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焦らず生きていくことがどれだけ難しいのか

 目の前に到着した電車がすごく混んでいても、見送ろうとする人はあまりいない。だってみんながそうして乗るのを諦めないからこそ、満員電車なんてものは存在するのだから。誰だって、少しでも早く目的地につけるのならそうしたいと思うだろう。
 そんなふうにいつだって、人々は「焦る」ものだ。というより「遅れない」ようにするのが当たり前である。もちろん性格とか障害とか気分とか運とか生き方とか色々によって、この当然は変わるだろうけど、それでも何かに遅れず目指すということは、多くの人にとってなんの疑問もない日常である。

 この気持ちはなんだろう。どうして私達は焦りをこんなにも当たり前に受け入れるのか。人生の先に何があるかわからないからだろうか。今、急がなければ、もしくは立ち遅れてしまったら、もう2度と手に入らないものがあるかもしれないと思うからだろうか。
 でも未来がわからないのなら、そんなことに労力を割くというのも不思議に思うはずだ。焦るのと同じくらいに、「いや、待て」と尻込みする気持ちだって当然のもののはずである。

 だからかもしれない。
 そうやって焦りと尻込みが私達の中に同時に生きているからこそ、なんだかその不安をかき消したくて、動かずにはいられないのかもしれない。私達は心も身体もある存在だ。そしてそれらは繋がっている、きっと。見えないけれども、互いが互いに影響しあっているはずだ。そのために心の不安定さを受け止めて、身体がそれをなんとかしようとしてしまうのだろう。
 そういう理由で私達は焦り、そして急ぐのだ。この人生を、他の人と比べて「遅れた」ものとしないために。そういう意味で、「焦り」とは誰にとっても当たり前の、生きるということそのものなのかもしれない。
 だから、それを全くしないように生きていくというのは、とても難しい。生きるのをやめる時くらいしか、焦らなくなる時は、不安がなくなる時は、ないのだろう。

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