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サックスプレイヤー『武田真治』 │ 筋肉でもなく、俳優でもなく、タレントでもなく


知人に武田真治知ってる?と聞いたところ「ググッてみる」と返事があった。

そうか、知られてもいないのか。と思うと少し寂しくなった。

最近はニッチでニーズの無い記事ばかりを書いている気がするのは自分だけか?笑 まあいい。

では、知っている人に聞こう。武田真治と言うと何を思い浮かべるであろうか。


冒頭の質問の答えに落胆したのは、私の中で中学生の頃から現在進行形でずっとカリスマであるからだ。


なので、知らないという事実が信じられない。


最近、キムタクの番組「木村さ~ん!」に出演していたので、新しく認知されるっかけになったかもしれない。と、にわかに期待している。


たぶん、今では多くの人が「筋肉タレント」となると思う。かつては…と思い出してくれる人も少なくなった。


それほどに『みんなで筋肉体操』のインパクトは強かったし、同局つながりで出演した『NHK紅白歌合戦』での熱演?も大きな話題にあった。


『第2回ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト』でグランプリを受賞。


芸能界入りし、身体にピタッとはり付くほどのシェイプなTシャツ、いわゆる“ピチT”ファッションで、いしだ壱成と並んで「フェミ男」と称されていたデビュー時のイメージが鮮烈すぎたのかもしれない。

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当時を知る人は「あの中性的な子がこんなにムキムキに!?」と驚きを持っただろう。


あとは、やはり俳優、タレントとしての姿。
放送が終了してだいぶ経ってしまったが、『めちゃ×2イケてるッ!』でのコミカル(変態的?)なキャラクターのイメージを未だに抱かれている方も少なくないと思う。「変な人だよなー」なんて思われてるかもしれないが、プライベートもあのままである。変わった人だ。


また、テレビドラマや映画での活躍を思い浮かべる方もいらっしゃるだろうし、出演した舞台やミュージカルでの役が印象に残っている方がいるかもしれない。

そして、彼の出世作と言えば、ドラマ『南くんの恋人』だろう。
写真のような「への字型眉毛」と「長いもみあげ」は感度の高い世間の若者を席巻した。

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しかし、サックスプレイヤーとしてのイメージとなると、一般的には筋肉、タレント・俳優の次くらいだろうか。


筋肉でブレイクするまでの間は、サックスプレイヤーとしてクラブシーンでの活動が目立っていた。

2019年までノンリリースだったので、もしかすると、彼がサックス奏者であることを知らなかったという人がいてもおかしくはない。


1stアルバム『S』(1995年)、2nd『OK!』(1996年)が発売されたら即買いして、ライブの追っかけをしていたことも懐かしい思い出だ。



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それでは、サックスプレイヤー武田真治について語ろうと思う。

個人的にサックスプレイヤーとしての武田真治の確信したのは、彼が司会を務めていたNHKのトーク番組『トップランナー』の時である。


2003年のTHEE MICHELLE GUN ELEPHANT(ザ・ミッシェルガンエレファント)がゲストの回だ。


「デッドマンズ・ギャラクシー・デイズ」「ブラック・ラブ・ホール」「リボルバー・ジャンキーズ」とミッシェルのナンバーを演奏。オンエア日が、ミッシェルが解散を発表した数日後であったことも、どこか感慨深くその演奏を観た記憶があるが、最後に披露された武田真治を呼び込んでのセッションがこれがまた良かった。

■出演部分:33分~


ミッシェルのバンドアンサンブルがいかにすごかったのかはここで論じるまでもないし、特に解散間際は凄まじいまでのグルーブと息の合った様を見せつけていたのだが、その熟し切ったサウンドに武田真治のサックスがグイグイと食らいつき、絡んでいく。

やや緊張気味ではあったものの、そのプレイは実に堂々としたもので、チバユウスケを始めメンバーも楽しそうで、彼らの表情からサックスプレイヤー武田真治として、またミュージシャンとして認めていることが伝わってきた。

