読書備忘録_6

【読書備忘録】ハイファに戻って/太陽の男たちから幽霊たちまで

ハイファに戻って/太陽の男たち
*河出文庫(2017)
*ガッサーン・カナファーニー(著)
*黒田寿郎 (訳)
*奴田原睦明(訳)
 パレスチナ問題、デイルヤーシン村虐殺事件、この作品集には前述の歴史が刻み込まれており、さまざまな人称・視点を通して時代に翻弄された人々のうめきを響かせている。硝煙。灼熱の太陽。どこを眺めても砂埃が舞い、汗にまみれた体に貼り付き、呼吸が苦しくなるほどの過酷な環境が活写されていてパレスチナ問題における凄惨な情景が伝わってくる。デイルヤーシン村虐殺事件の渦中に焦点をあてた『太陽の男たち』、同事件の影響に焦点をあてた『ハイファに戻って』の中編二作品・そのほか短編五作品が物語る爪痕の深さが消えることはないだろう。また卓越した小説技法がこらされており、物語自体が素晴らしい。本書はベイルートから出版された全集の一部で、物語の力に心打たれた読者としては全作品に触れたいのは言うまでもないし、カナファーニーが現代でどんな言葉を残すのか気になるものだ。しかし、貴重なアラビア語文学の作家は自動車に仕かけられた爆弾により三十六歳の若さで他界。彼の執筆活動は、彼の試みは、あまりにも早く終焉を迎えてしまった。
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309464466/


越境する小説文体 意識の流れ、魔術的リアリズム、ブラックユーモア
*水声社(2017)
*橋本陽介(著)
 特定の言語で表現されている小説文体は、国境を越えて別の言語で書き換えられるさい本来とは異なる言語表現として生まれ変わる。幻想的である現実を表現するラテンアメリカにおける「魔術的リアリズム」は、ノーベル文学賞作家莫言を筆頭とした各人の「誤読」を経て中国に輸入されて、現実を幻想的に表現する「魔幻現実主義」という新たな体系として広まることになった。こうした変化はジェイムズ・ジョイスやヴァージニア・ウルフの「意識の流れ」、ジョーゼフ・ヘラーやサミュエル・ベケットの「ブラックユーモア」にも認められる。本書では中国文学の事情を主軸にしており、徐志摩や林徽因、余華や閻連科といった各時代における作家たちの手法に言及している。解釈するほど歴史、言語の難解さに気おされるが、同時に変化の面白味も読みとれて文学の広さを再認識できた。橋本陽介氏はこれまでも非常に優れた物語論書をお書きになっていて、愛読している。小説文体・小説形式に主眼を置き、丁寧に解説してくれる本書も素晴らしかった。これは常時手元に置いておきたい一冊。
http://www.suiseisha.net/blog/?p=7265



*明石書店(2013)
*莫言(著)
*長堀祐造(訳)
 シーガル・ブックス編集者に文化大革命後の中国の三十年を書いて欲しいと依頼され、最終的に「好きなように、好きなことを書いて」と拝み倒される格好で承諾したノーベル文学賞作家莫言。怒濤の歴史を生き抜いた自分自身の半生を題材として自伝的小説に着手した莫言氏は、改革開放開始から遡ること十年、小学校五年生にして放校処分を受けた少年時代を回想するところから物語を始める。小学校の同級生である魯文莉と何志武との交流。改革開放。『赤い高粱』の映画化。そして動乱の渦中で常に存在感を示していたソ連製トラックGAZ_51が回想録に情緒的な彩りを加える。また、莫邪という主役の名に認められるように本作品が「自伝」ではなく、文化大革命という歴史的大事件を舞台とした上、自分自身の分身を配置した「自伝的」小説である点にも留意したい。この架空と現実を混ぜ合わせて幻想的な歴史を切りひらき、平易な文体で表現するスタイルはまさしく莫言氏の十八番だ。物語自体も珠玉の面白味に満ちている。それにしても大長編にもでき得る重厚な内容なのに、日本語訳にしてわずか一三二頁で語り切る柔軟な筆力には脱帽。
http://www.akashi.co.jp/book/b108123.html


ラテンアメリカ文学バザール
*現代企画室(2000)
*杉山晃(著)
 ペルーのリマ市で生まれ育ち、十二歳より日本で暮らし始めた杉山晃氏によるラテンアメリカ文学への招待。本書は二部構成になっていて、第一部ではガブリエル・ガルシア=マルケスやマリオ・バルガス=リョサといった大御所を始め、ホセ・マリア・アルゲダスやルイス・セプルベダといった渋い(当人には大変失礼ながら)作家たちの経歴や代表作に触れており、第二部ではエッセイ風の文章や書評が掲載されている。このエッセイもラテンアメリカの空気に慣れ親しんだ人だからか、まるで現地の人が書いているような親身な筆致というか、ペルー人の寄稿を翻訳したような風味があって面白い。いずれにしても全体的にラテンアメリカ文学の紹介に特化しているので、どれから読めばよいか悩んでいる人を手助けしてくれる好著なのは間違いない。自分自身初めて聞く書名がいくつもあり大変参考になった。西暦二〇〇〇年刊行物で情報は古めではあるが、古くて近年話題にものぼらなくなりつつある作品がとりあげられている点は非常にありがたい。おかげで注目する本が増えた。というか新訳でも復刻でもよいので再刊してくれないかな。
http://www.jca.apc.org/gendai/onebook.php?ISBN=978-4-7738-0001-2


