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【歴史小説】流れぬ彗星(4)「鼓動、波音」


この小説について

 この小説は、畠山次郎はたけやまじろう、という一人の若者の運命を描いています。
 彼は時の最高権力者、武家管領かんれいの嫡男です。
 しかし、目の前でその父親が割腹自殺する、という場面から、この小説は始まっています。
 彼はその後、師匠の剣豪や、愛する女性、そして終生の宿敵である怪僧・赤沢宗益あかざわそうえきと巡り合い、絶望的な戦いを続けてゆきます。
 敗れても、何度敗れても立ち上がり続けます。
 全ては、野心家の魔人・細川政元ほそかわまさもとにより不当に貶められた主君・足利義材あしかがよしきを救うため。
 そして自分自身を含め、あるべきものをあるべき場所へ戻すためです。
 次郎とともに、室町から戦国へと向かう、混迷の時代を駆け抜けていただければ幸いです。
 どうぞよろしくお願いいたします。

世に不撓不屈の将は数あれど
足利義尹よしただ、畠山尚慶ひさよしの主従に勝る者はなし
~『紀和志』林堂山樹はやしどうさんじゅ

本編(4)

 月が改まると、播磨はりま守護赤松あかまつ氏の船団が南下し、紀伊の各所を略奪しているという風聞が届いてきた。
左京大夫さきょうのだいぶめ、すっかり細川の犬に成り下がりおった」
 次郎はふと思い起こし、怒りを込めた声でつぶやいた。
 辺りはまだ暗い。夜明け前の臥所ふしどだった。隣に横たわった体のふちさえぼんやりしている。
 しとねの上へ投げ出した腕に、心臓の鼓動が伝わってきた。
「知り合いなのか」
 声だけははっきりしていた。鼻にかかってはいるが、喉の焼けはずいぶん収まっている。鯨は近ごろあまり酒を飲まなくなった、と言う。
「政元めに次ぐ、裏切り者よ」
 赤松左京大夫政則まさのりは、将軍義材に親しく仕え、先年の六角征伐では軍奉行いくさぶぎょうを任されていた。
 ところがわずか三ヶ月前、よりによってさかいの陣中において、後添えの祝言しゅうげんを挙げた。
 その相手というのが、龍安寺りょうあんじで尼となっていた細川政元の姉であった。
 三十を過ぎた大年増おおどしま、しかもとびきりの醜女しこめと聞こえている。
 天人と 思いし人は 鬼瓦
 堺の浦に 天下るかな
 なる落首が、京童きょうわらべによって囃し立てられるほどであった。
 異例ずくめの婚儀が何のためであったか、今となれば明らかだろう。全ては、政元によって描かれた筋書き通りに進んでいたのだ。
 あの日――
 正覚寺城が炎上し、父が目の前で腹を掻っ捌いたあの日。
 畠山義就の子である基家もといえは、公方の下知にも一向従わず、河内一国をおのが私領と化そうとしていた。
 父政長にとっては、許し難い行いであった。一族を割るのみならず、領国さえ奪い取ろうとしている。ひいては将軍家を頂点とする、足利一門の結束を根底から破壊するであろう。
 美濃から帰京して位についた若き公方、足利義材は、父政長と考えを同じくしていた。
(何があろうと、理の通らぬ世を許してはならん)
 父の口癖だ。それがいつしか、将軍の方にも伝播していったらしい。
 義材は就任早々、南近江の六角征伐を赫々かっかくたる勝利で終えた。やはり将軍家を軽んじ、分国をおのが荘園のように考えて、年貢の未進を繰り返していたのだ。
 次に父が公方へ勧めたのが、河内の基家征討であった。
(義就へ下された朝敵の宣旨せんじは、未だ赦免しゃめんされておりませぬ。つまり基家めは、恐れ多くも禁裏に叛逆しながら、我が物顔で一国を知行しておるようなものです)
 義材の決断は早かった。すぐさま、河内遠征を下知した。
 江州征伐へ従軍した諸将にとっては、休む暇もない。国元へ帰した将兵をすぐさま呼び戻し、次の陣に備えるしかなかった。
(これで全ては、正しい道に戻る)
 父の面差しは、生来不幸そうに青ざめていた。それがこの時ばかりは喜色を満面に浮かべ、気味悪いくらいにこにこしていた。
 山名にしろ大内おおうちにしろ、赤松にしろ六角にしろ、今まで将軍家から追討を受けた大名たちは、いずれも足利一門ではない。他家の者たちだ。
 が、門葉の結束を守り抜くために、初めて管領家の端くれが公方の親征を受けるというのは、ずいぶんな皮肉だった。
 かくして、将軍義材を頂く三万もの大軍が、京から河内へ出陣していった。