「武田真治、意外とすごいかも」なんて話ではない。そのサックスは実に「すごかった」のである。

✔本格派アーティストたちが参加

武田真治の1stアルバム『S』がリリースされたのは前述の通り1995年。

『第2回ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト』でグランプリ獲得が1989年で、俳優デビューが1990年、映画デビューが1992年だ。

最近は少なくなってきたような気もするが、人気タレントが速攻でCDを発売することがあった頃であるが、それを考えると、武田真治の音楽デビューは随分と遅かったと言わざるを得ない。

しかし、その完成した音源を聴くまでもなく、中ジャケに記されたクレジットを見るだけでも「それはそうだったろうな」と思う。


この企画をストレートに実現させるのは、いかに武田真治の人気が絶頂だったとはいえ、そう簡単ではなかっただろうことは想像するに難くない。

まず、サックスプレイヤーとしてのアルバムだということ。1995年と言えば、史上2番目に多く年間ミリオンセラー作品が生まれた年である。

その年の年間チャート1位はDREAMS COME TRUEの「LOVE LOVE LOVE/嵐が来る」。H Jungle with tの「WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント」を始めとして小室サウンドの勢いはまだまだ衰えず、Mr.Children、スピッツが本格的にブレイクしたのもこの年だ。


言わば、J-POP、J-ROCKの全盛期であった。


そんな中で歌のほとんどないサックスのアルバムの制作なのだから、CDバブルに突入していた時期とはいえ、その企画に閉口するスタッフもいただろう。


いや、穿った見方をすれば、バブルであったからこそ、ここまでできたとも言えるし、ここまでやる必要もなかったとも言えるけれども、武田真治のデビューアルバム『S』は、人気タレントがちょいと特技であるサックスを吹いてみました…という企画盤などではまったくなく、これが相当に本格派なのである。

プロデューサーは元チェッカーズのギタリスト、武内 享。


武田とともにアレンジをしている他、収録曲の作曲も手掛け、もちろんほとんどのギターは氏が弾いている。


シングルにもなった「Blow Up」(オリコン9位)での中盤で妙に響くギターソロ、「TETROMECCA」で聴かせるカッティング、「バハマの2人」でのアコギと、氏のギターもバラエティーなサウンドのひと役を担っているのは間違いない。


参加ミュージシャンも豪華だが、浮付いた感じが一切ない。
まずは東京スカパラダイスオーケストラ(スカパラ参加で胸アツ) 
「Blow Up」や「サファィアを手に入れろ」で冷牟田竜之(現在は脱退)、GAMO、谷中 敦、北原雅彦、NARGOらが参加している他、「恋をしようよ」でNARGOが、「MOTOR WAY」で冷牟田、沖 祐市がそれぞれ花を添えている。


「Blow Up」や「サファィアを手に入れろ」で聴かせるスリリングでありながらもしっかりポップなホーンセクションはいかにもスカパラ的で、さすが~のひと言だ。


これが武田真治のソロアルバムであることを忘れることなく、しっかりとサポートしている演奏がしかと受け取れる。(ミックスもステキ)

歌はほとんどないと書いたが、歌があるのは11曲中3曲。


「YOU AND ME MAKE LOVE」、「MOTOR WAY」、「FREE YOUR SOUL」がそれである。リードヴォーカルはそれぞれロレッタ・ハロウェイ、モツ&ヨシコ・タカハシ、キャロライン・ハーディングが担当している。


ロレッタ・ハロウェイは「ディスコの女王」とも称されたゴスペル/ソウル・シンガー。そして、キャロライン・ハーディングはニューヨークで活躍した実力派ディーバである。


女性ヴォーカルをフィーチャーするのであれば、武田真治と同じ事務所にいくらでもアイドルや俳優はいただろうに、本格派も本格派を起用するところに作品作りにおける彼の本気度がうかがえるというものだ。


