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重ね着

 こんにちは、とまよこ りゃんシーです。

「摂食障害」と言う病気を調べていくうちに、だんだんと、自分の心の中のことが見えてきました。
 僕はいわゆる「摂食障害」ではないのですが、心理のメカニズムはこれと同じだな、と思った。
 依存症だったんだな、僕。って思いました。
 選ぶなら「学習依存症」ですかね。

 その話をする前に、やっぱりまずは父の話をしなければならないです。
 父は青森で生まれました。2人の死産を経てようやく生まれた子供だったのに、先天性の心疾患があり、生まれてすぐ「二十歳までは生きられないだろう」と宣告されます。
 祖父は心臓に持病があって兵役を免れた小学校教師で、祖母は地主の娘でかなり神経症気質だったそうです。父は2人に本当に大切に大切に育てられたんだと思います。父親が小学校の担任の先生だから、いじめも受けずのびのびと育ったそうです。
 やがて、心臓の手術を受けさせるために東京に引っ越し、手術は成功してしまいます。祖父は青森で働きながら懸命に手術代と東京での生活費を稼いだわけです。父は心配性な母親にいつも口を出され、父はあれこれと世話を焼かれながらも持ち前の知能で東京理科大学へ進学しました。漢字もろくに読めず、異常なこだわりのある父でしたが、科学の道は父に寛容でした。
 今思うと父は本当に恵まれていたように思います。まず、ASD特有のこだわりも、「心臓に持病があるから」で済まされていた環境があったのではないかと思う。父は運動させれば絶対に運動音痴だし不器用です。でも、「心臓の持病」でそういったものが全部カバーできてしまった。そして親のバックアップのお陰で東京理科大学まですんなり上り詰め、そこの勉強も自分の性に合っていた。父は分かりやすいまでにASDだったから、特性を生かしやすかったのです。

 じゃあ一方僕はどうか。僕は健康そのもので生まれました。体育の授業もあるし、小学校の担任は父親ではありません。境界知能はあるし、ASDもADHDもあった。そして母親は、祖母と違い子供に無関心でネグレクト気味だった。僕と父は別物だった。でも父は僕を自分と同じ理系の、いわば2Eのようなプロフェッショナルに育て上げようとしたわけです。俺と同じようにすれば食っていけると思ったんです。でも僕は父のように環境に恵まれなかった。毎日叱られ、ハラスメントを受けていました。そして女だった。女はヒステリーで雑で癇癪持ちでバカだと馬鹿にされ続けた。女であることが大嫌いだった。全部女のせいだと思った。それで、咽頭異常感症になったんです。でも両親はそれを理解できない。自分たちが恵まれているから。母もASDとADHDがあったけれど、美人だった。僕はひどいブスでデブだった。
 小学校の時、僕は何もないって思った。あるのは父から貰ったキラキラネームと、父の稼いだお金だけだった。でも、誰もその事に気付いてくれなかった。僕は周りから「おかしい」と言われ続け、何が悪いのかも分からないまま叩かれ続けた。何をしても怒られていた。自分は男だと思っていたのに、胸が膨らんできて、また笑われた。

 そのストレスから逃げなければ僕はおかしくなってしまうだろう。もしかしたら、そのストレスに耐える力がなかったこと自体が、僕のポテンシャルの限界だったのかもしれない。
 だから僕は逃げた。
 現実から、全部から逃げた。
 逃げることが出来た、とも言える。
 それはお金があったからだし、少しだけ、才能があったからだ。
 そしてそれを後押しするかのようなライトノベルが沢山あったからだ。

 咽頭異常感症は鳴りを潜め、特にストレスが掛かった時以外は普通に飲食が出来るようになったが、僕はその時ほとんど飲食が出来ない日が続いていたため、急激に痩せた。
 痩せたら少しだけ自分が好きになれた。
 胸も少し目立たなくなった気がした。
 勉強したら褒められることに気付いた。
 成績さえ良ければ誰も何も言われないんだと気付いた。
 へりくだって、努力して、全部隠して生きれば良いんだって気付いた。

