〜耽美を創る 前編

細江英公の「おとこと女」がJCIIフォトサロンで公開中だ。
細江英公といえば、三島由紀夫とも交流が深く、「薔薇刑」など特に男性のヌードをモチーフにしたモノクロの耽美な世界観で知られている所だ。

細江英公の特徴は、自分の主張を伝えるためにシチュエーション自体を創作し、それを写真に撮るという、どちらかといえば演劇的な作風だと言えるだろう。彼は演出家のような立ち位置で、写真を撮るのである。
では演出家

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写真批評  サシイロ  11  〜日常と非日常の境界

写真批評 サシイロ 11 〜日常と非日常の境界



須田一政の「風姿花伝」は面白い写真集だ。何が面白いのかというと、ごく普通の人たちが異様な空気を発しているからである。
写真評論家の飯沢耕太郎氏は、須田一政のことを、日常に潜むアニミズムを撮る写真家と呼んでいる。それはもはや日常見ている人や光景ではないので、須田一政のことを非日常を撮る写真家と呼ぶ者もいる。

須田一政の写真を見ていると、アニミズムというものは、何も人里離れた自然の中に行かねば撮

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写真批評  〜サシイロ  10  アニミズムを撮る

写真批評 〜サシイロ 10 アニミズムを撮る

鈴木理策の写真展「Water Mirror」が渋谷で開催されていた。
鈴木理策の写真については、私は「熊野、雪、桜」で知ったのだが、Water Mirrorの写真も期待を裏切らない写真の数々だったのではないだろうか。

鈴木理策の写真の特徴は、写真から静謐な空気が伝わってくるところである。凛とした静けさは、幽玄な世界を私たちに見せてくれる。
鈴木理策はこのような写真をどうやって撮るのか。これについ

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写真批評  〜サシイロ  9  ディストーションの世界

写真批評 〜サシイロ 9 ディストーションの世界

アンドレ・ケルテスは、スナップ写真の先駆者である。彼はいつでも持ち歩けるカメラの登場を活かし、偶然にも特別な一瞬に巡り会った時に、その一瞬を必ずカメラに収めた。冒頭の写真もその一つである。このような構図は、現代の写真家の作品の中にも見られるものだ。

スナップ写真もいいが、アンドレ・ケルテスの真骨頂は、やはりディストーションシリーズだと私は考える。
ディストーションとは、歪みやねじれのことを指す単

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