実際、キラキラとしたディスコティックなサウンドで迫る「YOU AND ME MAKE LOVE」、日本ではまだコンテポラリーR&Bが一般化する以前に「FREE YOUR SOUL」がそのサウンドをいち早く取り入れていたと言える。


ちなみに、MOTSUは現在キング・クリームソーダで活躍するゲラッパーのことで、当時はMORE DEEPにて活動していたその人のことであろう。

Yoshiko Takahashiは“たぶんあの女性シンガーではなかろうか??
恐らく「SILVA」であろうと思っている。(違ったらごめんなさい)

「Seen 37」も注目である。
作曲は高木 完。もちろんアレンジにも彼が参加しているし、この楽曲においてはほぼプロデューサー的な立場で臨んでいると言っていいだろう。


何とも形容し難いスペイシーなサウンドをバックに武田真治のサックスをはじめ、さまざまなサウンドが鳴っていくという構成とオリジナリティーあふれるサウンドメイキングは、日本のヒップホップ黎明期より活動を続ける高木 完ならではのものであろう。


武田のサックスも他の楽曲に比べて堂々としている印象もあるが、その辺は高完自体も注目に値するのではなかろうか。


リリースされた1995年と言えば、EAST END×YURIが2ndシングル「MAICCA -まいっか-」が発売された年で、その前年には「DA.YO.NE」、そしてスチャダラパーと小沢健二のシングル「今夜はブギー・バック」が発表されている。日本のヒップホップがメジャーシーンにオーバーラップしてきた、まさにその時である。


そこで高木 完を招くというのは、彼のアーティストとしての嗅覚が確かな証拠だったと言える。RIP SLYMEがインディーズデビューし、キングギドラがアルバム『空からの力』でデビューした1995年に、アルバム『S』が発表されたというのは偶然ではなく必然だったのではないだろうか。

さて、アルバム『S』の概要を主に参加ミュージシャンから解説してみたが、何よりも大切なのは、そのサウンドの中心にいる武田真治の存在感である。


最後にそこを推し、強調しておきたい。
正直言って、若干粗いと思う演奏がなくはないが、どのテイクにおいても実に生々しい音を聴くことができる。


これはサックスに限らず管楽器の特徴だが、人が息を吹き込んで鳴らす楽器は、感情が表出が生々しく、プレイヤーの人となりが露わになるとはよく言われる。


『S』収録曲にもそれがある。「Froggy!」では不良っぽいカッコ良さ。


「恋をしようよ」ではスウィートな印象。


「FREE YOUR SOUL」ではアーバンでセクシーな雰囲気。


まだまだあるが、当時の武田真治のタレントイメージを損ねることなく、しっかりと人間味が伝わってくるプレイを聴くことができる。

今ほどグロール中心の変則的な演奏は少なく、概ねポップであるところにも好感が持てるところだ。


中学時代から熱心に練習を重ね、将来はサックスプレイヤーになることを夢見ていたといい、ジュノン・スーパーボーイ・コンテストに応募した動機も、俳優やタレントを目指してのことではなく、サックス奏者としてデビューの足掛かりになると思ったためと明らかにしていて、『S』から聴こえてくるサックスの音色にはそうした積年の想いが詰まっているようでもある。


自分の人生において、一番の大きな出会いは間違いなく武田真治だ。

彼からの影響がなければ音楽家になることもなかったし、ファッションの仕事をすることもなかった。


俳優業から遠ざかり、筋肉タレント?になるまで苦しい時期が続いたと思うが、またサックスプレイヤーとしての一面を大いに打ち出して活躍してもらいたいものだ。


最近、音楽ネタばかり続いたので一先ず休憩。

これから双極性障害当事者として自分がやりたいこと、メンタルヘルス関連のテーマに絞って書いていこうと思います。

どうぞよろしくお願いします。

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