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「天国と地獄を分ける、たった一つの違い」


仏教世界で物語られる、「天国と地獄」

実はおれの考え方は仏教の影響をけっこー受けてる。

仏教は宗教ではなく、哲学だと思うし、ダライラマから言わせれば、純粋科学。

釈迦は神を否定しているし、その観点で言えば宗教ではないんじゃね?と思っている。

そんな仏教に、おれが好きな「法話」があるから紹介するね。

〜三尺三寸箸〜

ある時、一人の男が地獄と極楽(天国)の様子をのぞきに行くことになりました。男はまず恐る恐る地獄をのぞいてみました。

すると、地獄は丁度食事の時刻でした。
「地獄のことだから、きっと粗末な食事に違いない」

と思ってテーブルの上を見ると、
なんと、豪華な料理が山盛りにならんでいます。

しかし、地獄の住人を見てみるとガリガリにやせ細り、
誰一人としてその御馳走を口には出来ません。

「おかしいぞ」と思って、よく見ると、彼らの手には非常に長い箸が握られていました。 恐らく1メートル以上もある長い箸でした。

あまりに箸が長いため、どんな御馳走があったとしても、誰一人として御馳走を食べることが出来ないのでした。

イライラして、怒りだす者もいる。それどころか、隣の人が箸でつまんだ料理を奪おうとして、醜い争いが始まったのです。

男は「こんな世界は嫌だなぁ」と地獄を後にしました。
次に、男は、極楽(天国)へ向かいました。

極楽もまた丁度食事の時間らしく、極楽に往生した人たちが、
食卓に仲良く座っていた。もちろん、料理は山海の珍味です。

「極楽の人は、さすがに皆、ふくよかで、肌もつややかだな」

と思いながら、ふと箸に目をやると、驚いたことに極楽の住人も地獄の住人と同様、豪華な食事を目の前にし、それは地獄と同じように1メートル以上もある箸をそれぞれ持っているのでした。

「いったい、地獄と極楽は、どこが違うのだろうか?」

と疑問に思いながら、
夕食が始まるのをじっと見ていると、その謎が解けました。

極楽の住人は、長い箸でご馳走をはさむと、「どうぞ」と言って、自分の向こう側の人に食べさせ始めたのです。

にっこりほほ笑む相手は、
「ありがとうございました。今度は、お返ししますよ。あなたは、何がお好きですか」

と、自分にも食べさせてくれました。

その様子を見た男は驚きつつも黙って元の世界へと帰っていきました。

天国か地獄かを決める、この私。


天国と地獄って言うとさ、天国はとてもいい場所で、
地獄は暗く辛い場所ってイメージない?

けど、この物語では、天国と地獄にはなんの違いもなかった。
出される食事まで一緒だった。

唯一違ったのは、「この私さえよければいい」と言う心でいるか、
「目の前の人のために」と言う心を忘れないでいるか、と言う点だけ。

つまり、その心一つで、
この世界は天国にも地獄にもなり得るってことなんだ。

おれたちの「自我」の基本的な思考は
「この私を一番に思いたい」というもの。

「私のことを理解してほしい」
「私を受け止めてほしい」
「私のことを大事にしてほしい」
「私のことを認めてほしい」

「あいつの言い方がムカつく」
「あいつがひどいことをした」
「あいつはなんて自分勝手なんだ」
「あいつが私を傷つけた」

「私」をわかって、
「私」を嫌わないで、
「私」を裏切らないで、
「私」を蔑ろにしないで、
「私」を理解して、
「私」を認めて、

これは「私」で、
これは「あなた」、
これは「私のもの」で、
これは「あなたのもの」なんだ。

そして
「私のもの」をとるな、
「私の領域」を侵害するな、
「私のプライド」を傷つけるな、
私、私、私、私、、、

おれたちは、自分が感情的になると、ついこうやって考え出す。

表裏一体な世界で、あたなはどう生きる?

そして、
この世界が天国か地獄かを決めるのは、自分自身。

あなたにとって、この世界は天国ですか?地獄ですか?それはなぜですか?

おれは、天国がいいなあって思ってる。
あなたは、これから、どうしたいだろ?


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