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掌編小説②「雨」「話す」「机」



 雨が降っている日に、建物の中にいるのが好きだ。
 雨のように、広範囲にわたる何か大きなものから、守られているような気分になるし、曇天で薄暗くなった外とは対照的な屋内の雰囲気の明るさに、胸がどことなくワクワクする。
 それはたぶん、小さい頃の記憶が思い出されるからかもしれない。

 父が、いらなくなった大きめのダンボールを持って帰ってくることがたまにあった。小学一年生の子供が二人入れるくらいの大きなものだ。
 父はダンボールの面の口にガムテープを貼って塞ぐと、その一面にだけ、子どもが入れるほどの穴をカッターで切って作ってくれた。しかも、ドアのように半開きになるようにして。

 それを見た時の胸の高鳴りといったら、誕生日にプレゼントをもらうときみたいに高揚感だった。
 自分たち専用の家ができた!と子供どもながらに感動して弟とよく遊んだものだ。

 ダンボールの中は真っ暗だから、懐中電灯を持ち込んだ。
 少しひんやりするからお気に入りの毛布も入れた。
 そして、自分たちの宝物を持ち込んでは、内緒でポテトチップスやペットボトルのジュースなんかも持ち込んで昼の間だけ暮らした。

 ダンボールの中にいる時、俺は確かに冒険していた。
 弟と2人でダンボールの中に入りながら、今外には(ダンボールの)巨大な怪獣がいるから、そいつがいなくなるまで外に出ちゃダメだぞ、だとか、手元にあるポテトチップスとペットボトルのジュースを見て、食料もあとはこれだけか、だとか、考えようとしなくてもどんどん溢れ出てきてしまうような想像力を働かせて、自分たちだけの世界に入り浸っていた。
 その日々が楽しかった記憶として俺の中に残っているから、雨の日が好きだと感じるのだろうか。

 廊下に設られた窓の一つが開けっぴろげにされている。そこから立ち込める雨の匂い。水と土がまじったような、少し埃っぽいこの雨の匂いが嫌いじゃない。

 少し半開きになっていた教室のスライドドアの隙間に上靴の先を挟み込んで開ける。誰もいないはずの教室には、女子生徒が1人、窓際の2番目の席の机上に頭を突っ伏して寝ていた。
 そのまま教壇の段差に足をかけて、教卓の上に運んできたノートを置く。わざと大きめにどしりと音を立て置くと、そいつは肩を小さくびくつかせてから、のそのそと顔をあげた。

「…なんだ、和田っちか」
「なんだじゃねえよ。そこ、俺の席」
「うんうん、そだねー」
「…」

 適当に相槌を打ちながら重ねた腕に上げた頭をゆっくり下ろしていく野原に強い視線を向けてみる。

「つーか、野原も今日も日直なんだから手伝えよ」

 持ってくるの大変だったんだぜ、と恩着せがましいことをわざと言ってみても、彼女は相変わらず「うんうん」と目を閉じて相槌を打つだけ。

「聞いてる?」

 教卓に置いた積み上がったノートを上から順番に、出席番号順に並んだ席に配っていく。

「あー、今せっかくいい夢を見ていたのに、和田っちのせいで戻れなくなっちゃったよ」

 そう言って伸びをする彼女の口元がうっすら笑みを含んでいたように見えたのはきっと気のせいなんかじゃないのだと思う。

「それは悪ぅございましたね、眠り姫」
「フハッ、眠り姫だって。似合わなーい」

 ぷぷっと口元に片手を当ててこっちを見て笑う野原。

「う、うるせぇ!」

 思ってもみなかった正当なツッコミに、自分の言ったセリフのキザさを思い知らされて少し恥ずかしくなる。

「私がお姫様なら、和田っちはキスでお姫様を目覚めさせる王子様だね☆」

 面倒くさそうに半分くらいの高さになった教壇の上のノートに手をついて彼女は言う。

「おっえぇ」

 語尾だけ可愛こぶってみている言葉と、実際の動作のテンションが違いすぎて、
 せめて動作すらもわざと可愛こぶってみてくれるといっそのこと清々しいものなのになと考えてみたけれど、それはそれで腹が立つだろうなと結論づいた。

「またまた照れちゃって」
「ゔぅぇ」
「どんだけ吐いてんのよ」

 野原が言った言葉に反射的に顔を逸らしてから、何事もなかったかのようにノートを配る振る舞いをしたけれど、口元から溢れている笑みを野原もさっきの俺のように気のせいではないと思っているのかもしれない。

「雨の日のこういう雰囲気っていいよね」
「急にどうした」
「いやいや、雨の日ってワクワクしない?しかも外に出るんじゃなくて、こうやって建物の中から雨の気配を感じられるのが好き。だって、なんか守られているような気分になるし、それに、なんか、うーん、…ワクワクする」
「諦めんなよ」

 食い気味に言ったら野原は笑ってた。
 言いたいことはなんとなく分かる。
 だって俺も同じようなことを考えていたから。
 ただ、野原と同じことを考えていたという事実を知られるのが癪なので、ここでは言わないけれど。

「航海日誌13日目」
「え、何?」

 配りかけのノートの一冊をおもむろに開いて片手で持ち、なのにノートには目もくれず未だに降りしきる窓の外を眺めながら彼女は言った。

「大海原での航海中、激しい嵐に巻き込まれ、船は航路を外れた」
「何やってんの?」
「未だに救助は訪れない。近くに船の存在も確認できない」
「聞いてる?ねえ?」
「食料も底を尽きかけている。我々に残されているのは、この伝説の大船オリンポス号とひ弱な乗組員1名」
「ひ弱な乗組員とは俺のことか」
「外は未だに嵐が吹き荒れている。しかし決して我々は挫けない!負けない!行こう!あの夕日に向かって!」
「船長、外は豪雨です」

 最後のノートを配り終えたところで、巡回中の担任奥山がガラガラと教室の扉を開けて顔を出した。

「お前らまだいたのか、下校時間になるぞー」
「せんせー、野原さんが日直の仕事を手伝ってくれませーん」
「野原、あんまり和田を困らせるなよ」
「あー!先生ひどい!和田っちが私をいつも困らせているのに!あんまりだわ!およよ…」

 そう言って、ドラマのワンシーンのようにスローモーションで近くにあった机に顔を突っ伏し泣き真似をする野原。

「そうかそうかー。ところで野原、今日提出されるはずの数学の宿題がまだ出されていない件だが…」
「ああ!もうこんな時間!和田っち早く帰らないとだよー!下校下校!」
「うんうん、そうだなー。野原ー、明日プリント持って来なかったら数学の時間お前に集中攻撃だからなー」
「えー!」

 2人の様子を見ながら、その場の雰囲気を楽しんでいる自分が今日もいることに気がついて、この野原と日直の仕事をこなしながら(ほとんど俺がこなしている)過ごす他愛もないような放課後の時間が嫌いじゃないと思う。

 窓を見ると、雨はほとんど霧雨のようになって弱まってきていた。近づく今日の終わりにどこか寂しさを覚えてしまうのはどうしてなのだろうか。

「気をつけて帰れよー」
「はーい」

 俺の目線の先には、ちょうど教室を後にしていく奥山と笑顔で振り返る野原だった。

「帰ろっか」
「…うん」

fin

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