ダンシング・ヴァニティ
*新潮文庫(2011)
*筒井康隆(著)
 美術評論家の〈おれ〉が家の前で繰り広げられる喧嘩を眺めるところから幕をあける奇怪な小説。奇怪な人物が登場するのも奇怪な構成を見せるのも、筒井作品の愛読者にはおなじみだが、展開・文体が何度も何度も反復するこの小説は輪をかけて奇怪だ。何しろおなじ出来事が微妙に変化しながら繰り返されるのだから。読み進める内に既視感を覚えることにも既視感を覚えるようになり、物語が進行しているのかわからなくなってくる。けれども物語は確かに進んでいるのだ。抱腹絶倒の場面も、奇想天外な表現もいつか「老い」という現実に収斂される。解説でも指摘されていたが、本作品の構成はどこか音楽的に思える。メロディと再会する感覚。それは変奏曲を彷彿させる。随所に出てくる音楽の話題も作品の方向性を仄かに示しているようで想像が捗る。まさに何回でも〈砂袋を地面へ叩きつけるような勢いで腹這いにし〉て解釈を試みたくなる傑作だ。音楽的と呼ばれる小説はあるし、自分自身いくつもの作品を音楽的と認識している。けれども本作品を読了したら音楽的小説にはまだまだ未知の領域が存在すると痛切に感じた。
http://www.shinchosha.co.jp/book/117152/


ソフトマシーン
*河出文庫(2004)
*ウィリアム・バロウズ(著)
*山形浩生 (訳)
*柳下毅一郎(訳)
 アメリカのビートジェネレーションを代表する作家の快作。『ノヴァ急報』『爆発した切符』それから本作品はカットアップ三部作と呼ばれている。カットアップおよびフォールドインとは自他の文章を切り刻んで並び替える・折って並べることで文章を生成する、という荒業中の荒業であり、ウィリアム・バロウズだから許されるものの(許されているのかな?)小説を書くときには極力真似しない方がよさそうな技法だ。この三部作はその手法を駆使している。物語の筋をわかりやすくまとめるのは難しい。何しろ先述の手法によっておかしな文章が連続したり物語の内容が複雑に絡まったり、どこまでも混乱を招く表現がなされているため、幻覚を見るような、思考が交錯するような違和感を終始覚える。これはトリップの感覚かも知れない。物語を追うよりは現在ひらいている頁に記述された文字を追う、書かれ方自体を追いかける解釈。読み方に正誤はないと思うが、こうした曖昧模糊とした接し方はバロウズに向いているのではないだろうか。まさに混乱に身を委ねる悦び。
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309462455/


勉強の哲学 来るべきバカのために
*文藝春秋(2017)
*千葉雅也(著)
 インターネットの普及を始めとして、時代の移行は勉強法にも影響を及ぼしている。変わり続ける環境にどう対応するか、溢れかえる情報をどう整理するか。これだけならありふれた自己啓発本に感じるかも知れない。けれどもありがちな勉強法を押し付けるのではなく、勉強法自体を見つめなおし、環境の仕組みに言及し、環境の束縛を脱する(自己目的的・脱共同的な語りを目ざす)方法をツッコミ=アイロニーとボケ=ユーモアの観点から論じるスタイルは斬新にして的確であり、示唆に富んでいる。日常的に見かける会話、無意識的に発動しがち心理、明文化に頭を悩ませる「あるある」が明快に語られていて何度も膝を打った。何かを勉強するとき、勉強が軌道に乗っているとき、勉強が行き詰まったとき、さまざまな状況下で勉強の何たるかを教えてくれるであろう好著。
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163905365


