読書備忘録_9

【読書備忘録】ダスクランズからクトゥルーの呼び声まで

ダスクランズ
*人文書院(2017)
*ジョン・マックスウェル・クッツェー(著)
*くぼたのぞみ(訳)
 J・M・クッツェーは南アフリカやヨーロッパと植民地の歴史を掘りさげ、言語や人種に関わる諸問題を端正な文体で綴ることで知られている。強靱な意志と広範な知識から織りなされる作風。その文化の重みを語る壮大な物語は独自の寓意性に富み、華々しい開拓の裏に隠された残酷な、血生臭い差別と排除の歴史が精密機械のような筆致で展開されている。三十代目前のクッツェーが借家の半地下で筆を起こした『ダスクランズ』にはもう今の筆致が現れているが、これには驚嘆するしかない。一九七〇年前後のアメリカ合衆国でベトナム戦争の神話化に奔走し、破滅の道を転げ落ちていく青年の物語。一八世紀の南西アフリカにおける先住民と植民者の相容れぬ風習・思想、野蛮な大地に秩序をもたらすという神話を構築する白人入植者の物語。前半『ヴェトナム計画』および後半『ヤコブス・クッツェーの物語』には総勢四人のクッツェーが登場し、権力者クッツェー家の経歴をなぞるような構成をとる。ところがこの構成もまた寓意であり巧妙なまやかしなのだ。畏怖を覚えるほどの完成度だ。極上の物語小説に脱帽。
http://www.jimbunshoin.co.jp/book/b308203.html


チリ夜想曲
*白水社(2017)
*ロベルト・ボラーニョ(著)
*野谷文昭(訳)
 死の床に伏した聖職者・文芸評論家であるセバスティアン・ウルティア=ラクロワの回想録と言えば話は早いが、本作品のポイントは死期を悟った神父を迷宮のような回想に走らせる要因である〈老いた若者〉の存在、不条理な回想の流れ、不定期的に史実の干渉を受ける奇怪な構成にあると思うので、一言で語り尽くすのは難しい。日本語訳にして本文一三九頁改行しないで進む文体も異様であり、特定のエピソードから別の記憶が喚起され、唐突に話題が移り変わるといったどこか自由連想法的な展開も読解のハードルをあげている。その高いハードルに面白味があるのは言うまでもなく、まるで写実的に表現された走馬灯に迷い込むような感覚を味わえる。中編小説にカテゴライズされるとはいえ、文章の密度が文字通り最上限(繰り返すけれども改行がない)なのもあり、大変重みのある作品だった。〈ボラーニョ・コレクション〉全八巻の締めに特大級のひねくれた、それも死という絶対的な主題でシリーズを完結させたのは半世紀しか生きられなかったロベルト・ボラーニョをうまく喩えているのではないだろうか。
http://www.hakusuisha.co.jp/book/b308976.html


O・ヘンリー・ミステリー傑作選
*河出文庫(1984)
*O・ヘンリー(著)
*小鷹信光(訳)
 刊行されたのは西暦一九八四年。この読書備忘録を書いている今現在は西暦二〇一七年なので、刊行されたのは結構昔になる。もっとも自分が生まれた年を昔呼ばわりすると胃が痛くなるから「ちょっと前」と訂正させていただく。それはさておき紙版は品切れになっているため本作品は電子書籍版を読んだ。ミステリー色の濃い作品を収録しているだけあって、シャーロック・ホームズのパロディであるシャムロック・ジョーンズが主役を務める『シャムロック・ジョーンズの冒険』から三作品選出されており、O・ヘンリーならではの皮肉や滑稽味を織り交ぜた推理劇を楽しめる。とにかく読みやすい。バランスのとれた文体、起承転結の明確な展開、そうした短編小説のお手本のようなO・ヘンリー作品は小説を読み慣れていない人に勧めやすく、それでいて読書量を積みかさねた人も新鮮な味わいを堪能できる優れもの。変な表現だが「O・ヘンリー作品なら確実に楽しめる」といった安心感がある。本作品もほかの短編集と重複する話はあるものの、ミステリーの雰囲気で固めた形式だけに推理ものが好きな人なら、せっかく電子書籍化されたのだから手をだすのも一興かと。
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309460123/