 中学の頃、担任の先生に「もっと自信を持ちなさい」と言われた。
 それは僕の禁忌だった。
 僕は自信を持つことから逃げた。
 自分自身を見つめることから逃げていた。
「成績が良く、真面目で勉強が出来る優等生」を演じることで、あの頃のいじめを忘れようとした。
 辛ければ辛いほど勉強にのめり込んだ。ダイエットに励んだ。褒められると安心した。学校が図書館の本を幾つか廃棄すると言うので、30冊近く鞄と手提げ袋に入れて八王子から国分寺まで持ち帰り、捨てた。
 母が買ってくるお菓子も我慢できないといけないから全部庭に捨てた。
「真面目で優秀な子」だと思われることで、僕はいつしか心のバランスを取るようになっていたんだと思います。それでますます期待されていって、自分のハードルを上げていった。「食事を摂る」という行為も周りの目が気になるし、次第に「トイレに行く」という行為すら怖くなっていく。「へー、とまよこでもトイレ行くんだー、なんかショック」みたいに思われることがどんどん怖くなっていく。それで水を飲まなくなる。食べなくなる。
 そんな僕が倒れるのは時間の問題だったんです。

「お前は発達障害」と精神科医に言われた時、ただでさえギリギリでバランスを取っていたメンタルが、「自分は一生社会に受け入れられることはないんだ」というショックで崩壊しました。
 そして、その頃にはもう副腎疲労の症状が出ていました。
 元々、高校までの自分は性転換を機に全部捨てるつもりで生きてたんです。名前も変えるつもりだったし。だから無理もしたしかなり嘘もついてました。一生に一度くらい優等生である時期があっても良いかな、くらいの軽い気持ちだった。性転換したらまったく新しい自分でまったく違う生き方を――漫画とか映画とかその辺の世界でスレスレな生き方を――するつもりでいた。でも性転換できないって言われて、今までの人生を引き続き背負わなきゃいけないっていうのがしんどかったように思います。
 それでストレスでますます食べられなくなり、「漫画家になれなければ食べていけない」という恐怖から睡眠を取ることも怖くなっていました。とにかく何かを描いていないと不安で死にそうでした。お金がなくなると、空腹で七転八倒していました。それでも画材や資料を買い続けました。そのうち救急病院代やタクシー代なども嵩んできて、お金がなくなる事が恐怖でしかたなく、お金を使うのが怖くてスーパーに行けなくなりました。自分さえ空腹を我慢すれば良いのだと思いました。宅配便や新聞の集金も怖くなり、イヤホンをして大音量で音楽を聴きながらカメラを連射して歩いていました。完全に狂っていました。人にぶつかりそうになっても、車に轢かれそうになっても、避ける元気もなくどんどんぶつかっていました。
「はやく、東京に帰りたい」以外にはもう何も考えていませんでしたが、東京に帰っても、ダニだらけの寝室や両親の罵倒で、心休まる暇などなく、母の強い勧めで専門学校に通わされ、半年で10回くらいしか授業に出られませんでした。そしていよいよお金がなくなって、ずっと逃げ続けていた「発達障害」という現実を見つめる事になります。それで心身症になったんじゃないかなって。

 つまり僕がここまで狂った理由はお金があったお陰であり、勉強ができたせいだと言い換えられると思います。でも摂食障害や依存症は、それ自体が悪なのではなく、それに逃げるしかない自分の心の弱さが問題なんですよね。
 僕は今までずっと自分のことを「真面目で、分を弁えている努力家」だと思い込もうとしていたんじゃないか。柔道部に入ったのも、そういう理由からじゃないか。そう思い込むことで発達障害のいじめから逃れようとしていたんじゃないか。叩かれる前に自分を叩くことで叩かれるトラウマから過剰に逃げようとしていたんじゃないか。「知識を得る」と言うのが当時の僕にとっての唯一の逃げ道になっていたのではないか。

 それが僕の心の全てだと思います。
 本心ではずっと怒りが渦巻いているんですよ。なんで僕ばっかり叩かれなくちゃならないんだと。そうやって怒っている自分を隠して、過剰にへりくだることで怒る自分から自分で目を背けているなと思った。
 本当は、そうやって怒る自分を治していかなきゃいけなかったのに。怒らずに受け入れなくちゃいけないのに。
 それを僕は小学校の時に辞めてしまったんだ。
 逃げ癖を付けてしまったんだなと思った。それを許した親の教育のせいとも言えると思いますけどね。

