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たぶん、ずっと

ずっと座っていると体がどんどん歳をとっていることがわかる。
運動している方がわかりやすそうなのに。
動かさない体はどんどん自分のものじゃないかのように、
油を差さずに何年も放ったらかしにした自転車のチェーンのように、
次第にギシギシと音を立てるようになる。
錆び付いてしまうというのが本当にそれで、
もともとここまで動くはずだったものが、その半分しか動かなくなったり。

彼女の体はどんどんと歳をとったと言ってもいいような、
そんな、時間の過ぎ方を感じていた。

けれど、体がそんなにも変わりつつある一方で、
きっと、たぶんずっと、自分の中身は変わらない。そう思った。
彼女はきっと、いまのままあと何十年か歳をとって、お婆さんになる。
考えていることはいまのまま。
いまのままということは、子供のときのまま。
だって、いい大人になったいまだって、子供のあのとき考えていたこととなにも変わってはいないのだから。生まれ持った感覚はきっと生きている間ずっと心の中にどっしりと存在していて、きっとそのどっしりと向き合い続けなければいけないような、そんな圧倒的な重さを感じてもいるから。

変わらないままだけれど、
そこにはどんどんと生きている間に経験したことが積もっていく。
昨日知らなかったことを今日知って。
明日は今日知らないことを知って、また大人になったと思うのだろう。
知っていることが増えるだけで、中身は変わらない。

動かなくなった体に辟易して、整体をした帰りのすっきりした体と頭で散歩をしながら帰る夜に、彼女が考えたこと。

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