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檸檬読書日記 珈琲の香りにむせ、蜜柑がごろごろ、春は黄色から。 3月11日-3月17日

3月11日(月)

普段市販の飲み物を飲まないからか、もらった紅茶オレを冷蔵庫に入れたまま、その存在をすっかり忘れていた。
冷蔵庫を空けた際ふと目に止まって、そういえばもらったんだったなあと、賞味期限大丈夫かなあと確認してみたところ、大丈夫じゃなかった。3日過ぎていた。

でも3日くらいなら行けるかな…。恐る恐る。



活字者編集部・編『珈琲譚 喫茶と文芸をめぐる小曲集』を読む。

明治・大正・昭和の作家たちが書いた、珈琲アンソロジー。


珈琲の香にむせびたる夕より夢見る人となりにけらしむ

「珈琲」吉井勇


読んでいて、ほのかに珈琲の香りが漂ってくるようだった。
ムーディーなモノクロの写真に、作家たちの珈琲話。レトロな喫茶店で珈琲を飲みながらゆっくりと読むのに良さそうな作品。

内容は、小説だけでなく随筆や歌や詩、珈琲の茶会のやり方、珈琲を出す際の作法や飲む際の作法なんかも書かれたりと、多種多様。
中でも、作法の話が今読むと色んな意味で興味深かった。
珈琲をもらった際は軽く会釈するべしとか、匙でよく混ぜてから飲むなりとか、当たり前そうではあるが、昔はそうではなかったのだなあと伺えるのもまた面白い。何より、匙で飲むのは物知らずに思われるからしてはいけない、とまで書いている。
この生真面目さというのか、親切すぎる丁寧さが、今となると面白いなあと感じる。

ただ、芥川龍之介、夏目漱石、萩原朔太郎、堀辰雄、永井荷風などの有名な作家の作品が入ってはいるものの、どの作品も若干難しい。(自分の頭が弱すぎるせいもあるけど)だから好みは分かれそうではある。だけど渋めな、珈琲、喫茶が好きな人には刺さるのではないかなあと。
そして難しいからこそ、ゆっくりと、じっくり喫茶店で珈琲を飲みながら味わうのにピッタリな作品ではないかなと思った。


自分は珈琲よりも紅茶派だけど、こういうのを読むと、珈琲が飲みたくなる。珈琲の香りって好きなんだよなあ。癒される。
お子ちゃま舌だからあまり飲まない上に農薬も心配していたけど、調べたら、有機の珈琲も結構あるみたいだから今度呑んでみようかな。蜂蜜と牛乳たっぷりめで。



賞味期限切れの飲み物(牛乳入り)を飲んだけど、今のところなにもないから大丈夫そう。ほっ。





3月12日(火)

ドタバタ。朝から忙しない。
間に合わなかったらまずいと思って早く家出て速歩でサカサカ向かったら、予定よりも大分早くついて結局時間を持て余す。あれ。
ゆっくり歩けば良かったー。



ジェームズ・サーバー『世界で最後の花』を読む。大人向け絵本。

人が争って、全てがなくなって、残ったのは花が1輪だけ。その花を大切に育て、そして…。

人は同じことを繰り返すのだなあと、しみじみ思い知らされた。花を大切にしていた頃に戻りたいものです。




3月13日(水)

祖母から荷物が届いた。


恋焦がれていた蜜柑達がごろごろと。嬉しい。
デコポンと、オレンジと、晩白柚。
晩白柚は好物だから凄く嬉しい。なんと5個も入っていた。
それにしても相変わらず大きい。サッカーボールくらいはある。いや、それ以上かも。
これでしばらく楽しめるぞ、むふふ。



佐藤雅彦『毎月新聞』を読む。


音量だけでうるささを計ること自体はそう難しいことではない。しかし人の受ける「うるささ」はそれだけでない。目から飛び込んでくる雑多な文字情報だって脳にとっては充分noisy(騒々しい)なのである。
声帯手術をうけたばかりの人間は、医師から(略)本を黙読することさえも禁止されるという。それは、目から入る文字情報が脳で何らかの処理をされ、そこで止まらず、更に無意識のうちに何らかの指令が喉の筋肉や声帯に漏れ伝わるからではないだろうか。つまり声をださずとも声帯にいい影響を与えない、ということなのだろう。


