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[小説 23時14分大宮発桜木町行(2)]牛に願いを

 やり切った。ビルを出た時まではそう思えた筈なのに、丸の内地下中央口までの地下街に入る頃にはもう、後悔が頭をもたげた。

 改札を通って何の迷いもなく水色の電車に乗り込み、もたれ掛かれる場所を確保してホッと一息つく。はたと、立ち寄りたかったお店のことに今更気付く。せっかく滅多に来ない東京駅に来たというのに。

 入社して成し遂げたいことも、事前に整理し何度も練習したことも見事に吹っ飛び、熱意だけで押し切ってしまった。
 一方で、志望する動機や業務の質問には、ゼミで学んだことをリンクさせて上手く話せたと思う。それでも、いかにもテンプレ的な内容にも今は思えて、今更ながら顔が赤くなる。

 「これが私だ」と主張しつつ自然な形で表現する。なんと難しいことなのだろう。後悔しても、仕方がないのだけれど。

 多分これが、今の私にできる全てなんだ。

 「そのままの七海を気に入ってくれるところだといいね」

 今この時、母の言葉が沁みる。結果は全て先方の手に委ねられた。

 

 手帳を開いて次の面接のスケジュールを確認する。二日後かぁ。

 第一志望の企業との最終面接が終わった。言い知れぬ緊張から解放された後の、自分自身の不甲斐なさから目を逸らすために、スマートフォンを取り出す。先週、途中で観るのを止めた海外ドラマの続きを観よう。冬名残の薄暗い寒空を眺めるよりも、心が休まる。

 キーパーソンである頭部が淋しいが故の短髪の男性が呟いた一言が、物語の展開を変えようとしていたそのタイミング。

 手元の振動と共に、見覚えのある会社名が画面上に現れた。先々週に最終面接を受けた、いつ着信しても電話が取れるように登録した地方の会社からの電話。

 次の停車を知らせる音声。浜松町駅までもうすぐ。切られないかとそわそわし始めた。ほんの十数秒が途方もなく長く感じる。
 ドアが開くと同時に電話を取り、イヤホンをつけたままでスマートフォンに耳を当てた。

 「厳正なる選考の結果、藤井様の採用が内定いたしました。つきましては近日中に改めて内定通知書等書類を…」

 ただでさえ慌てていた頭が更に混乱する。こんな十数分そこそこで気持ちの浮き沈みが激し過ぎる。情報が整理できない。嬉しさを冷静さで装って返答し、電話を切った。

 次の電車をホームで待つ。整理しよう…ホームへ潜り込む冷たい風がそう言った。

 

 私は牛や豚、鶏たちと共に大学時代を過ごした。つなぎ服と長靴のいで立ちでホルスタインや雑種の牛などに食事を与えたり、広い大学の敷地(牛にとっては多分狭い)に牛たちを連れていったりしている。製品開発・製造、ひいては牛乳や食肉の成分分析と成分を活用した医薬品開発の可能性を探る研究まで行ってきた。

 幼稚園児の時に両親に連れて行ってもらったマザー牧場で、牛さんたちに顔を舐められた。
 普通トラウマにもなりそうなところを、私は「好かれちゃった」と感じたことが、牛さんLOVEになったきっかけだ。
 部屋にはホルスタイン、ジャージー種などのぬいぐるみやグッズだらけ。そうそうお目にかかれない肉牛に至っては、フェルトや毛糸を使って、ぬいぐるみやキーホルダーを手作り。

 卒論のテーマは「乳牛の健康、高品質な牛乳生産と共存できる国内飼料確保の未来」

 私にとって牛さんは「友だち」。私の友が健康かつ穏やかに暮らし、私たちに与えてくれる恵みを有難く頂戴するために、より良い生育環境はないのかを考えてみたかった。

 

