『globe』 起こした奇跡、残した軌跡、 今宵ダンスと共に
globeがJ-POPのマーケットにおいて最前線に立っていたのは95年から2000年までの5年間だった。
小室は、
「自分の最高傑作はどの曲だと思いますか?」という質問対し、
「やっぱり、何がなんでも売らなきゃいけないという使命感があったという意味では『Feel Like dance』ですね」
と答えた。
✔シングル
✔アルバム
✔トータル
まとめると上記のようになる。
CDが売れていた時代ということを考慮しても、他プロジェクトを同時進行しつつ、この数字が出せたことは奇跡に近い。
小室、KEIKO、ラップのマーク・パンサーからなるglobeがデビューしたのは、1995年8月9日のこと。
ドラマ主題歌に採用されたデビューシングル「Feel Like dance」はオリコン最高3位、ミリオン目前の90万枚以上を売り上げた。
翌月にはセカンドシングル「Joy to the love (globe)」がトヨタ自動車のCMに採用されヒット。初のオリコン1位も獲得した。
その後も「DEPARTURES」を4枚目シングルとしてリリース。売上は230万枚超でglobe最大のヒットソングとなった。
まもなく発売されたファーストアルバム『globe』は売上400万枚超でその年の日本レコード大賞アルバム大賞を受賞。
オリコン歴代アルバムランキング第7位という輝かしい記録を残した。
快進撃は続き、1998年9月発売の13枚目シングル「wanna Be A Dreammaker」では日本レコード大賞で、大賞を受賞。NHK紅白歌合戦にも3回出場し、その人気は不動のものとなった。
globeがこれほどまでにリスナーから厚い支持を得た理由はいくつも考えられるが、オーディションで見出された新人・KEIKOの存在を抜きにしては語れないだろう。
大分県臼杵市の老舗料亭に生まれたKEIKOがglobeのボーカルとして、サクセス・ストーリーも含め、注目の的となった。
なにより、低音から高音まで綺麗に響かせることができるその歌声は、小室本人がベタ惚れだった。
2011年にKEIKOが病に倒れたあとは活動が休止となっていたが、デビュー20周年を迎えた2015~2016年にはリプロダクトアルバムの発売や記念イベントを相次いで開催。
2018年に一時引退した小室哲哉も昨年には復帰し、globeの「これから」にも注目が集まっていたが、その矢先に離婚と残念な結果になってしまった。
1stアルバム『globe』からベスト盤『CRUISE RECORD 1995-2000』まで「とんでもない5年間だった。あそこに凝縮されていたと思います」と小室は振り返る。
今聴くと、globeというグループが担っていた90年代の空気というものの正体が見えてくる。そのキーワードは「ロック」である。
小室哲哉が手掛けた数々のプロジェクトの中でも、最も意識的にロック色の強い音楽性を押し出していったのがglobeだ。
音楽性のベースはダンス・ミュージック(エレクトロニック・ダンスミュージック)にあるのだが、2ndアルバムの『FACES PLACES』は、歪んだギターの音色を多用し、彼自身も最もロック的な一枚と振り返るアルバムだった。
そしてそれは、90年代の世界的な音楽シーンの潮流とも親和性を持つものだった。90年代は、USではニルヴァーナを筆頭にグランジやオルタナティブ・ロックがシーンの中心となり、UKではオアシスやブラーを筆頭に数々のロックバンドたちが全盛期を迎えていた時代だ。
ケミカル・ブラザーズやファットボーイ・スリムやアンダーワールドにダフトパンクも登場して喝采を浴び、ロックとダンス・ミュージックが接近し融合していた。小室はインタビューで、初期のKEIKOにパンク・バンド、ノー・ダウトのヴォーカリストだったグウェン・ステファニーのイメージを重ね合わせていたことを明かしている。
【グウェン・ステファニー】
音楽がカルチャーのど真ん中にあった90年代。その時に彼が生んだ数々の輝きは、決して色褪せたり消え去ったりするものではなく、時を経ても人々の記憶に残り続けるものだった。
デビュー20周年を迎えて様々なプロジェクトを行ってきたglobe。