絶望図書館 立ち直れそうもないとき、心に寄り添ってくれる12の物語
*ちくま文庫(2017)
*頭木弘樹(編・訳)
 副題と概要が示す通り、絶望的な物語を集めたのではなく、絶望から脱するための物語を集めたのでもなく、絶望の期間をともにする物語を集めるというテーマで編まれたアンソロジー。絶望とは必ずしもバッドエンドを意味するのではない。ときには救済を扱った物語もある。けれども収録作品はいずれも絶望のエッセンスを含み、絶望の時間をすごしている読者に語りかけてくる。父親が増えるという異常事態が起こる『おとうさんがいっぱい』、年老いた母の視点で物語られるミステリー『瞳の奥の殺人』、憎悪と信仰に言及する『虫の話』、ほかにも超短編『鞄』や世界的古典『千一夜物語』の一編、さらには漫画から『ブラックジャック』の一編も収録されているという大胆な構成。古今東西の作品を取りそろえた本書はまぎれもなく図書館であり、読書の面白味を教えてくれる妙薬だ。
※この文章は小生のAmazonカスタマーレビューを元にしております。
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480434838/


サピエンス全史
*河出書房新社(2016)
*ユヴァル・ノア・ハラリ(著)
*柴田裕之(訳)
 およそ七万年前に文化を形成し始めたホモ・サピエンス。本書は現代に至るまでの長い人類史、人類が気が遠くなるほど残してきた足跡をエルサレムのヘブライ大学歴史学教授が概説する力作だ。認知革命や農業革命にうかがえる進化の様子。大陸発見、貨幣登場。宗教、科学。人類の歩みは複雑多岐で大雑把にまとめようとしても混乱するばかりなので詳細は本書に任せるが、誕生に端を発し、未来の展望をもって幕をとじる正統的構成と明瞭簡潔な文章(翻訳者の功績も大きい)のおかげで、厖大な情報量を誇るにもかかわらず歴史物語を紐解く感覚で読めた。実際、ホモ・サピエンスの歴史は長大な物語のようなものである。人類を振り返ることは人類が拵えてきた学問を振り返ることでもあり、ときには生物学を通過し、ときには経済学を通過しなければならない。そこには無数のプロットが組み込まれている。今一度「人類とは」「サピエンスとは」と疑問に思ったとき、この本は知識と想像力を与え、力を貸してくれるだろう。上巻しか読まないなんて勿体ない。楽しい人生を送るためにも通読しよう。電子書籍の上下合本版を購入するのもおすすめ。
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309226712/
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309226729/


純白の夜
*角川文庫(2009)
*三島由紀夫(著)
 雑誌『婦人公論』に連載されていた本作品が刊行されたとき、三島由紀夫は二十五歳だった。銀行員の村松恒彦、勤め先である銀行創立者の娘の郁子、恒彦の学習院時代の同級生である楠。この三人を軸に物語は展開される。楠は郁子を紹介されるなり既婚者ながら心を奪われ、郁子も楠に惹かれ、やがて二人は浅からぬ関係を結ぶことになる。おおまかな筋は古来より紡がれてきた不倫と悲劇を踏襲しているが、プライドの高い男女の巧妙な駆け引きが緊張感をもたらす。何より詩情豊かな文体が素晴らしい。隙のない構成にも認められるように、作家三島由紀夫の個性は二十五歳という若い時分にはすでに発揮されていた。同年代に書かれた『愛の渇き』『青の時代』より知名度は低いが、勝るとも劣らない秀作と言える。
https://www.kadokawa.co.jp/product/200810000277/


やややのはなし
*小学館(2017)
*吉行淳之介(著)
 著名な作家の作品でも網羅するのは大変で、ぐうたらな自分の場合なぜか未読のまま人生を歩んでいる作家はたくさんいる。拒絶しているわけではない。言いわけを許していただくなら、作家が多すぎるため成り行きで読む機会を得られないのである。吉行淳之介もその一人で、日本文学史を紐解けば第三の新人として必ず語られるし、あまり日本人作家の名前をあげない村上春樹氏も吉行には何度か触れている。何故か未読だった。もっとも初めて読んだ作品が晩年の随筆集『やややのはなし』というのもめずらしいかも知れないが、これが面白い話ばかりで一気に読了した。少年時代やデビュー当時の回顧、愛用の小道具を〈小道具たち風景〉と称して連続的に綴る雑記、久生十蘭や澁澤龍彦や色川武大や柴田錬三郎他数多の文豪たちとの交流。軽妙洒脱な文章は読みやすく、酒席で語るようなくだけた調子に引き込まれる。小学館が刊行しているシリーズ〈P+D BOOKS〉は作家にばらつきはあるものの、こうした渋い本を選択してくれる点が魅力だ。
https://www.shogakukan.co.jp/books/09352305