 内定をもらった会社は第三希望。地方の乳飲料メーカーであり、生まれてこのかた神奈川でずっと暮らしてきた私にとっては、慣れない地での生活に不安があった。

 ちなみに第二志望のメーカーは書類選考で落とされた。まったくもって見る目がない。

 

 二日後の結果を待てばよい。第一志望が決まれば、そこにする。そう決めていた筈。

 それなのに何故ここまで揺れるのか。それは、面接での印象のせい。元々の希望順と逆に、内定をもらった会社のほうが良かった。

 第一志望の会社はよく耳にする有名大企業であり、正直給与などは一流だ。

 だが目にした人々の雰囲気が気になった。面談は今回の最終を含めて三回とも圧迫めいたもので、正直疲れた。筆記での担当者も個性の強い印象だった。廊下でちらっと目にした社員は誰も忙しさを隠そうともせず、ピリピリしていた。

 果たして私は、あの雰囲気に慣れることができるだろうか…新卒しか採用しない企業なので、チャンスは今回のみ。もしも機会が貰えるのなら、あの空気に飛び込んででも自分の力を試してみたい思いはある、筈なのだけれど…
 …ヤダヤダ意気地なし。私がここまで自信のない人間だったなんて。

 内定を受けるかどうか、最終回答は待ってもらえるという。両親の生きた就職難の時代を考えたら贅沢な悩み。
 とは言え、こんな機会いくらなんでも何度も得られるものではない。素直に有難く受け取るほうが、バチが当たらない。あー悩め悩め。大いに悩め。

 

 ホームに降りて考える。ふーっ。乗り換えの前に何かアクションを起こして、この混沌とした頭の中を切り替えたい。なんなら自分なりの答えを今出したい…なんてせっかちな私。それに気付きつつも、結局私は改札を出て華やかな駅ビルへと向かった。

 何を探すでもない視線は通路奥の高級スーパーマーケットを捉える。あれ?もしかして…曖昧な確信のままで店内に吸い寄せられると、私は思いがけなく重要なヒントを見つけた。
 私が一目散に向かったのは、厚着していなければゾクッと寒気を感じる乳製品売場。

 乳製品の棚を凝視し隈なく探す。ここにはあの会社の製品も、あそこの製品もある筈。

 案の定、まず第一志望の会社の商品が、一番目立ちやすい高さの位置に鎮座している。やはりこのヨーグルトはどこにでもあるな。こだわりの乳酸菌ブームを牽引するこの会社なら、少し高級に感じてでもこの店の購買層への訴求力は高い。

 内定をいただけた会社のヨーグルトもあったが、少し目立たない高さに陳列されている。やはりブランド力の違いがはっきり表れているのかな…でもこの製品には、店員さんのおススメポップがついている。

 躊躇なく私は両方を購入。ワクワクしながら京急の改札を抜けた。ウチに帰ってから食べ比べしてみよう。

 そう。製品を比較して私が気にいった製品を扱っている会社に決めよう、という算段。

 最寄り駅を降りると、馴染みのスーパーマーケットがある。庶民向けのラインナップを押さえるのも重要なマーケティング調査だ。

 やはりどちらの商品も陳列されている。第一志望の会社は大企業の知名度と強みを活かして豊富なラインナップ。多過ぎてどれを選ぶか逆に選べない。一方内定をもらった会社のヨーグルトは三個パックの一つのみ。割と安価なこともあり、私が幼いころから売られていたロングセラー商品だけ…どちらが優勢かはこの陳列を見れば一目瞭然。

 なんだか公平じゃないなと思っていた私の目に飛び込んできたのは、プリン。
 子供向けの商品、だなんて侮れない。最近のプリンに対しては、滑らかタイプか昔ながらの固めの焼きプリン風かなど、年齢を問わず嗜好の範囲が非常に広くなっている。
 幸いどちらの会社も一個売りの力の入っていそうなプリンがある。私はそのプリンと庶民派三個パックのヨーグルトとを、それぞれ一つずつ購入した。贅沢した感じでホクホク気分。

