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指導者と精神医学(2): アドルフ・ヒトラー(前編)

皆様、こんにちは!鹿冶梟介(かやほうすけ)です。

シリーズ「指導者と精神医学」ですが、ご好評をいただきましたので、是非継続したいと思います。

やはり歴史上の指導者のメンタルの問題は、多くの方の興味を引くようですね。


そして本シリーズの第2回目である今回は、ご存じ「アドルフ・ヒトラー」を精神医学の観点から紹介します。

前回のリンカーンは「正義の指導者」という印象が強いのですが、今回紹介するヒトラーは「指導者」というよりは「悪の独裁者」というイメージですね…。

実を言うと、ヒトラーのメンタルヘルスを含む”病気説”については、多くの学者によって研究されており、ゴッホ同様「病気のデパートと言っても良いぐらい諸説があります。

従って、現在唱えられている学説全てを記述することは困難なので、本記事ではヒトラー病気説の”ごく一部"についてご紹介します。

しかし、”ごく一部"とは言え、ヒトラーの”病気ネタ"はたくさんあるので、今回は「前編」「後編」に分けて説明したいと思います。

少し長くなりますが、お付き合い頂ければ幸いです。


【ヒトラーとは?】

ドイツの政治家で、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の指導者

侵略政策を強行し、1939年第二次世界大戦を引き起こした

またアーリア人の優位性を掲げ、ユダヤ人を虐殺した(ホロコースト)。


【ヒトラーの生い立ち】

ブラウナウにて、アロイス・ヒトラーとクララ・ヒトラーの四男として出生。

アロイスはオーストリア=ハンガリー帝国の税関職員、クララはアロイス宅の住み込み家政婦だった(クララは3番目の妻)。

ヒトラーと母クララとの関係は良好だったが、父アロイスはヒトラーを度々鞭で虐待していたため、二人の仲は険悪であった。

アロイスは落ち着きのない人物であり、絶えず引っ越しを繰り返した(同じ街で12回も住所を変えたことがある!)。このためヒトラーは10代半ばまでに5つの学校に通った

父アロイスはハプスブルグ君主国の支持者であったため、その反動としてヒトラーは”大ドイツ主義”に傾倒したと言われている。

【ヒトラーの生涯(ライフヒストリー)】

まずは、ヒトラーの生涯(ライフヒストリー)を歴史的背景と共に、簡単に紹介いたします。

1889年(0歳) :オーストリア・ハンガリー帝国のブラウナウ(現オーストリア)にて出生
1900年(11歳):小学校を卒業。大学予備課程(ギムナジウム)には進めず、リンツの技術学校に入学。
1901年(12歳):二年生への進級試験に失敗(留年)。
1903年(14歳):父アロイス病没。リンツ実技学校中退
1904年(15歳):シュタイアー実技学校入学。
1905年(16歳):シュタイアー実技学校中退。以後、正規教育は受けず。
1906年(17歳):ウィーン美術アカデミーを受験するが不合格(2年間ほど進学にチャレンジするが断念)。
1909年(20歳):住所不定の浮浪者として警察に補導される。
1913年(24歳):オーストリア軍への兵役回避の為に国外逃亡。翌年に強制送還されるが「不適合」として徴兵されず。
1918年(29歳):マスタードガスによる一時失明とヒステリーにより野戦病院に収監、入院中、第一次世界大戦は終結。
1919年(30歳):レーテ(兵士と労働者の評議会組織)参加し、大隊の評議員となる。
1920年(31歳):ドイツ労働者党(後の国家社会主義ドイツ労働者党: ナチス)の活動に傾倒し、軍を除隊。
1921年(32歳):ナチスの第一議長に就任する。
1923年(34歳):ミュンヘン一揆を主導するが失敗。警察に逮捕される(翌年ランツベルク要塞刑務所に収監)。
1926年(37歳):「我が闘争(Mein Kampf)」を出版。
1932年(43歳):大統領選に出馬、決選投票でヒンデンブルクに敗北して落選。しかし国会選挙では第一党に躍進してさらに影響力を高める
1933年(44歳):大統領ヒンデンブルクから首相指名を受ける
1934年(45歳):突撃隊幹部を粛清して独裁体制を強化(長いナイフの夜)。ヒンデンブルク病没。大統領の職能を継承し、国家元首となる(総統となる)
1936年(47歳):ベルリンオリンピック開幕
1938年(49歳):オーストリアを併合する。
1939年(50歳):チェコスロバキアへ武力恫喝、チェコを保護領にスロバキアを保護国化。同年に独ソ不可侵協定を締結後、ポーランド侵攻を開始。第二次世界大戦の勃発
1940年(51歳):ドイツ軍がノルウェー、デンマーク、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、フランスに侵攻
1941年(52歳):ソビエト連邦に侵攻を開始。アメリカに宣戦布告。
1943年(54歳):スターリングラードの戦いで大敗。また連合軍が北アフリカ、南欧に攻撃を開始、イタリアが降伏する。
1944年(55歳):ソ連軍の一大反攻により東部戦線が崩壊、連合軍が北フランスに大規模部隊を上陸させる(ノルマンディー上陸作戦)。暗殺未遂事件によって負傷
1945年(56歳):エヴァ・ブラウンと結婚(ヒトラー最初で最後の結婚)。ベルリン内の総統地下壕内にてピストルで自殺

【ヒトラーの病歴(カルテ)】

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偉大な指導者の栄光の影に、苦悩や悲しみあり?歴史上の指導者のメンタルヘルスについて解説!

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