ドン・リゴベルトの手帖
*中公文庫(2012)
*マリオ・バルガス=リョサ(著)
*西村英一郎(訳)
 本作品を読んで、バルガス=リョサはエロスに重点を置いても完璧な小説を書けるのだと実感した。リョサは対位法で喩えられる構成や異なる時間軸を交える独特の文体を用いることで有名で、本作品でも遺憾なく発揮されている。各章がルクレシアとアルフォンソの日常、リゴベルトの覚書、リゴベルトの空想、手紙という四種類の断片で構成されていて、断片同士が干渉することもあり、ところどころで日常と空想が入れ替わるような錯覚に陥る。この上物語内で画家エゴン・シーレに言及されるとなると、絵画に関する予備知識とか思考整理が必要になりそうだが、そこは無学な小生でも混乱せず物語に引き込まれたので心配無用。ちなみに本作品は天使の容貌を持つアルフォンソと美貌の後妻ルクレシアをめぐる小説『継母礼讃』の続編であり、その主題を引き継いでいるわけだが、完成度が高いため単品としても成立している。禁断の愛。性的倒錯。その裸婦画を舐めるような淫靡な文章や哲学的な思索と苦悩に耽る文章は表現力のかたまりで、極上の読み心地に浸れる。まさに絵画的な「官能美」を感じる艶やかな小説。
http://www.chuko.co.jp/bunko/2012/12/205737.html


性・差別・民俗
*河出文庫(2017)
*赤松啓介(著)
 部落における性的風俗・風習に焦点をあて、また、変遷する祭事や信仰のあり方にも言及した赤松啓介流民俗学。投獄を体験しながらも反体制の姿勢を貫いた軌跡は、豊富な情報量として、柳田国男流の民俗学に対する批判として現れている。面白い話を聞けるが、評価に困る点もある。それは批判精神が高ずるあまり横道に逸れがちなところだ。例えば祭事を語るさいにも、認知度の上昇につれて「バカモン」向きの「祭り」から「ショー」にアレンジされる風潮に怒りを示し、原点回帰や消滅といった大胆な案を提唱しながら徹底的にこきおろす文章は、ときに冗長に映ってしまう。気持ちはわからなくもない。けれども数頁ごとに「バカ」となじる語り方には若干視野狭窄の色もうかがえて複雑な心境になる。学術書と呼ぶには思想書的だし、文化論と呼ぶにはエッセイ的。露骨な口語体になると「すわ赤松翁のぼやきが始まるぞ」と身構える感じだ。その歯に衣着せぬ論説をご愛敬と受けとれたら素直に楽しめるし、何より民俗学の深淵に踏み込む論考は参考になる。歯切れのわるい書き方だけれど一応褒めているからね。
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309415277/


幽霊たち
*新潮文庫(1995)
*ポール・オースター(著)
*柴田元幸(訳)
 ポール・オースターが手がけた通称〈ニューヨーク三部作〉の第二作目にあたる。物語は「まずはじめにブルーがいる。次にホワイトがいて、それからブラックがいて、そもそものはじまりの前にはブラウンがいる」という意味深長な文章で幕をあける。純粋に冒頭として魅力的なのは言わずもがな、本作品における登場人物の記号的な役割や関係をわかりやすく示唆しているようで、どこか読者への親切心を匂わせる点が特色だ。私立探偵ブルーにブラックなる人物を見張るよう依頼するホワイト。ブルーには定期的に報告する義務が課せられるが、その内容も報告に対する反応も不可解であり、徐々にブルーの胸中にある疑念が浮かびあがってくる。謎かけも謎ときもあるのにミステリーとは異なる構成。物語の途中で真相に手が届くあたりからも、謎が解明されるよりも謎自体の面白味や謎に翻弄される雰囲気に惹かれるものがあり、何より語り手の主観を交えながら繰り広げられるブルー、ブラック、ホワイト、ブラウンという駒の動きが見どころ。よい意味で実験小説の入門編とも言える作品。
http://www.shinchosha.co.jp/book/245101/


〈読書備忘録〉とは?


 読書備忘録ではお気に入りの本をピックアップし、感想と紹介を兼ねて短評的な文章を記述しています。翻訳書籍・小説の割合が多いのは国内外を問わず良書を読みたいという小生の気持ち、物語が好きで自分自身も書いている小生の趣味嗜好が顔を覘かせているためです。読書家を自称できるほどの読書量ではありませんし、また、そうした肩書きにも興味はなく、とにかく「面白い本をたくさん読みたい」の一心で本探しの旅を続けています。その過程で出会った良書を少しでも広められたら、一人でも多くの人と共有できたら、という願いを込めて当マガジンを作成しました。

 このマガジンは評論でも批評でもなく、ひたすら好きな書籍をあげていくというテーマで書いています。短評や推薦と称するのはおこがましいかも知れませんが一〇〇~五〇〇字を目安に紹介文を付記しています。誠に身勝手な文章で恐縮ですけれども。

 番号は便宜的に付けているだけなので、順番通りに読む必要はありません。もしも当ノートが切っ掛けで各書籍をご購入し、関係者の皆さまにご協力できれば望外の喜びです。


この記事が参加している募集

推薦図書

コンテンツ会議

お読みいただき、ありがとうございます。 今後も小説を始め、さまざまな読みものを公開します。もしもお気に召したらサポートしてくださると大変助かります。サポートとはいわゆる投げ銭で、アカウントをお持ちでなくてもできます。