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【歴史小説・中編】花、散りなばと(1)



この小説について

 この小説は、室町時代の奈良を舞台にしています。
 登場人物は、大乗院門跡の経覚きょうがく
 そしてそれを支える、衆徒の大名・古市胤仙ふるいちいんせん
 大乗院は、有名な興福寺の塔頭たっちゅうです。今でも奈良に庭園が残っているほど、大きな勢力を誇っていました。
 古市氏は、筒井順慶で有名な筒井氏の宿命のライバルです。
 しかし古市は、筒井と室町時代を通じて死闘を演じた挙げ句、ほぼ滅亡させられることになってしまいました。
 そのため、戦国時代の大和にもほとんど登場しません。
 しかし、胤仙とその息子の胤栄いんえい澄胤ちょういんはいずれも魅力的な人物です。
 本編の主人公の経覚と合わせて、もっと歴史好きに知られてもいい、知ってもらいたい、という気持ちでこの小説を書きました。
 一人でも多くの方の目に触れれば、これ以上の幸せはありません。
 どうぞよろしくお願いします。

本編(1)


 夜明けとともに葛城山の安位寺を出て、ようやくここ古市へたどり着いたのは、ひつじの下刻であった。
 経覚は、しばらくその場にうずくまったまま動けなかった。身を隠すような張輿はりごしにずっと乗り通しだったとは言え、五十の腰にはひどく応える。
 上壇うえのだんの迎福寺というところへ、ともかくも落ち着いて、外陣の置き畳にうつ伏せになっていると、
「古市播磨公はりまのきみ様がご挨拶に」
 と、年嵩の住持が知らせてきた。
「早速来たか。待ち構えておったな」
 経覚はつぶやき、丸々とした体を畳のへりに沿って転がしながら、ようよう起き上がった。
 やってきた古市胤仙は、身の丈六尺に及ぶほどの大男である。
 青々と剃り上げた頭をさらして虎髭を伸ばし、浅葱色の直綴じきとつに金襴の加行けぎょう袈裟を掛けている。それが外の簀子縁に這いつくばっていた。
 経覚は、摂関九条家の生まれとして、礼を失する相手は決して許さない。だが気心の知れた間柄で、内々の場にもかかわらず、煩瑣な挙止にこだわり過ぎるのも嫌いである。
「もうよい、さっさと入れ」
 促されて、大男が太鼓梁の下まで膝行しっこうしてきた。背後に見慣れない童子を一人連れている。経覚は畳に素足を投げ出したまま彼らを迎えた。
「門跡様。遠路はるばる、まことにご足労様でございました」
「一つも足など動かしておらんのに、ご足労もあるものか」
 しかめっ面を作り、苦々しく吐き捨ててみせた。
「疲れたのは輿舁こしかき衆と、わしを護衛してきたそなたの一門郎等、若党たちであろう。くれぐれもねぎらってやれい」
 胤仙は微笑を含みながら、もう一度深々と頭を下げた。
 道中敵の筒井方に出くわしでもすれば、合戦となり、輿の中の貴人を守り抜くため、命さえ投げ出すことになっただろう。そのように気を張りつめ、危険を冒してまで、彼らは経覚を古市まで送り届けてきたのだ。
「よくぞご決断くだされました。大乗院門主、興福寺別当を親しくお迎えすることができ、この古市郷始まって以来の喜びにございます」
「まだ、そなたの本貫に居着くと決めたわけではないぞ。安位寺ではいささか遠過ぎ、奈良から節供せっくの品々を付け届けさすのにも、いちいち骨が折れようからの」
 経覚は自分でも、未練ったらしい言い方になっていると思った。
 迎福寺の堂宇は、この郷の中では一番なのだろうが、さして大きくもない。京はもちろん、南都の一子院にも遠く及ばないであろう。その上新しくもなく、湿っぽい黴臭さが漂っている。
「とは言え、国中くんなかの西の果ての山裾に張りついておられたとて、何の生き甲斐がありましょうぞ。まだまだ田舎へ隠居されるつもりはない。そう考えられたからこそ、門跡様は今ここにいらっしゃるのでしょう」
 図星を指されてしまえば、何も言い返せなかった。
 おのれの内には、位を極めた高僧らしくもなく、まだまだ熱く滾って抑え難いものがある。それは怒りでもあり、野心でもあり、さらなる栄誉への渇仰でもあった。
「必ずや筒井を叩き潰し、ご門跡に寺務を取り戻して差し上げましょう。拙者も官符衆徒かんぷしゅと棟梁へ返り咲いてみせる。どうかご安心めされよ」
 自らの力を誇示するように、厚い胸板を反らしてみせた。
 筒井は、興福寺の一乗院方衆徒筆頭であり、大乗院方の古市とは、不倶戴天の仇同士である。今もって奈良の支配を巡り、大小の合戦を繰り返している間柄なのだ。
 その闘争を少しでも有利に運ぶため、おのれの身柄を欲している。当然のことながら、それくらい経覚にも重々わかっていた。
「わしはかつても一度、そなたの言葉を信じた。今と同じくらい、力強く請け負っていたな。その結果が、菊薗山きおんざんの城を自焼じやきし、長年にわたってしたためた日記も失い、ほうほうの体で南都を逃れてからの二年間であった」
「過去を悔い改め、同じ失敗は繰り返さぬ。その覚悟があればこそ、ご門跡をお迎えに上がらせたのです。我ら共々、もはや他に行く道はない。何卒お腹を括られますよう」
 脅すように平伏してみせる。古市胤仙はそれができる男だった。
「そちらの童は」
 話頭を転じ、背後に控えている小童の方へ目をやった。丹色の水干を身にまとい、髪を唐輪に結い上げている。
「我が息子の小法師にございます。今後、何卒お引き立てのほどを」
 父に促され、膝行しながら前へ出た。裾濃すそごの括り袴である。上目遣いがきつく、稚さに似ない三白眼であった。ただ、結んだ唇の両端に小さな笑窪が浮かんでいる。
「年はいくつじゃ」
「九つにて」
 垂領たりくびの懐を探って短冊を取り出し、小さな両手で差し出してきた。受け取って目を落とす。
 吉野山やがて出でじと思ふ身を花散りなばと人や待つらむ
 端正な筆跡である。新古今、西行法師の雑歌であった。ハハ、と経覚は思わず声を立てて笑った。
「そなたが選び、これを書いたのか」
 折れそうな小首でうなずいてみせる。
「名は」
「春藤丸と申します」
「播磨律師にしては、良き名をつけたの」
 思わず軽口が出て、またも笑いに紛れさせた。風流童子を連れてきた胤仙に、まずは先手を取られた格好である。
                           ~(2)へ続く


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