エルドラードの孤児
*水声社(2017)
*ミウトン・ハトゥン(著)
*武田千香(訳)
 十九世紀後半のゴムブームによりゴム産出国として重要視され始め、小さな村にすぎなかったブラジルのマナウスはたちまちゴム産業の歯車となって栄えた。本作品はゴムブームの最中に財を築きながら志なかばにして世を去ったアルマンド・コルドヴィウと、ろくな人生計画も立てず財産を食い潰すばかりの息子アルミント・コルドヴィウの物語だ。アルミントには忘れられない人がいた。一夜をともにし、そのまま行方をくらましたインディオの女。彼は幻影を追い求めるようにマナウスからヴィラ・ベーラへ、エルドラードへ向かう。ここに衝撃的な事実が隠されているのだが、それは語らないでおく。そして『エルドラードの孤児』の特色として文体もあげられる。一人称「おれ」で進む物語は、時間感覚を失い、年号も忘れている老人の語りである。地の文も会話も口語的で、モノローグだけで展開するような不思議な味わいがある。耄碌しかけている隠遁者の話は前後することもあるし、明瞭な事象と不明瞭な事象も混在する。それが神話的な「揺らぎ」を生み、幻想的な物語の道を敷くのだから面白い。
http://www.suiseisha.net/blog/?p=7652


欠落ある写本 デデ・コルクトの失われた書
*水声社(2017)
*カマル・アブドゥッラ(著)
*伊東一郎(訳)
 カマル・アブドゥッラ氏はバクー生まれ。現代アゼルバイジャンを代表する作家として活動している。本作品はバクーの可能性を感じさせる重厚にして前衛的な小説だ。五~六世紀のアゼルバイジャン北西部で発生したガンジャ地震を調べるため、国立写本研究所の中世部門蔵書目録第三部A−21/733に分類されている写本に目を付けるが、中世に編まれたアナトリア語の民俗叙事詩『デデ・コルクトの書』に関連する内容だった。また写本には「何故か」サファヴィー朝イランの創始者イスマーイール一世の逸話が織り込まれており、物語は二重構造で進行する。肝心なところが欠落していて両者の関係性は明確にされず、それでいて呼応するように緊張感みなぎる事象が展開されていく。ここに異なる物語を分析する人物の視点も挿入されるのだから凄まじい構成技術だ。各物語自体が緻密なところ「欠落」「分析」「劇中劇」といったメタ・フィクショナルな要素を組み込んでいるので概説するのも困難。詳細は本書を読んで確かめていただきたい。これは面白い。
http://www.suiseisha.net/blog/?p=7623


クトゥルーの呼び声
*星海社(2017)
*ハワード・フィリップス・ラヴクラフト(著)
*森瀬繚(訳)
 クトゥルー神話誕生100周年記念出版と銘打たれている本書。最初期を飾る『ダゴン』に始まり『神殿』『マーティンズ・ビーチの恐怖』、書籍名に選ばれている『クトゥルーの呼び声』、『墳丘』『インスマスを覆う影』『永劫より出でて』『挫傷』等の作品を森瀬繚氏の新訳で読めるのだから昂揚しないわけがない。大西尹明訳の『ラヴクラフト全集』より改行が多く、文字遣いも平易で全体的に読みやすい文章になっている。個人的には大西訳のゴツゴツした文章が好きな方ではあるが、新味をだしながら新たに読者層を引き込むという意味で森瀬氏の試みは意義のあるものだろう。各作品が連結するような編集も演出が効いており、巻末にH・P・ラヴクラフト小伝、各編の解説、年表が付記されている丁寧な構成にも好感が持てる。ちなみに表紙絵はクトゥルフ神話をテーマとするビジュアルノベル『沙耶の唄』で、グロテスクにして美麗な世界を表現した中央東口氏が担当していて、そちらの印象強さも相まってついにやけた。クトゥルフ神話/ラヴクラフト初心者にもおすすめ。
http://sai-zen-sen.jp/publications/cthulhu.html


〈読書備忘録〉とは?


 読書備忘録ではお気に入りの本をピックアップし、感想と紹介を兼ねて短評的な文章を記述しています。翻訳書籍・小説の割合が多いのは国内外を問わず良書を読みたいという小生の気持ち、物語が好きで自分自身も書いている小生の趣味嗜好が顔を覘かせているためです。読書家を自称できるほどの読書量ではありませんし、また、そうした肩書きにも興味はなく、とにかく「面白い本をたくさん読みたい」の一心で本探しの旅を続けています。その過程で出会った良書を少しでも広められたら、一人でも多くの人と共有できたら、という願いを込めて当マガジンを作成しました。

 このマガジンは評論でも批評でもなく、ひたすら好きな書籍をあげていくというテーマで書いています。短評や推薦と称するのはおこがましいかも知れませんが一〇〇~五〇〇字を目安に紹介文を付記しています。誠に身勝手な文章で恐縮ですけれども。

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