ははぁ。人って面白いなあ。
でも確かに、本を読んだり文字を書いたりしていると、実際には口は動かず声もでてはいないのに、漏れている感覚があった。違和感が。それは無意識に伝わって、喉が動いていたから、ということだったのかなあ。ほう。



Bluesky、noteと違う楽しさがあって、手軽だからついついぼんやり見てしまう。 

まだまだやっている人が少ないから情報量は少ないけれど、その分のんびりしているのが良い。
自分が見たいと思っている分野をカスタマイズして、作り上げていく感じもなかなか楽しい。(でも全然まだ使いこなせていないけど…未だにこんな機能が…!となってる)

Twitterは情報量が多いし、自動で自分が見そうなものをピックアップしてくれるけど、見たくないものや過激なものがひょこっと顔を出したりもするから、少し疲弊したり。
発言も、同意賛同少数派叩き前提が見えるのが…。その点Blueskyは、見られる前提でなく、見たい人が見つける、本音がポロリ感があるのが良い。
それでもどこまで大丈夫なのか分からないから、今探り探り中。
YouTubeのように上からバンされたり、Twitterのようにヤンヤヤンヤされるのは面倒くさいからなあ。まあでもゴタゴタしたら、完全無見る専にしたらいいのか。うむ。

Bluesky、後はもう少し投稿が増えたらなあと思ったり思ったり…もごもご(自分もそんなに投稿しないくせに勝手なこと言うなと言われそうだけど)
それはnoteも同じか。もっとどんどん投稿してくれないかなと思ったり望んだり…もごもご(これまた自分もそんなに投稿しないくせにプラス、全然追いついていないのに何言ってんだという話だけど)
好きな人たちのはあればあるほど嬉しいものなのです。
溜まっていく感じが良いんだよなあ。だから積読本も増えて大変な訳だけど。それは反省。





3月14日(木)

腰痛いなあ。先週のジャガイモ植えから長引いている。ぎっくり腰手前な感覚。(なったことないから分からないけど、でも)ガクッといったら終わりそう。この時期は多いらしいから、気をつけねば。
とりあえず休むと怖いから、無駄に動いている。痛い。



米原万里『打ちのめされるようなすごい本』を読む。


悪は「まともさ」の延長戦上にある。だからこそ恐ろしい。



ボーモン夫人『美女と野獣』を読む。
「王妃になった娘と農婦になった娘」


「(略)人間がしあわせになろうと思ったらね(略)、必要なもの以外はいっさい持たないで、それ以上欲深く望まないようにしなければいけないのだよ」



高原英理『川端康成異相短篇集』を読む。
「感情」を読み終わる。

失恋したのに何の感情も湧かない自分に戸惑う話。随筆。

結構共感できる部分があって、できてしまう自分に少し落ち込んだ。
自分はそもそも失恋どころか恋をしたのかも定かではないけれど。
そしてこの話も、川端自身の話なのかも定かではないけれど。





3月15日(金)


春だなあ。



腰、休むよりも痛めつけていたら結構良くなってきた。荒療治、意外と効果的?



中村稔『月の雫』を読む。短篇小説のような詩集。

あらゆるところにあらるゆ人に、月の雫が落ちる。
深くて暗い、表紙のような藍色の世界に、じんわりと輝く月の光をもった雫が、涙のように落ちるような、少しの希望の光となっているような、そんな感覚を覚えた。上手くいえない。

九番目の話がなかなかに凄く(色々な意味で)、戦争について俯瞰した、冷静な視点に好感が持てた。片方だけでなく、両方の視点から、それだけでなく周りも見て判断する人は結構少ないから、とても貴重。

この人の作品初めて読んだけれど、もう少し知りたくなった。



米原万里『打ちのめされるようなすごい本』を読む。


多国籍資本の食糧生産と流通に対する支配が強まるほどに、農業が本末転倒していく無数の具体例が、波上攻撃のように次々と示され、近未来人類壊滅の図がまざまざと浮かんでくる。
農民だけでなく、現代人すべてに生き方の転換を迫る。もっとも、人類が滅びた方が、地球にはいいかも。



