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たった一つの優先 - こころの治癒⑤

(心のカタチより)

前回「感情に囚われてた心を気づくのも自分、我に返すのも自分」との話しをしました。それは自身の心の中にある気持ちに気づくことが唯一自己治癒を働かします。その気づきがないままではどれもこれも感情を湧かすチカラとなるからです。

自分たちは”心を知らないまま”良かれと想い、人に言葉を掛けてます。もし。それがどことも分らない心にどうやって想いを掛けていたのか。それは相手の気持ちに届く以前に感情を湧かさせます。それでも、相手の気持ちに触れれる言動もできます。それは、気づきとなる相手の”こころの記憶”を引き出すことです。

今まで”心のカタチ”では幾つかの話をしてきました。
それらは自分自身の心が”幸せ”に気づく術を持つことが”こころの治癒”を促します。

優先するはたった一つ。
”まず出来ること”にあり。
誰のこころにも共感しえる気持ちを感じ合うことです。

「どんな病なのか」

幾つかの”心のカタチ”にあるお話しを読まれたと思います。そこにはこんな事を考えた人はおりませんか。

心の病って”どんな病なのか”と。

そもそも、ケガは身体のどこかを負傷してケガとなり、その負傷箇所が判るためそこを治療します。

病気といわれる病には大きく分けて3つがあります。その一つが風邪などのウイルスに身体が侵され、そのウイルスを抑するクスリなどで治療します。もう一つは何らかの原因により体に異常な疾患が生じ、手術などで治療をします。この2つの共通は病が特定でき治療する箇所に効果的治療が解かせることです。

それに対し3つめは、この2つに当てはまらない”こころの病”です。統合失調症・鬱などの病の箇所は心と分かっていてもその心を知らなければ、あるところも判りません。どうやってどこを治そうとしているのでしょうか。

ぽち☆は医者でもなければその専門家でもないので客観的にしか考えてません。

もちろんケガではないし、ウイルス性のものでもない、身体に異常な箇所がある訳でもない。”こころの病”は『何をもって病となるのか』と。
(皆さんの中で”何をもって病となるか”解る方がいらしたら誰もが分かるコメントをください)

そんな病には1つの仮説を考えることからはじめたのです。

”こころの病は人が造った病か”と。

「仮説の理由」

人のメンタルは例外なく浮き沈みをするものです。その浮き沈みの「沈み」の状態から抜け出せない状態を、いわゆる”こころの病”と言われているようです。たぶん。

双極性障害など浮き沈みが激しい躁鬱状態もありますが、それが激しく浮き沈むからと病とされるのも判りません。ただ、その状態に悩んでいる人がいることは判ります。

要するに”こころの病”はケガもなければ身体に疾患もなく、判断するものが無いということです。唯一判るのは心を知らないがため「自身の心の不安定さ」が引き起こす感情に振り回されていると云うことです。

それは強弱はあっても日常的に誰もがあり得ることであり、それを病と判断するには強引かつリスクを人に与えてしまいます。ならば、病と特定するものが見つからないなら、不安定な心に負を与えること事態が”病”にするリスクになります。

そんなこんなで一つの仮説の理由です。

それは”誰かに言われて病とされてないか”。
それを”自身が信じてしまい自らの病としてないか”
から、自身のこころを見直す必要があると考えます。

これは、心の病を否定しているのではなく、当人が治癒するために理解するからはじめることが治癒に向かうと考えてのことです。

「火に油を注ぐ」

人は病やケガをすると”不幸”を感じます。
それが病にされたなら尚更です。

本来、メンタルが沈んだ方には”幸せ”を感じさせなければならないのに”火に油を注ぐ”言動を避けるべきと誰もが解ることです。

もし、ぽち☆ならこんな話しをするのではないでしょうか。
「(あなたは)心の病と想っているかも知れませんが、心の病とはどんな病なのか、その病の疾患する箇所が見つけれないなら、もしかしたら病でないかも知れませんね。もしそう思えるなら疾患のあるところを一緒に探してみませんか。もし、その疾患が見つからないなら”感情に振り回されている”だけで、感情を治める方法を持ってないだけかも知れません」と。

これは病と”不幸”を思わせる前に、調べて調べて調べ尽くして、それが病と判断できないことは『病でない』可能性があると知ってもらうためです。

人は”悩む”ことを特に得意とします。ただ、人は悩みたいとは望んでないはずです。ならば、誰かに言われたからと信じる前に”まず出来ること”が感情から抜け出すはじめの一歩になります。その一歩が二歩、三歩と進むことが我を取り戻す治癒になります。

「たった1つの優先」

人は”悩む”ことを”特に×2”得意とします。そんな得意が次から次に感情を湧かす理由を心に与えます。物事を”疑う”のは良くないと思われがちですが、疑って良いこともあり、疑って疑って疑い切れなくなったとき、真実が見えてきます。だから、一度は疑っても良いのではないでしょうか。

「自分は本当に病なのか」と。

心の病とは”どんな病なのか”。

自分はその病の何を知って病と思っているのか。

自分が病と信じること事態が自分を”病”にしてないか、と。

人は感情に振り回される生き者です。

今の自分に解決出来ない出来事に執着すれば、それが理由となり感情を湧かすことから離れなくさせます。我を見失わすのです。

本当の原因は自身のこころにあります。その心が願っている”幸せ’に触れれなければ、感情に心が囚われてしまいます。

自分にできるたった1つの優先とは、”幸せ”を感じることなら何でも良いのです。ただ、忘れてはイケないのは”幸せ”を感じることを怠ってはイケないのです。

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