読書備忘録_8

【読書備忘録】テルリアから死体展覧会まで

テルリア
*河出書房新社(2017)
*ウラジーミル・ソローキン(著)
*松下隆志(訳)
 舞台は二十一世紀紀半ばのロシア、ヨーロッパ。首都モスクワを中心とする地域はモスコヴィアなる国に変貌し、それぞれ壁で区切られたモスクワ、ザモスクヴォレーチエ、ポドモスクワが栄えている。イスラム原理主義勢力との戦争で疲弊したヨーロッパも変わり果てており、その近未来における社会構造は概観するだけで目がくらむほど緻密だ。近年良くも悪くもわかりやすいストーリーラインが目立っていたロシアのポストモダン作家だが、このテルリアの世界では読み手を混乱の渦に巻き込む技法を散りばめ、個人的にありがたいかたちで「やりたい放題」やってくれた。現実的な現代と中世の幻想譚を融合させたような情景が印象的で、極端な小人や巨人、さらには獣人たる異形の者が庶民に混ざり、正教共産主義者と呼ばれる層が睨みを利かせている事情も相まって混沌とした人物関係が築かれている。そして頭に打ち込むことで覚醒を促す〈テルルの釘〉が貧富を問わず影響を及ぼす。五十章に分割された断片的な世界はいずれも異なる文体で表現されており、異様にしてSF色の色濃い群像劇を成している。
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309207346/


文学理論講義 新しいスタンダード
*ミネルヴァ書房(2014)
*ピーター・バリー(著)
*高橋和久(監 訳)
 参考書として、欧米の多くの大学で読まれている文学理論書。構造主義にポストモダニズム、フェミニズムや精神分析、マルクス主義から新歴史主義・文化唯物論など複数の批評傾向を紹介・解説する。けれども本書の特色には、各項の終わりに〈考えてみよう〉というコーナーを設けて読者に考察をうながす点があげられる。読むだけではなく、知識を身に付けさせる工夫をこらしているあたり実践的な面が色濃い。お恥ずかしながら趣味嗜好がかたよっているため当初は文体論や物語論を目あてにしていたが、期せずして不勉強の理論を噛み締めることになった。これは大きな収穫。英米文学を手本に進む解説は頭が痛くなるほど濃厚だ。〈読了〉なる考えを捨て、繰り返し読むことで血肉に換わる本なのは間違いない。本書はあくまでも入門編に分類されるもので、理解を深めるためにはより特定の学問に重点を置いた書籍に頼らなければならないだろう。しかしポストコロニアル批評とかちんぷんかんぷんの自分を入口に立たせてくれたのは、著者ピーター・バリー氏の優しさにほかならない。
http://www.minervashobo.co.jp/book/b165992.html


執着
*東京創元社(2016)
*ハビエル・マリアス(著)
*白川貴子(訳)
 毎朝出勤前にカフェで見かける夫婦。仲睦まじい夫婦を眺めることはマリアの密かな楽しみだった。ところが夫が悲惨な死を遂げ、それを契機に妻ルイサと知り合ったマリアは未亡人となった彼女を慰める。やがてルイサの知人ハビエルが来訪、マリアは一目で恋に落ちる。これだけだと悲劇的なロマンスを連想するし、実際ロマンスの色彩は濃い。しかし物語はハビエルのある言葉が引き金となり、邪悪な匂いを放ち始める。最大の特色は推測に依拠した心理描写だ。あの人はどんなことを考えたのか、あの人はどうするつもりなのか、推測に基づく登場人物の物語が交差することで読み手は迷宮に迷い込む。推測や推理の積みかさねが真相を遠のかせる奇妙な現象。それは〈脱線〉と言えば〈脱線〉だが、本作品を引き立てる鍵はその〈脱線〉にあると言っても過言ではない。謎の解明より謎自体の面白味を強調する作風には特定のジャンルにおさまらない多義性が含まれている。言ってしまえば物語の筋はそこまで複雑ではない。複雑でないものを構成と文体で複雑化する発想力、複雑化しながらも混乱させない技術力が素晴らしい。
http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488016623


塵埃落定 土司制度の終焉
*近代文藝社(2004)
*阿来(著)
*西海枝裕美(訳)
 西海枝美和(訳)
 副題が示す通り土司制度が存続していた頃のチベット族、各地を統治する麦其・汪波・茸貢・拉雪巴といった土司たちの栄枯盛衰を描いた長編小説。最大の特色は麦其家に生まれた次男坊「バカお坊ちゃま」の視点で語られる点だろう。知恵遅れとして周囲の人々から嘲笑される彼だが、類いまれな感性の持ち主でもあり、頻繁に利口な権力者たちを仰天させる大胆不敵ぶりを発揮する姿はまさに「馬鹿と天才は紙一重」を体現している。二人の塔娜、舌を失う書記官翁波意西、問題の種となるアヘンを持ち込む黄初民、バカお坊ちゃまのためなら権威の壁を越える忠実なる小者索郎沢郎と爾衣。個性的な登場人物とともに物語は二転三転し、やがて転落のときを迎える。一人称ならではの表現が面白い。死人が出る戦でも危機感のないバカお坊ちゃまは淡々と血まみれの世界を語り、我が身に危険が及んでも平然と眠りこけて読者の度肝を抜く。度肝を抜かれるのは作中の人物も同様だ。土司制度、ケシ栽培、国民党と共産党の激突、洒落では済まない動乱の歴史をどこか呑気に概観する筆致が色々な意味で凄い。
http://www.kindaibungeisha.com/index.php


