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思いを表現したいだけなのに

表現する行為は自分の解放のつもりで、気が付けばしんどいものになる時がある。

うまく伝えられない。
なんでこんな表現になっちゃったんだ。
エネルギッシュに書いてみても、思いをぽたぽた落とすように書いてみても、身をよじりたいほど自分がつたない。
言葉を尽くしているつもりが、こんなだと思いは伝わらないよ。

自分の書いたものをうんざりしながら眺める。

始まりはどんなきっかけであれ、淡々と続けているだけのはずなのに、心がいつの間にか身に覚えのない傷だらけ。
風にさらされて初めて痛みに気付く。
自分をあらゆる部分をただ消費して、カサカサになっている。

なのに表しきれていない。

年月をかければかけるほどに、自分のいたらなさが目につく。

他の人にとっては少なくても、私にはおそれ多いほど読みに来る人たちがいるのに、声が届かない孤独感に包まれる。
自分の力量不足なのに。

人の強い思いに押しつぶされそうな時がある。
自分に向けられているわけじゃないのに。

自分でどうにかしなくちゃいけないものを、誰か助けてと人の言葉を欲してしまう。
声を聞かせてほしくて、そこに立ち続ける。


そんな日は自分を休ませようよ。

それは弱いんじゃない。自分の心に気付けた優しさだ。

何日だって何か月だって良い。
自分の心に元気が出るまで。
時間かかるのだったらそれだけすり減らしてきてしまったってことなんだ。

がんばれる人と比べないで良い。
がんばれる人は心だけじゃなくて体力もある。
どこかで心のエネルギーを消費しないようにしていたり何かを犠牲にしていたりする人だっているだろう。

なのに、そんな人たちより自分は足りないとつい思う。
足りないところが手に入らないものかと願う。
だけど自分にとって一見弱いように見える部分が、ほんとうは大切な部分でもあるからね。

それだけたくさん感じて、人生が豊かに彩られているんだ。
悲しい華やかさかもしれなくても、人にはない色まで鮮やかに。
その色に気付き、目にする時がやってくる。

それが一瞬であっても。
その一瞬を心いっぱいに味わう力はきっとあるでしょう?

だから。今はがんばらないで。
自分を責めないで。



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