 結局これまさに「真面目系クズ」だよね。真面目系クズって、本質的な理解もせずに丸暗記だけしてテストを誤魔化す要領のいい奴のことで、社会に出てから何も知らないのかお前ってバカにされる奴の事だと思ってたけど、そうじゃなかったのか…。僕は「学習している自分」が好きだしそうでありたいと思い込んでるから自分も騙そうとしている訳なんだよね。だからサボるとどこかで誰かがそれを見てるんじゃないかと思って怖くなって勉強してしまう。「真面目系クズ」だと思われるのも怖いから「プリンキピア」を借りて、「俺はプリンキピアを読んで本質的な学習をしている」アピールをするタイプの真面目系クズだったんだなと。たぶん、本質的に、自分自身のASD的な要素、感情排斥論みたいなのと合致して、それが勉強面では褒められて、強固な自信と裏付けを作ってしまって、「発達障害主義」みたいになって、ますます感情論をバカにしていって、そういう自分に酔っていったと言う感じなのかなと。「悟り世代」ってのも感情を排除した人間のことかと思ってたら倹約したり積み立てする現実主義の若者のことだと聞いてびっくりしてるし、やはり僕はIQ低い。あと僕が絶対2ちゃんねるを使わないのもそういうプライドではないか(笑)まぁ言語IQ低すぎてコミュニケーション取れないからってのもあるけどね。

 実際これは、「発達障害をどこまで許容するか」と言う問題に直結するわけじゃん。
 僕が受けたストレスがどれだけ一般から見て大きいのか、僕のメンタルがどれだけ弱いのかなんてことは周りには分からないけどさ…。それ自体はハンディと捉えてくれないのかも知れないけどさ…。それでも、発達障害差別があることは確かだと思う。
 さかなクンなら帽子を被ってお葬式に出ても許される。でも、僕らは許されない。読みやすい手紙を書けない僕らは失礼だと罵られる。礼節、TPO、文化、慣習、僕らはそういったものにいつも怯えて生きている。そして、両親はそんなものはクソくらえだと言い、それで生きてこれた人間だった。僕はそれに倣うことはできない。でも、果たして今から本当にそれに迎合できるのか。僕の本心は、やっぱり社会嫌悪、日本嫌悪、文化嫌悪で出来ていて、現実を見る事なんてやっぱり出来ないかも知れない。そんな自分の本性に気付いてしまったかもしれないと思ったし、だから「ニューロダイバーシティ」とか言う夢物語に固執しているのかも知れない。だから傷つくよりは生活保護のほうがましと言うか、生活保護が僕なりの復讐と考えている節もあります。Kaienとか行くと、自分が妙な疎外感を持つのはこういう理由だったんだな。彼らはこういうトラウマでもって過剰に努力しようとしていないから。僕は自分は発達障害だと頭では理解しているのに、心のどこかが「僕は発達障害ではない」「発達障害で何が悪い?」と今なお抵抗している。それをちゃんと潰さないと、これから社会に出てもまたキレたり逃げたりトラブルを起こしたりしそうだなと思った。僕はIQが平均値じゃないから、対等に誰かと仲良くできた事がない。結局、嫉妬されるか嘲笑されるかのどちらかしか受けた事がないんですよ。それが僕のトラウマの根源なのかなと。期待されても手のひら返されるのが怖いし、それでなんにも動けなくなってしまうんですよね。

 僕がホルモン療法に及び腰なのも結局、これが原因なのかなと思った。僕はXジェンダーでもアセクシャルでもないけど、人間関係を持つのも怖いし恋愛なんてもってほかだし、ハゲ、デブ、ニキビ、加齢臭などの男性ホルモン投与におけるデメリットに対して過剰に恐れているからホルモン療法をせずにSRSしたいってずっと言ってるんだろうなと思った。声が低くなって汚くなるのも嫌だし、今よりもっと醜くなったらどうしよう。それが僕のホルモン治療しない理由かなあ…。で、今度は子宮があると「ズボンに血が付いてたらどうしよう」って怖くなるから摘出したいわけだな。てか、もしかしてFtMとか言ってるのも「ブスデブバカワガママ女」である自分から逃げるためなのかなと思う事もある。もしかしたら初期はそうだったかもしれない。あと、「男の大変さも知らず女の役割から逃げようとしているだけのクズ」だと思われたくないから大声でトランスジェンダーを公言できない。実際男になったって僕は男の役目をこなす事ができないのは事実で、トランスジェンダーも発達障害も理解されない言い方されると精神が崩壊しそうになるよ。あの時乳房切除とSRSが出来てれば少しは依存から抜け出せたかも知れないのにねぇ…。