聖痕
*新潮文庫(2015)
*筒井康隆(著)
 聖人伝と銘打たれている通り、天性の美貌を持つ葉月貴夫の半生を綴った物語と言える。随所にちりばめられた雅語・隠語、地の文と台詞を混成した文体、個性的にして偏執的な登場人物、各要素がまるで神話のような色気を醸している。けれども作者が筒井康隆氏であることを忘れてはいけない。王道的な貴種流離譚の香りをただよわせながらも、そこかしこに邪悪な悪戯を用意しているから油断できない。葉月貴夫が少年時代、狂気に駆られたおっさんに性器を切断されるところから物語が幕をあける点も然り。この性器切断事件は本作品の軸をなすテーマで、プラザ合意、オウム真理教、東日本大震災といった現実の事件・事故を駆けめぐるあいだも〈生殖機能の喪失〉は彼の足枷となり、人生に影を投げかける。しかし影があるなら光もある。その光こそ葉月貴夫の物語を聖人伝たらしめる鍵となっている。一見御都合主義に映りそうだが、あくまでも一貫しているテーマは御都合主義とは根本的に異なるので、じっくり虚構の面白味に浸るのが吉だろう。本当に筒井康隆氏は次から次に斬新な作品を生みだしてくれる。
http://www.shinchosha.co.jp/book/117153/


東日本大震災後文学論
*南雲堂(2017)
*限界研(編)
*飯田一史(編 著)
 杉田俊介(編 著)
 藤井義允(編 著)
 藤田直哉(編 著)
*海老原豊(著)
 蔓葉信博(著)
 冨塚亮平(著)
 西貝怜(著)
 宮本道人(著)
 渡邉大輔(著)
 3.11は創作の世界にも多大な影響を及ぼした。表題通り震災後における文学の傾向・変遷をおもな論題にしているが、本書の特色として著者の一人である藤田直哉氏が『メタルギアソリッドV ファントム・ペイン』にこめられた反戦・反核のテーマや舞台の社会的表現に震災後のリアリティを見出し、飯田一史氏が『シン・ゴジラ』の災害に対する積極的な描き方に震災後文学の欠落を埋める要素があることを認め、西貝怜氏が『PSYCHO-PASS サイコパス』のシビュラシステム分析を通して原発事故後における科学技術との関わりに言及するなど、批評対象を文学の外にも広げる点があげられる。震災後の社会的風潮、今後の展望、理想的な文学、各執筆者の意識は異なりときには厳しい批判も交える。言わずもがな名うての論者とはいえ個人的見解には相違ない。けれども広範な批評は東日本大震災を捉える上で参考になるし、読解の手引きにもなる。文学論でありながら文化論や政治論、そして東日本大震災論を兼ねている大胆な本。読み応えがあった。巻末に震災後作品出版・公開年度一覧が付記されているのもありがたい。
http://www.nanun-do.co.jp/mystery/genkai-higashinihon.html


パリに終わりはこない
*河出書房新社(2017)
*エンリーケ・ビラ=マタス(著)
*木村榮一(訳)
 自分自身を虚構の題材にするエンリーケ・ビラ=マタスならではの手法で構築された自伝的フィクション。面白かった。本作品は『バートルビーと仲間たち』『ポータブル文学小史』以上に自伝的要素が濃い。二年間に及ぶパリ生活を振り返る作風は内省的で、ときには滑稽な逸話も差し挟まれる。それでも物語はあくまでも「小説」として紡がれている。冒頭で語られるアーネスト・ヘミングウェイそっくりさんコンテストで「外見上アーネスト・ヘミングウェイにまったく似ていない」ため失格になった逸話も、バルセローナ行きの飛行機内で講演用のメモを偶然発見した逸話も、デュラスの屋根裏部屋ですごした文学修業時代を味付けする調味料であり、事実か否かは問題ではないだろう。これは「アイロニー全般をテーマとするシンポジウムに参加するエンリーケ・ビラ=マタスが、アーネスト・ヘミングウェイを筆頭とする高名な創作家たちを採りあげながら講演をおこなう小説」なのだから。あるいは実在人物のそっくりさんたち出演の再現ドラマとして紐解いてみるのも妙味ある読み方かも知れない。
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309207315/


