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他のマガジンからもれた、何回かに渡る比較的長い文章を集めました。
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記事一覧

【短編】山から下りるとき 前編

【短編】山から下りるとき 前編

 山から下りるとき、それがどんな山であっても似たようなある種の感覚に捉えられる。

 日本アルプスの縦走であっても、日帰りのピストンであっても、岩登りでも、雪山でも、あるいは郊外の低山であっても、最後のピークを越え素晴らしい見晴らしも消えて、延々とつくづく単調な下山道が永遠につづくようで心底うんざりし、ようやく下界が近づくにつれ、山旅の終わりの実感が押し寄せてくる。先ず決まって音から、車やバイクの

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【短編】山から下りるとき 後編

【短編】山から下りるとき 後編

 バスを待つ間、鄙びた温泉宿で汗を流す。源泉かけ流し、ぬるぬる滑る板の間に硫黄の香りが立ち込め、縁の低く狭い浴槽の湯は明かり取りのガラスから射す日差しに緑瑪瑙の色に輝いている。先客は痩身の中年の男性一人のみ。登山客ではなく、ひがな一日湯浴みしているような秘湯好きと見えた。

 バスが来るのは二時後、カバーを外した読みさしの文庫本でも読んでのんびりすることにする。紙はたちまち湯気でふやけた。

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トマト嫌い(1)

トマト嫌い(1)

 朝採りの瑞々しいトマトをさっと水でゆすいで塩をふり、思い切りかぶりつく……なんとおぞましい行為であることか。想像するだけで、酸っぱいものが込み上げてくる。

 子どもなら、誰だって好き嫌いがあっても不思議ではない。そう、私はトマト嫌いな子どもであった。実をいうと、今でも苦手だ。

 あの色、形、香り、歯ごたえ、そして味わい。好きになる要素が何一つとしてない。青みがかって腐敗した内臓思わせるぐじゅ

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トマト嫌い(2)

トマト嫌い(2)

 食べ物の好き嫌いというテーマから外れるようだけれど、似たような範疇に少食、つまり食が細いという問題がある。いや、少食そのものが問題などであるはずがないのに、ずっと問題にされ続けてきたということこそが、問題となると言おうか。

 今はどうだか知らないけれど、私の小学生時代には、給食を残さず食べなければならないというルールが、厳然としてあったのである。育ち盛りの食べ盛りと言われる年代にあっても、誰も

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重力について(1)

重力について(1)

 子どもの頃、地方の五階建て団地の最上階で暮らしていた。駅ビルでさえ三階建ての牧歌的とも言える時代(田舎だから土地はいくらでもあった)、団地は子どもらの目に聳えるように映ったのではなかったか。市の中心部にある県庁などの高層建築(そして五重塔)を除けば、辺りで最も高かったのかもしれない。

 ベランダからは盆地の隅々まで見晴らしがきいて、小川が見え隠れしながら蛇行しつつ視界を横切ってゆく。ミニチュア

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重力について(2)

重力について(2)

 古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、重いものが軽いものより先に落下すると考えていた(らしい)。大きな岩と小石を同時に高所から落としたら、前者が先に地面に落ちるというのは、なるほど直感に反しない。実験で確かめる必要もないほど、たしかに感じられる。

 それを実際に試したのがガリレオ・ガリレイで、ピサの斜塔から重さの異なる錘を落として比べたという。塔の最上階の窓から身を乗り出すガリレイのイメージが

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重力について(3)

重力について(3)

 二日酔いで腰が抜けたようになって、昼近くまで布団から立ち上がれない。二十代となり、とっくに田舎を出て都会で一人暮らしをしていた。仰向けになるとアパートの二階の窓から空は見えず、視界を塞ぐ隣のマンションの薄汚れた壁を見上げながら、子どもの頃の気怠い昼下がりをなんとなく思い出している。重力に抗えない。

 ある詩人はこんな風に重力について書いている。

 中心 あらゆるものから
 自分を引きよせ 飛

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重力について(4)

