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何歳から英語を習わせるべき?もし私が親なら、高校生から習わせる。

親は思う。
子供には誇れる子に育って欲しい。
だから英語は後回し。

こんにちは、語学の裏設定のゆうです。気づけば90記事目。今日は、もし私が親なら自分の子には高校生くらいから英語を学ばせる、という話をしていきます。

時代は今、まっすぐ早期英語教育化に進んでいますが、本稿は世の潮流とはきれいに逆を行く内容になっています。

主に次の3つの理由からです。

・グローバル舞台で戦うには、確固たる己が必要だから
・深い教養がなければ、話し合いの土俵にすら立てないから
・日本人としての誇りを持たせてから、世界に送り出したいから


早期英語教育化について、「本末転倒」という言葉で考えてみました。

もちろん本末転倒とは、「本体」と「末端」を取り違えて惨劇が起きるという意味ですよね。

さて、

日本人なら日本語が母国語ですから、日本語が「本体」です。
それに対して英語は第二言語ですから、「末端」です。

早期英語教育化というのは、日本語の学習に使えたはずの時間を英語の習得に充てることで達成されます。

本当に、「本体」よりも「末端」を優先させることのメリットは、デメリットよりも大きいのでしょうか?

一緒に考えていきましょう。

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1.日本人アイデンティティの形成を先にさせたい

英語を使って、世界を相手に対話をする時「ディスカッション」という手法を使います。


ちょっと難しい言葉を使えば、「建設的な議論をすること」を指すのですが、難しい言葉に逃げずに説明すれば、「いくつかの主張を比べて、1つの結論を出す話し合いの過程」を指します。

異なる国籍の人々が英語を使って話すことになる、いわゆる「グローバルな場」では英語が使われるのですが、このような高度な話し合いを支える上に欠かせないのが「英語」「教養」「アイデンティティー」です。

英語が必要なのは、もう分かりきっているので説明は省きますね。

残りの2つに焦点を当てていきましょう。



先程のディスカッションを更に砕いて説明すれば「ガチトーク」と言い換えられるのですが、例えば「なぜ日本は海外と戦争をしたのか」という話をする時、感情だけに訴えるような話の運び方では議論になりません。

歴史的事実を正しく理解し、自分の主張を持ち、相手の言い分を理解できるだけの、知的土壌が求められます。

ここで言う、
自分の主張を持つことが、アイデンティティーを持つことと深く関係しています。

ちょっと分かりにくいかもしれないので、もう少し説明してみます。

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主張を持つとは、ある立場に立って、物事を論じられることを指します。
それには、あなたがベースとする立場が必要ですよね。

例えば、なぜ日本が中国と戦争をしたのかという話をする時、「日本」という立場からこの話題を取り扱った時と、「中国」という立場からこの話題を取り扱った時、違ったものの見方をすると思います。


この時、あなたは日本人である限り日本の立場に立って話を進めることになり、当然周りの人はあなたを日本人としてみなします。つまり、あなたを日本の代表のように尊敬して、みんなあなたの話を聞くわけです。


この時、もしあなたの中に日本人としての自己が確立されていなかったら、所属が無いためふわふわした立場で話を進めるのが関の山ですから、全体から白い目で見られるはずです。

言い換えたら、ディスカッションの土俵に立つことすらままならないのです。


だから日本人としての自己というものを、国際社会に出る前に確立していないといけません。

こういう自己のことを、「日本人のアイデンティティー」と呼んだわけです。


早い人では高校生くらいからもう世界の人と英語で話すことになると思いますが、母数的に見て、多くの人が英語で議論をするのは大学生になった頃だと思います。

このときまでに日本人としての自己が形成されていないと、国際舞台に立つことが恥ずかしくなると言えます。

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だからまず高校生までに、日本人としてのアイデンティティーを我が子に身に着けてほしい。

ではどのように身につけるのか?


  ・アイデンティティーの形成の仕方

とても説明が難しいですから、ここでは3段階に分けておきましょう。

・日本語の能力を高め
・日本の史料に触れたり文化体験を積み
・良いところ悪いところを理解した上で、日本に誇りを持つ


このリストの中で「日本語の習得」がトップに来ているのは、2番めの日本語を通しての学習・体験に欠かせないからです。

このように見ると、母国語である日本語が日本人としてのアイデンティティー形成の根幹であると言えます。

子供は思春期あたりをピークとして自己を形成していきますが、日本人としての自己が最も形成されるのもまたこの時期です。

そういう重要な時期だからこそ、高校生までという、日本語での自己の確立の妨げとなる英語に時間を割いてほしくないのです。

(子供がそれでも英語を学びたいのであれば、自由意志は尊重しますが...)



2.その次に世界に通じる教養を身に着けさせたい

世界に通じる教養とは何なのか?