カレル・チャペック『園芸家12ヵ月』を読み始める。

園芸を愛した著者による、園芸愛を詰め込んだ、園芸家だけでなく、興味のない者を園芸に引きずり込むための、12ヵ月に及ぶ園芸についての話。


(略)諸君は種をまく。(略)これからいよいよ、種まきをやる連中の、真剣の大仕事がはじまる。つまり、待つという仕事が。(略)汗をたらたら流しながら、息をころして鉢の上にかがみこみ、はやくはえろ、はやくはえろ、と、目でおびき出す。
一日目には、何も出てこない。待つほうでは、ベッドにはいっても寝がえりばかりして、夜の明けるのが待ちきれない。


『トトロ』のメイとサツキを思い出した。


さて八日目か、もっとあとになって、何の前ぶれもなく、ある神秘な、思いもかけぬ瞬間に(略)突然、音もなく土がわれて、最初の芽があらわれる。(略)
何が出てくるか、まだ言わずにこおこう。まだ言うところまでいっていない。(略)しかし、ひどくかわっている。非常に変種が多いのだ。おなじ植物でも一本一本がみんなちがっている--。それから、何を言おうとしたのだっけ?そうだ、何も言うことはなかった。ただ、生命というものは、想像もおよばぬくらい複雑なものだということ、それだけだ。


できあがった庭を、はたからぼんやりながめていたあいだは、園芸家というものは、花の香りに酔い、鳥の啼きごえに耳をかたむける、とても詩的な、心のやさしい人間だと思っていた。ところが、すこし接近して見ると、ほんとうの園芸家は花をつくるのではなくって、土をつくっているのだということを発見した。


そうなんだよなあ。自分も最初は花や植物だけ注視してればいいのかと思っていたけれど、1番大事なのは「土」。土で結構変わってくる。
もう読んでいて分かる分かるが凄い。





3月16日(土)

カレル・チャペック『園芸家12ヵ月』を読み終わる。

園芸というか、植物を育てている身としては、共感が多く、もうずっと分かる分かると頷きながら読んでいた。
何より、著者の園芸愛が凄く伝わってくるのが、とても良い。愛が強すぎて、置いてけぼりになるところもしばしばだが…それもまた良い。(え)

ただ、古いものであるがためか知識不足か、知らない植物も多く、分からないカタカナが頭の上をぐるぐるして、少し戸惑う。一応そのための訳注もあるけど、何分古いから…。(そういえば訳注に、芝生は1種類でなく何種類もの種を合わせてまいて、立派な芝生を作っていくという知識があって、それは興味深いなと思った。1種類ではフサフサにならないらしい)

それでも、園芸家や植物を少しでも育てている人には、必ず刺さる、園芸家でなくても、ユーモアがあって楽しめる作品だと思う。
そして、ところどころにある挿絵が、ポップで可愛くコミカルで、これまたとても良い。(ちなにその絵は、実兄が書いているのだとか)
個性的な魅力があるから、絵目的で見るのも良さそう。

後、この『園芸家12ヵ月』は、色々な版と表紙で出ているけれど、個人的に1975年版の表紙がお気に入り。

これ


改版で新しく出ているけれど、この表紙がいいために買わずにずっと探し続けて、ようやく見つけて手にした本だった。この版のものはなかなかないんだよなあ。


そういえばこの本、古書で買ったが帯もついていて、その今月の新刊がなかなかに良いラインナップだなと思った。
個人的に気になる本が多くて、この時に出た新刊、結構面白そうなのが多かったのだなあと思ったり。
特に、牧羊子『金子光晴と森三千代』が気になる。