重力について(4)

 高所から落ちたとき、あるいは飛び降りたとき、大地に衝突するまでの間に人は一生を思い出す、などと伝えられている。大人から子へ、子からその友達へと。そんなことをまことしやかに口にするのは、当然落ちたことのない人ばかりなのに、まるで体験したかのように、あるいは直接その耳で当事者から聞いたかのように話すのである。この話の元をどこまでも遡ってゆくと、いつしか転落したが奇跡的に一命を取り留めた人に辿り着くと

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重力について(5)

重力について(5)

 山好きなら誰もが知っているにちがいない伝説的なアルピニストが、アルプスの岩壁から大転落した時のことを記録している。トップで岩登りをしている最中の滑落で、辛うじてザイルが彼を引き止めたが、それまで数十メートルかそこら空中を落下した。まるで恐怖を感じなかったというが、勇猛果敢なアルピニストだったからではなく(本人は間違いなく勇猛果敢なアルピニストであったが)、落ちながら死ぬという実感がない。高価な登

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重力について(6)

重力について(6)

 木の葉が落ちる 落ちる 遠くからのように
 大空の遠い園生が枯れたように
 木の葉は否定の身ぶりで落ちる

 そして夜々には 重たい地球が
 あらゆる星の群から 寂廖のなかへ落ちる

 われわれはみんな落ちる この手も落ちる
 ほかをごらん 落下はすべてにあるのだ

 この惑星は恒星の周りを巡っているのではなく、そこへと向かって際限なく落ちているのだ。そして、大地に繋ぎ止められてひしゃげたような

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笈を負い、故郷に錦を(1)

笈を負い、故郷に錦を(1)

 ちょうど多感な高校生のときに、ちくま文庫で太宰治の全集が毎月一巻ずつ出版されて、それを読むのが楽しみになった。10巻もある全集を読破した元々のきっかけは、当時、ギター少年がロックレジェンドに心酔するような仕方で傾倒していた三島由紀夫で、たしか『小説家の休暇』という日記の体裁を借りた批評集の中に、有名な(?)太宰批判があったからである。

 手元にないから、何十年も昔の記憶で書くが、『斜陽』を俎上

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笈を負い、故郷に錦を(2)

笈を負い、故郷に錦を(2)

 全集を読破するほどの愛読者だったから、太宰治のことは詳しく知っている。実をいうと、高校を卒業した春、津軽にある太宰の生家が「斜陽館」といって旅館となっているときに泊まりに行ったことさえあるのだ。後に本当に斜陽になって潰れてしまったらしいが。

 長兄が国会議員を務めた程の素封家である実家の仕送りで、都会で勉強もせずに堕落した生活を送っていたが、尋常ではない文才の持ち主だから、そのだらしのない日々

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ワンス・アポン・ア・タイム・イン・石神井公園(前編)

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・石神井公園(前編)

 私が大学進学のため上京した年、池袋の東武百貨店の催し場で昭和文学展が開催されたと記憶している。地下にあるJR池袋駅の円柱ごとに芥川龍之介(右上)、太宰治(右下)、川端康成(左上)、三島由紀夫(左下)のポートレートで四分割されたポスターが貼られてあった(割振りは曖昧な記憶に基づく)。
 和服の芥川は文机向かって、左手の親指と人差し指の間で尖った顎を支え、こちらをギョロリを見つめている。太宰は例によ

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ワンス・アポン・ア・タイム・イン・石神井公園(後編)

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・石神井公園(後編)

(承前)
 笈を負い、衣錦還郷の志を抱いて上京した田舎者の少年、というか、19歳なのだからもうほとんど成人は、石神井でひとり暮らしを始めた。そして、堕落した。これは何も太宰の影響ではなくて、ただ本人の性向のしからしめるところであった。薬物や女遊びに耽り、非合法の政治活動に身を投じた……わけでもなく、酒と煙草の味を覚え、講義に顔を出さなくなり、作家になるなどと本気で考え出したのである。そのあたりの詳

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