これについて語るだけで数記事書けそうなので、ここでは簡潔に

・自分の国についての知識
・他国についての知識

とでもしておきましょう。


さて先程の、日本と中国の戦争について話す例に戻ると、なぜ日本と中国が戦争をしたかについての知識が欠かせません。

当たり前のことですが、話すネタが無ければ話はできません。ただ沈黙あるのみとなってしまいます。

だから、
話を続けるためには知識が必要なのです。
そして深い話になればなるほど、深い知識が必要となります。

「教養」という名を冠するに値するだけの知識が、求められるわけです。


もしそのような知識が欠けたまま、戦争の話をするものなら、ただの感情の発露にとどまってしまか、黙って聞いているかのどちらかになります。

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もしも私が親だったら、、、子をそんな風にさせたくありません。



国際人、国際人、と叫ばれるようになりましたが、
思っている以上に「国際人」になるのはハードルが高いということが見えてきますよね。(そもそも、国際人になるためには日本人であることが欠かせないのです。日本人のアイデンティティーを確立させた日本人、といった意味合いで。)


  ・[余談] 中国の教育がすごい

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ちなみに、これを徹底的に行なっているのが中国です。
現在、13歳の中国人の子供に日本語を教えていますが、話を聞くと、学校で英語歴史もとことん詰め込まれているそうです。それに、中国という国に誇りも持っています。

英語を早期教育化させ教養を欠いた大人になってしまった日本人と、英語を早期教育化させつつも依然として教養も抜かりなく教えられて育った中国人大人が、国際舞台に上がった時、軍配がどちらに上がるかは目に見えていると思うのはわたしだけでしょうか?

じゃあどうして、わたしは子供を英語も教養も同時期に身につくように育てないのかというと、中国の教育の現状を生で感じているからです。

その13歳の子は、毎日夜8時まで学校に拘束されています。その後に、習い事やら宿題やらで忙殺されています。社畜と呼ばれている日本人のサラリーマンよりも忙しいようにすら見えます。

果たして親として、我が子に度の過ぎた重圧をかけたいかというと、それも疑問なのです…

それゆえ折衷案として、大学受験で待っている「英語」が避けられなくなるギリギリまで、まず教養をつけることに全力投球したいと考えたのです。

それで、英語は高校生になってから、と。


3.日本に誇りを持ってほしい

どんな国にも、良いところと悪いところがあります。
もっともそれは見る人の視点によるのでしょうが、自国民視点からしても良い点・悪い点が見えてきます。

具体的な例は挙げませんが、日本の政治・経済は決して芳しくはありません。そんなこともあり、日本に誇りを持つということが、年々難しくなっているようにさえ見えます。

オーストラリアにいた時、バスの中である日本人が「日本人をやめるには」という本を読んでいるのを見て驚愕したのを覚えています。

そのくらい、難しいことなのかもしれない。

でも、もしかしたらそれは私たちが日本についてよく知らないから、理解していないから、誇りを持つことが難しいのかもしれません。

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またオーストラリア時代の例になってしまって恐縮ですが、現地で出会った日本人の中で、

中学校レベルの漢字がわからない人も珍しくありませんでした。

「松尾芭蕉」も「源氏・平家」、果ては「夏目漱石」も知らなかったりしますし、47都道府県の位置もあやふやだったり。

歴史は、

「原始時代→平安時代→サムライパーティー時代→昭和→平成&令和」

という理解のされ方をしていたり

誇りというのは、深い知識を源泉として湧き出てくる感情です。


日本の歴史を知らない、
日本の思想を知らない、
日本の文化を知らない、

このような人が増えていれば、日本に誇りを持つ人が減ってくるわけです。


一人の親として、自分の育てた子供に誇りを感じたいものですが、もし我が子が英語だけできる無知だったら、わたしは誇りを持てるだろうか?


高校生までに日本に対して誇りを持たせるのは難しいかもしれない。

でも、それまでに知識があれば、その後誇りを持てるようになるだろう。

そんな願いを込めて、高校生までは英語に触れさせたくない次第です。


まとめ

英語よりも大事なものがある。
語学の先生をやっているから、それを声を大にして言いたい。

そして、ひとりの大人としても、そう言いたい。

・グローバル舞台で戦うには、確固たる己が必要。
・深い教養がなければ、話し合いの土俵にすら立てない。
・日本人としての誇りを持たせてから、世界に送り出したい。

だから英語は、「日本語 (母国語)」「日本人アイデンティティー」「教養」の後で良いと思うのです。

なぜなら、これら3要素が「本体」で、英語はこの3要素を前にしては「末端」でしかないと思っているからです。

子を誇るためにはまずは、親が芯を持たないと。

本末転倒を避けるため、英語を断舎離する意思を含めて。


PS

英語の習得は大人になってからもできます。これについては後日また記事にしたいと思います。



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