その締めくくりとして代表曲をリプロダクトしたアルバム『Remode 2』がリリースされた。それを目前にしたタイミングということもあったのかもしれないが、やはりTM NETWORKと並び自身が多くの人生を費やしたglobeには、当初からかなりの覚悟をもって臨んでいたということが、以下のインタビューから窺えた。
冒頭にも書いたが、
「自分の最高傑作はどの曲だと思いますか?」という問いには、
「あの曲がベストだということはないんですけれど−−」と前置きしつつも、
「やっぱり、何がなんでも売らなきゃいけないという使命感があったという意味では『Feel Like dance』ですね」
「相当考えました。苦しかった。大変だったと思います。でも、僕の声、マークのラップ、KEIKOの声が重なって、最後に転調で上がっていく。それを聴いた時に『あ、これはいけたかな』と思いました」
こんな風に、曲ができた時の手応えを語っていた。
そして、「自分ではすごくよくできた曲だと思うのにそんなに売れなかったと思う曲は?」という問いには、「それは沢山ありますよ」と言いつつ、真っ先に挙げたのはglobe「Many Classic Moments」とあった。
この曲がリリースされたのは2002年。当時のセールスはオリコンチャート24位と、全盛期に比べて落ち込んでいる。背景にあったのは時代の変化だ。
特に決め手となったのは1998年の宇多田ヒカルのデビューだった。
デビュー曲の「Automatic」を初めて聴いた時のことを「これで時代が変わっていくんだなって感じましたね」と振り返っている。
時代は巡り、00年代以降は、90年代のようにロックが海外のポップ・ミュージックの市場のメインストリームをしめることは少なくなった。
60’sロックや80’sポスト・パンクのリバイバルに終始した00年代のUSやUKロックの風潮、インディの狭いコミュニティに安住するようになった2010年代のUSロックの風潮を尻目に、アメリカのポップの王道の殆どがR&BとHip-Hopが占めるようになった。
かつてのスタジアム・ロックが担っていたような数万人を一つにする興奮は、バンドではなく、役割はEDMのDJ 達が担うように変化した。
『Remode 2』を聴くと、時代性の変化を強く感じ取れる。
KEIKOの歌声はそのままに、サウンドはまさに「EDM以降の時代」、そして「R&B以降の時代」に合わせ、globeがもともと持っていたロック×ダンス・ミュージックのテイストを失わないよう絶妙にアップデートされているように思う。
ミドルテンポの四つ打ちの原曲を、ブルーノ・マーズやファレル・ウィリアムスあたりに通じるようなソウル/R&Bの横乗り系カッティング・ギターで蘇らせた「DEPARTURES」が最も象徴的だ。
90年代のJ-POPは、小室哲哉の時代だった。いまでも、クラブシーンではその残り香はあるものの、90年代は海外でもロックとダンス・ミュージックの融合がメインストリームとなった最後の時代だったのかもしれない。
冒頭にglobeの時代は5年間だった、と書いたが先鋭的なダンスミュージックをベースに制作されたプロジェクトとしては、ヒット数含め息の長い活躍をしたと思う。
私の現役時代、制作活動のベースであった女性高音ボーカルに、BPM125の速さでビートを刻み、うねるベースライン、歪むギター、アタック感の強いキック。そしてキャッチーなメロディ。「ダンスミュージックをお茶の間に」をコンセプトに、クラブシーンからJ-POPを席巻する!といったコピー等、どれをとっても小室教育の影響を直に受けているのは明らかだなと、振り返って思う。大きく違うのは結果で、小物の私はレコード会社でのプライオリティが高かった時期は、1年か2年程度。ミリオンどころかオリコン10位にも届いてない。
globeの功績は、私が理想とした、テレビやカラオケで流れるJ-POPのヒット曲、そしてグローバルなダンスミュージックを結びつけたところにあり、更には小室哲哉の教育活動の一環として、非常に優秀に機能したこと、だったのではないだろうか。
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