カレル・チャペック、旅行記とか愛の手紙とか、他にも気になる本が多いから、見つけて読みたいなあ。



高原英理『川端康成異相短篇集』を読む。
「二黒」を読み終わる。

非常に短い。これもおそらく随筆。
運命の話。運命があるからこそ、あの時こうすれば良かったという後悔をしないのだという。
なるほどなあという感じ。

「二黒(じこく)」とは何だろうと調べたら、星だった。陰陽道の九星(運勢を占うやつ)の1つ。土星に属すとか。

あれ、自分も土星だったような。祖父が調べた時そんなことを言っていたような。(うる覚え)
まあ、だから何だよって話だけど。



どこまでが古いになるのか悩む時がある。
古さの基準って人それぞれだよなあと。

紫式部とか和歌とか、平安時代の古典にどっぷり使った時があったからか、正直自分は1900年代とかは最近だよなあと感じてしまう。
今は流石にないけれど、当時は江戸時代も最近だなあと感じていた。(かなり麻痺していた)
でも大概3桁代だから、どうしても感覚が狂ってしまうんだよなあ。

だから伝える時とか、毎度相手がどの程度の基準で古さを感じるのだろうかと悩んでしまう。でも基本的に1900年代は古いでいいのかなぁ。うーん、分からん。(くだらない悩みである)





3月17日(日)


おやつ。
ミルクティーとアップルパイ。
合うー。



種蒔に 追われて蒔いた 忘れずに 焦りて埋めて 何が何やら

ようやく種蒔をした。でも種類が多すぎて、何に何を植えたか示すものを何もせず(忘れてしまい)、どこに何を植えたか分からなくなってしまった…。あほう。
まあでも、芽が出たら分かるからいいか。トマトとナスは複数種類あるからそれは流石に分からないけど…まあ、まあ…実ったら分かるしね。(当たり前)



ボーモン夫人『美女と野獣』を読む。
「不運つづきの娘」


今度こそ、ほんとうにふしあわせに見舞われたと信じないわけにはいかない、とオーロールは想いました。ところが羊飼いのおばさんは、相変わらず、神さまのなさることは、すべてしあわせのためになさっているんだ、とオーロールに向かって繰り返すのでした。


気づけるか気づけないかでどうにでも転ぶよなあ。過ぎ去れば幸福。そう思えればきっと幸せ。なんて。



嵐山光三郎『追悼の達人』を読む。
「谷崎潤一郎」編を読み終わる。

言わずと知れた小説家。
だからか、追悼が追悼にならず、どちらかというと論評になってしまっているのだとか。
何より、同世代の作家も追悼を書くが


追悼するほうも半分ぼけている。


だそうだ。少し笑ってしまった。まあ全員大体80代だから仕方ないだろうけど。
そして


谷崎は追悼がうまく、多くの友人を追悼してきた。他人を追悼することが上手な人は、自らは上等の追悼を書かれることは少ない。


確かこれは、与謝野鉄幹の時もそうだったような。

作家よりも、弟の話が最も興味深かった。
家族という近さからくる明け透けのなさが良い。
嘘をついて伯父から借りたお金を酒代にしたなど困った面に対し「首をくくって死んだほうがいい」と手紙で書いたことや、とはいえ兄妹に対しては良くしてくれたことなどなど正直に。
他にも松子夫人関係の話も興味深かったけど、長くなるから割愛。

彼の作品、内容はふわっとは知っているけど、まだ読んだことはない。だから知識は少ないけれど、谷崎潤一郎ってどこまでも谷崎潤一郎だったのだなあと思った。



いやぁ、今日はもうヘロヘロだ。
とうがたってしまうから花をポキポキとったり収穫したり、スナップの棚もやって、暖かくなってしまったから、収穫した大根を埋めていたのを掘り出して、雑草が凄まじいことになってきたから抜いて抜いて抜いて…。

それにしても今年は葉っぱ物がよく採れる。嬉しい。小松菜、ほうれん草、ルッコラ、からし菜、のらぼう菜、タアサイ、ローマ。
嬉しいけど良く採れすぎて葉っぱ物に追われている。嬉しいけど。プラス白菜もあるから葉っぱまみれである。嬉しいけど。
追いつかないから、ある程度はほっておいて種にしようかなあ。





ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
皆様に素敵な春が訪れますよう、願っております。
ではでは。

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