ウは宇宙船のウ
*創元SF文庫(2006)
*レイ・ブラッドベリ(著)
*大西尹明(訳)
 お恥ずかしながら小生はSFの熱心な読者とは言えない。肌に合わないとかではなくて、積極的に手にとる気がなかなか起こらないといった感じなのだ。カート・ヴォネガット作品はそれなりに読んでいるけれども、レイ・ブラッドベリ級の超大物にもあまり手をだしたことがない為体である。これではいけないと思い『ウは宇宙船のウ』(創元SF文庫)を読んだら面白いのなんの。宇宙船を主題とする十六編の物語。一編一編丁寧に読み進めながら、まるで夢見る子供の理想や空想の欠片に触れるような深い情趣を噛み締めていた。子供の視点で語られる場合もあれば大人の視点で語られる場合もあって、色々な世代の宇宙観・宇宙船に対する思慕の念を味わえる。自分も火星にいきたいけれども宇宙船乗組員にはなりたくないかな、そんな気持ちで本をとじた。ヤングアダルトを対象とした短編集だけに物語の表現も構成も馴染みやすく、肩の力を抜いて空想の世界を遊覧できた。アメリカ文学界でもSF業界でも絶大な存在感を示している巨匠レイ・ブラッドベリ。氏の作品にもっと触れたいという欲求が芽生えてきた。
http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488612054


スは宇宙のス
*創元SF文庫(1971)
*レイ・ブラッドベリ(著)
*一ノ瀬直二(訳)
 同出版社の刊行物『ウは宇宙船のウ』と対をなす十六編の自選短編集。主題には童心を匂わせながらも、怪奇色をただよわせたり、未来の状況を風刺的に描写したり、人間の暗黒面を浮き彫りにする物語が多い。皮肉な結末。不気味な表現。これもまた空想のかたち。紛れもなくSFなのだが、エドガー・アラン・ポー的な精神的怪奇(と小生は勝手に呼んでいる)やハワード・フィリップス・ラヴクラフト的な宇宙的恐怖(まさにコズミック・ホラー)に通ずる展開が随所に認められ、童話的な面のある『ウは宇宙船のウ』と比較するとややエグみが強い。それが本作品集の魅力なのは言うまでもない。そして、どちらが優れているか答えをだすことは難しいし、大して意味のある行為ではないと思う。よけいな品評は抜きにして似て非なるテーマをSFの手法で書きわけられるレイ・ブラッドベリの創造力や筆力を素直に味わえばよいのだろう。
http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488612047


死体展覧会
*白水社(2017)
*ハサン・ブラーシム(著)
*藤井光(訳)
 ハサン・ブラーシム氏はアラブ文学を代表する作家と呼ばれながら、日常に潜む暴力性、死と隣り合わせの世界を直接的に表現するスタイルによりアラビア語圏の出版社から忌避されているという。別作品は検閲版を刊行するも即発禁処分を受けた。結果的にアラブ文学の大物なのにアラビア語圏では思うように出版できない皮肉な境遇に置かれている。本作品『死体展覧会』を読むと、なるほどソーシャルメディアを活用する現代的な要素と、次の瞬間には無惨な死体に変貌するといった凶悪的な要素が背中を合わせており、イラクにおける暴力の蔓延がグロテスクなまでに活写されていて衝撃を受ける。非情な現実の地に足を付けた小説、幻想性を加えた不可思議な小説、異なる手法を採り入れた十四編の物語。けれども死が影のように付いてまわる理不尽な運命が描かれている点は、各物語に共通する点と言える。現代中東を物語る痛烈なメッセージとしても、独白・口承の妙味で彩られている「語り」の面白さを追求した作品としても優れている短編集。これを好機にますます中東方面の文学作品が翻訳されることを願う。
http://www.hakusuisha.co.jp/book/b313173.html


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 読書備忘録ではお気に入りの本をピックアップし、感想と紹介を兼ねて短評的な文章を記述しています。翻訳書籍・小説の割合が多いのは国内外を問わず良書を読みたいという小生の気持ち、物語が好きで自分自身も書いている小生の趣味嗜好が顔を覘かせているためです。読書家を自称できるほどの読書量ではありませんし、また、そうした肩書きにも興味はなく、とにかく「面白い本をたくさん読みたい」の一心で本探しの旅を続けています。その過程で出会った良書を少しでも広められたら、一人でも多くの人と共有できたら、という願いを込めて当マガジンを作成しました。

 このマガジンは評論でも批評でもなく、ひたすら好きな書籍をあげていくというテーマで書いています。短評や推薦と称するのはおこがましいかも知れませんが一〇〇~五〇〇字を目安に紹介文を付記しています。誠に身勝手な文章で恐縮ですけれども。

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