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不自然な対症療法

人間、大概が行き当たりばったり。今日は何か良いことがないか、得や儲けが転がってこないか、楽に過ごせないかばかりを考えている。痛みを感じたら痛みの原因も知らずにそれをただ取り除こうとする。面倒な話がきたらその意味も分からずに大概は逃げ避ける。不安があれば娯楽や嗜好で癒そう気を逸らそうとする。行き当たりばったりの不自然な対症療法ばかりを続けている。この状態がいつまでも続くことに不平や不満は日常のこと。しまいには、これは〇〇の所為だと恨み辛みをほざく。人生筋違いも大概にせい!!すべては己の所業にあることを肝に銘ぜよ。さもなくば、何もかも召し上げられることになる。人生とは何ぞや!生きるとはどういうことか。永い長い人生、いつ何時も、良い訳ではない。良い時もあれば悪い時もある。しかし、どのような時も、その瞬間を無駄にしてはいけない。己の気の持ちよう、心掛け一つで、道が変わる。即ち、運命が変わるということだ。人生を善く生きるために必要なことは何か。何度でも云うが、それは物金、地位、名声、権力、対症療法などではない。それは、本当のことを知ること。これは物事すべての根源。即ち道理。そして、良く深く考えること。対症療法は、これには当たらない。例えば、物事の全体性を捉え、系統立てて考えてみると、今、本当にすべきことが見えてくる。世の中、効率や迅速さが優秀と言われるが、対症療法はむしろ遠回りであることを推して知るべし。世間が騒々しく、混沌とし、性急であったとしても、心を鎮め平安な状態で深く思考をすれば、小野豆と道は啓けてくる。



そのことを肝に銘じ、自然から道理を学び、今日一日を丁寧に思慮深く生きます。



有難う御座います。

幸せを呼ぶそよ風チャリダー/サステナビリティイノベーティブコンサルタント。「感謝感動を世界に地球に」のカングロ代表、ザッポス研究会、イノベーションサロンZ、システムD研究会、サステナ塾、セブメディ創設者