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「ポリコレと差別感情」という話

まえがき:ポリティカル・コレクトネス

 世界には数多くの「差別」が存在します。人種差別や性差別、障がい者差別など、人種、民族、ジェンダー、性的指向や障害などによって特定の人を不当に扱う差別は多く存在する。そして、そういった差別はいけないことだという点について、読者の多くにも同意していただけると思います。「差別はいけないことだ」ということに反対する人はそんなにいないと思います。

 しかし、そういった「この表現は差別的であり正しくない」といった差別批判が過剰になりすぎて、現代ではもはや「言葉狩り」のようになっているのではないか。表現の弾圧に繋がるのではないか。といった不安や批判も数多く存在していると思います。

 こういった問題はいわば「ポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)」の問題だとされますが、では私たちは「ポリティカル・コレクトネス」とどのように向き合っていけばいいのでしょうか。差別とどう向き合っていけばいいのでしょうか。本稿では「ポリティカル・コレクトネス」と「差別」について様々な分野から考えてみようと思います。


第Ⅰ章:ポリティカル・コレクトネスの由来

 まず、そもそも「ポリティカル・コレクトネス(ポリコレ、PC)」とは何なのでしょうか。『weblio辞書』では次のような説明がされています。

ポリティカル・コレクトネス(英: political correctness)とは、言語表現や創作物、社会制度などからあらゆる差別をなくすべきだという考え方のことである。「ポリティカリー・コレクト(英: politically correct)」ともいう。「PC」「ポリコレ」と略す。
(『weblio辞書』)

 たしかに、ポリコレは差別や偏見を含む表現を用いないことを一般的に指す言葉だと思われます。しかし、ポリコレという言葉を説明するにしてはこれだけの説明では不十分かと思います。というのも、私たちはこの辞書的な意味以上の意味を込めてポリコレという言葉を使っているからです。ポリコレはただ差別表現の規制を求める意味だけでなく、それを否定的に見る意味合いとしても使われます。では、なぜポリコレはこれだけあいまいな使われ方をしてきたのでしょうか。その理由はポリコレという言葉の成り立ちにあるのだと批評家の綿野恵太は指摘しています。

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