 副将は父、畠山政長。次郎もまた、その陣中に加わっていた。
 留守を預かるのは、同じく管領家の細川政元であった。
 これには事情がある。
 政元は元々、近江の六角征伐にすら反対だった。いたずらに兵を動かし、天下を騒がすべきではない、と言うのである。
 しかし義材はその言い種を許さず、かえって近江守護に政元を任じた。渋々ながら京兆家内衆うちしゅ筆頭の安富元家やすとみもといえを従軍させたが、この指揮がまずく、六角方にさんざ打ち破られてしまった。
 細川は一体何のつもりだ、と義材が考えたとしても無理はない。
 こんな具合であったから、引き続く河内遠征に、政元が賛成するはずがない。ついには細川一門全員の出陣を拒んだ。それで意趣返しのように、京の留守居を申しつけられたのである。
 だがむろん、政元はそれで大人しく引っ込んでいるような男ではなかった。
 義材と政長の軍旅は順調に進んだ。ほとんど手向かいも受けず河内野を南へ下り、基家の本拠、誉田城こんだじょう高屋城たかやじょうを望む正覚寺城に陣を取った。
 ところがここで、一大変事が起こった。
 あとにしてきた京で、政元があろうことか新たな幼公方を立て、義材ゆかりの寺社や近臣たちの邸宅を焼き討ちしたのである。
 未だ隠然たる力を持つ大御台おおみだい日野富子ひのとみこの許諾を得てのことであったという。
 諸将は激しく動揺し、御台様のお心を伺う、との名目で一人また一人と陣払いを始めた。
(どうか、お待ちあれ)
 政長はそれぞれの陣を駆け回り、踏みとどまるよう懇願した。
(これは何かの間違いじゃ。そもそも、大樹たいじゅを美濃から招いたのは大御台様。それが手のひらを返したように、右京大夫なんぞの言いなりになられるものか)
 しかし、打ち続く合戦に疲れ果てた諸将の耳には、まるで届かなかった。
 雑説ぞうせつによれば、政元と畠山基家の間には、義材の出陣前からあつかいができていたという。河内野へまんまと誘い込んだ公方と政長を、一挙に挟撃して殲滅するという密約である。
 事態は、その通りに進んだ。
 細川、若狭武田、越前朝倉あさくら、河内畠山合わせて数万の大軍に、義材方は包囲されつつあった。
 味方の軍勢は、日を追うごとに離脱し、皮を剥ぐように少なくなっていく。
 最後の頼みの綱は、政長の分国紀伊からの後ろ巻きであった。
根来寺ねごろじ粉河寺こかわでら大衆だいしゅは、義就の家を蛇蝎だかつのごとく嫌っております。さすれば、必ずや我らに合力するでありましょう)
 それは嘘ではなかった。
 実際に、紀伊からは僧兵一万人余りが北上し、和泉国へ入ろうとしていた。
 その眼前に立ちふさがったのが、他ならぬ赤松政則であった。
 両軍は堺の南で合戦となり、守護自ら陣頭に立って迎え撃った播磨勢が、激戦の末に根来衆らを敗走させた。
 待ち焦がれていた後詰めは来ない。
 正覚寺城は孤立し、籠城を続ける兵糧も尽き果て、政長は抗戦の望みを失った。
(もはや万策尽きた。終わりだ、次郎)
 父は薄く笑ってさえいた。
(何が終わりなものか)
 次郎は口の中でつぶやき返した。
(わしの生涯の結末がこれだ)
 父にとっては確かに、全ての終わりだったのだろう。細川京兆家の手のひらの上で踊りながら、ただ義就との戦いに全てを捧げてきた、不毛なる夜叉の人生の。
 波の音が聞こえる。
 闇の中で目を開いた。五ヶ所の海辺である。
 次郎はやおら起き上がった。
 借家の土間へ降りると、移香斎より授けられた太刀を研ぎ始めた。まだ白鞘拵えのままだが、射し込む月光に刃文はもんが痛いほど冴えている。
「行くのか」
 背後から、裸に夜着を掛けただけの鯨が尋ねてきた。
「ああ。私が紀州に旗を揚げている姿を示し、赤松勢を追い払わなければ、未来を語るなど夢のまた夢であろう」
 政則自身は帰洛して従軍していない、という報せも、今度ばかりは僥倖ぎょうこうと思われた。
むろ高砂たかさごの船は、紀州の地勢や潮流に明るくはないだろう。湾の隘所へ誘い込めば、きっと勝ち目はあるさ」
 鯨はそっと近づいてくると、励ますように肩先へ唇をつけてきた。
 寄せ返す波の音、蒸すような磯の香りが、連子れんじの間から絶えず染み入ってきて、束の間の二人の宿をいっぱいに浸していた。

                           ~(5)へ続く

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