 でもね、僕自身子供の頃から「そういう人」が居るってのは分かってましたよ。ほら、過剰にへりくだる人はプライドが高い、くらいは中学生でも察知できるじゃん。だから敢えて、プライドが低いことを隠そうとしているプライドが高い人を演じることでわざとプライドが低いと思わせるみたいな事をしていたな、と思った。ミステリーの犯人がさ、むやみに否定するとますます怪しいから冗談交じりに「僕が殺したようなものですよ」なんて言う心理と似ていると思います。多分一度はリスカ予告とか自殺アピールみたいなのをしてた時期もあったんだろう。でも「構ってちゃん」としか思われずますます叩かれたんじゃなかったかな。そういう振る舞い方をしてたから国語の読解問題だけ妙に点数高かったのか…。それで冗談交じりにしかものが言えなくなってた感はある。だから疲れると殺人犯になって逃げてる夢見るのか?(笑)それで結局、発達障害だと診断された時も、「発達障害と診断されたことを否定する見苦しい人間」だと思われたくなくて気持ちの整理もつかないまま診断されたことを触れ回ることでますます自分の首を絞めてたんだよなと。自分が傷つくと分かってるのにやめられないところが「障害」なんじゃないかな。そういう面が治らないと副腎疲労が治っても多分就職はできないなと思う。もし、ただの「考えすぎ」なら、そこでバランスが取れたのかもしれないけど、僕は現実に発達障害というハンディがあって、そのせいで余計いじめられたり誤解されて叩かれたりする訳ですね。でも心のどこかでそのまま受け入れられたい、認めてほしいという下心もあるわけで、そこもまた見透かされて叩かれるという…。もしかしたら「嘘をつかれた」っていうショックも周りとしてはあった?のかもしれない。自分を大切にしているとバレるのが怖いから他人も大切にできない。そういう「ぬるい」空気に恐怖感がある。だから嫌われるし怖がられる。でもへりくだりすぎると怪しまれるから結局偉そうにしてしまう。そうする以外に接し方が分からない。
 僕は何回も「得意・不得意があるのが当たり前だと思ってた」と言ってるけど、それはあくまで僕の本心のことで、周りには懸命に背伸びして見せてて、結局自分でハードルを上げてたから発達障害って診断されたことを周りに伝えた時に総ブロック食らったのかなと思いました。まぁ、結局、こちらの理由はどうあれ、誠実ではなかったと言う事なのかな。そうさぜるを得なかった理由まで慮れと言うのは、国語の読解問題レベルの難問だからね。もしそれを読み取れる人がいたとしたら、僕はその人と結婚したいです。

 そういうのも「感情ローテーションワーキング法」でかなり改善すると思う。これ、依存症の改善にかなり役立つ気がする。自分のパーソナリティを見つめる時間を作ると言う事だから。あ、そう言えば、以前パーソナリティ障害と診断されて疑問を持ったみたいなことを書きましたが、どうやらああいうのを「アイデンティティ拡散症候群」と言うらしいですね。そりゃ、逃げてばかりいるんだからアイデンティティなんか作れる訳ないよ。よくこれで漫画家になろうと思ったよな。

 言語IQが低いと、そういう身体表現性障害?みたいなのに走りがちだよね。

 小学校をドロップアウトした時、「僕は逃げてしまった」と思った。そしてこれからの人生は絶対に逃げないようにしようと誓ったのに、実はその行動も全部「逃げ」でしかなかったんだな…。そして今度こそ社会に立ち向かおうと性転換をしようとした矢先に発達障害診断で結局社会と立ち向かったことがない。でも立ち向かったとして、結局副腎疲労がゴールだったのかな。

 以上、「人格者」に死ぬほど憧れて心理学の勉強ばっかりしている(というアピールをしている)自己愛があると分かってすっきりしたとまよこ りゃんシーでした。結局あれだろ!「すごーい♡自己分析できてえらーい♡」とか言ってもらいたいんだろ!

発達障害なりに色々考えて生きてます。応援していただけると嬉しいです。