 

 部屋に戻ると買い込んだヨーグルトとプリンを勉強机の上にズラッと並べた。

 こりゃ買い過ぎだ…いや、私の人生がかかった大事な両社のプレゼンがこれから始まるのだ。さぁ、どちらともかかってきなさい。
 さて、どれから手を付けようか…

 まず手に取ったのは、乳酸菌にこだわる第一志望の会社のヨーグルト。マイバッグの中で揺れたせいでアルミの蓋に結構引っ付いたヨーグルトをペロッと舐める。サラッと滑らかな食感と、なんとなく身体に良さそうな風味。流石の実力をこの小さな一杯で思い知らされる。

 次は店員さんがポップでオススメしていたヨーグルト…ほぉ、芳醇な牛乳味、言い換えれば生クリームにも近い濃い味がとても印象的。私、これ好き…トルコ風アイスのようなねっとりこってりした感じ、好き。

 同じ会社の三個パックを次は試してみる。ゼラチンで固まったロングセラーヨーグルト…うん…懐かしい。素朴な味。

 豊富な商品群から、公平を期するために選んだ、第一希望の会社の三個パック。私が小学生の頃にいつも食べていた馴染みのもの。そうそう、この味よ!これもゼラチンを使っているので食感は前者と似ているけれど、単純に馴染みがある分贔屓目に評価してしまう…

 …いや、いかんいかん。ここは人生を決める重要局面。情に流されて人生をフイにする訳にはいかない。
 気を取り直そうと視線を逸らすと、一番仲良しなホルスタインの「にゅうべぇ」と目が合った。ね、にゅうべぇ、そうだよね。

 今のところ五分五分。濃い味が気にいった内定先と、贔屓目がチラつく第一志望…最終決断は、甘くて苦いプリンに託された。

 第一志望先のプリンは滑らかな舌触りが特徴的。カスタードの風味と絶妙に絡み合うカラメルのマリアージュが見事過ぎる。

 こっちがこうきたなら、そっちはどう勝負する?ドキドキしながら最後のプリンを開けると、目に飛び込んできたのは焼きプリン風のプツプツの表面。スプーンをプスッと刺して、底に眠るカラメルと一緒にひとさじすくう…
 …むむ。こ、これは…

 

 夕飯の準備をする母。私は「ねぇ」と声を掛ける。私の決断が正しいのかを最初に訊いてみたい人は、どんな反応するだろう…

 「いいんじゃない?だけど七海、一人暮らしは大丈夫?」

 学業以外全てにおいて壊滅的にものぐさな私の性格のほうが、母は心配らしい。

 「そ、そうかぁ…そこは…うん…大丈夫」

 「でも、なんでそっちを選んだの?」

 その理由は、母には話しづらかった。面と向かって言うのは、恥ずかしい。


 部屋に戻って父の返信を確認する…「なぜそっちを選んだの?」
 父には素直な思いを返信したー

 ー母さんの作ってくれたプリンの味…弾力のある卵たっぷりのカスタードと、強い甘みの向こう側に苦さをちらっと見せる優しいカラメル…そんな母のプリンにとても似ていたから、と。
 細胞レベルで根付くものには、とても抗えない、と。そして中堅規模だからこその伸びしろに、私のやってきたことを賭けてみたい、と。

 「そうか…牛さんもそれがいいって?」

 「えっ!?」

 一瞬たじろいだけれど、すぐに返信した。

 「はい。にゅうべぇもそっちが住みやすいからいいって」

 「そうか。じゃ七海の決断、尊重します」


 私はその日のうちに電話をかけた。内定をありがたく受けさせていただきます、と。改めてお礼を述べて電話を切った。

 決まったぁー。床にへたってにゅうべぇに手を伸ばし、ギューッと抱きしめて顔もうずめて大声を上げた。

「いくよ一緒に、空が広いあの街に!」


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